あれから十五日。大望地方の奪還作戦は停滞していた。
修理を受けた黒鷲隊も合流、したのだが、そこに芽吹の姿はなかった。それ故か、エリカは退屈そうに食堂のテレビを眺めていた。
「寂しいかい?」
その隣に優子が座る。
「……そうですね」
「別に今生の別れってわけじゃないんだ。もっと肩の力を抜いて待ってやってもいいじゃないか」
エリカは軽く下を向く。
「告白、したんです」
「へえ。答えは?」
「保留だって」
「そりゃひどい。男ってのはもっとはっきりしてなきゃねえ」
「別にいいんです。喪うことが怖いっていう気持ちがまるで理解できないってわけではないですから」
「青いねえ」
優子は微笑んでいた。一方で、エリカは青いという言葉の意味を解せないでいた。
「もっと積極的にいかなきゃああいう男は落ちないさ」
「キスだってしたんですよ」
「刺激が強すぎたんじゃないかい?」
エリカは口を尖らせて頬杖をつく。
「焦らないことが肝心だよ。芽吹クンだって嫌ってるわけじゃないんだろう?」
「多分、好きは好きなんだろうなって思ってます。自惚れてるみたいですけど、嫌いなら失うのが怖いなんて言わないでしょうし」
「それはきっと正しいよ。ま、待ってあげることだ。多分あの子は女を知らないからね」
彼女は、チラリと話し相手の顔を見た。変わらず微笑を浮かべている。少し、気が楽になった。
「中尉は恋をしたこと、ありますか?」
「ああ、したよ。プロボーズだってされた」
「じゃあ、ご結婚なされたんですか?」
「いや。その後戦死したよ」
「……すみません」
「いいよいいよ、過ぎたことだよ。それに、援護してやれなかった私の責任でもあるからね」
芽吹が死ぬということを、彼女は考えた。いつもギリギリのところを生き残っている。きっと、それは自分の助けがあったからではなく芽吹自身の技量と運によるものだ、と理解していた。
ならば、自分にできることは何か。エスクに抑えられ、満足に援護をしてやれなかったあの日。冬弥と浩二の加勢がなければ確実に二人とも死んでいた。
愚かだな、と自嘲する。強くなりたいという思いこそあれ、現実がそれだけで応えてくれるわけではない。
「芽吹、今何してるんでしょう」
「同じことしてたりしてね」
「ハハ……」
◆
「大原少尉?」
居眠りをしていた芽吹に、菱形がそう声を掛けた。
「お疲れですか?」
「そうだね、試験続きで少し」
「休むならしっかり休んだ方がいいですよ」
「いや、大丈夫。それで、何かあったの?」
「飛行データの解析が終わりました」
「わかった、見に行くよ」
ガタリと立ち上がり、並んで歩く。
「……遠島少尉とは、どうなったんですか?」
「特別に進展があったわけじゃないよ。俺もはっきり答えられなかった」
「私、少尉の威張らないところが好きなんです」
「……そっか」
彼は敢えて彼女の顔を見なかった。どんな表情をしているのかも、想像しなかった。ただ、前を向いていた。
「でも、もっと誇っていいと思います。一〇式を預けられたのだって、天子様から信頼されている証拠ですよ」
「天子様が配備計画に関わっているとは思ってない。あくまでプロパガンダも含めた政治家の問題だ」
わざと突き放すような言い方をしたのは、真向から相手をすればどこか心に揺らぎが生まれるのではないかと恐れたからだ。エリカのことは好きだ、と認めてはいる。だが、その心情を信じ切ることができなかった。
「もし戦争が終わったら、どうなさるおつもりですか?」
「どうしようかな。故郷に帰りたい、とは思うけど……」
「碧海島でしたよね」
「うん。奪還は一番最後になるだろうけど、それまでどうにか生き残るよ」
格納庫への道はそれなりに長い。最新鋭の機体を扱う以上、そう簡単に出入りできるものではないのだ。
「家族は翠南島に行けた?」
「はい。しばらくしたら引っ越す予定と聞きました。少尉は故郷に帰ってやりたいこと、ありますか?」
「家族の墓を建てたい。遺骨もないけど、それくらいのことはしてあげたいな」
「私もです。父の墓が壊されていたようなので」
「お互い嫌な過去を持ってるね」
「そうですね」
そこから、暫し無言が続いた。芽吹にとってそれは不思議と心地よかった。自己分析をすれば、過去を共有して幾らかのカタルシスを得たのかもしれない、という結論に至った。
「今度、弟が軍学校に入るんです」
格納庫の扉が開くのを待ちながら、彼女は言う。
「もしパイロットになったら……助けてあげてください」
「わかった。約束する」
照らし出される機体は──。
二時間後。本日のタスクが終了した芽吹はベッドの上で横になっていた。
彼の産まれは平凡だ。赫灼石鉱山の鉱夫をやっている父の下に産まれた。苦はなかった。まだ戦争が激化する前のことだったが、急ピッチで製造される赫灼騎兵のために、その動力源の採掘にはかなりの予算が投じられていた。
何てことのない家庭で、一つ特異であったのは芽吹が高い魔力量を有していたこと。十になる頃には、鉱山で使う器具の起動などを手伝っていた。その度に父に褒められた。地元で名前が知れている、という子供らしい誇りが生まれた。
木と漆喰でできた街並み。街の中央にある、先代天子の像。休日は広場で走り回り、鳥を追いかける。夕方になれば家族が迎えに来て、暖かい飯を食べる。そんな小さな平凡な幸せが、彼の全てだった。
それを崩したのは、帝国。大量の赫灼騎兵を揃えた帝国は、皇歴二〇〇五年、本格的な侵攻に踏み切った。
齎された結果は、広く知られる所である。帝国は五年の間に昇陽地方と明曉島以外の領土を奪われた。赫灼騎兵の新規生産が難しくなった皇国は既存の九一式を改装することでどうにか立ち向かおうとして、かなりの回数バージョンアップが繰り返された。
終わりから言えば、それは成功した。六八型はラウーダを上回る性能を発揮し、翠南島解放に大きく貢献したのだ。そして、その生産ラインを転用できる機体として一〇式が設計された。
戦況は皇国の方に傾いている。彼は確信していた。しかし、そこに暗い現実が飛び込んでくる。ブルガザルノの登場だ。一〇式に匹敵する性能と分析されているそれは、マイの技量もあってかなり暴れていた。全軍に行き渡れば、脅威になる。
(でも、切り札はある)
そのために前線を離れたのだ。結果が伴わなければ、部隊の面々に申し訳が立たない。
「やるんだろ、芽吹」
暗い部屋に、言葉が響いた。
◆
マイは、ムットの予備パーツが底を突いたと報告を受けた。
「パイロットもいないし、ある意味でちょうどよかったのかもね」
両腕を失い、コア・ユニットに痛々しい傷のある機体を見上げ、彼はそう言った。
「ブルガザルノだけで艦隊を止められますかね」
女整備士が軽い態度で問う。
「さあね。やれることはやるさ」
沈黙したままの、緑の巨躯。こんなものがないのならそれに越したことはない、と彼は思っている。他方で、これに投じられた技術は無駄にするべきでないとも。
「気が早い、と思うかもしれないけどさ」
サーベルがそこにあることを確認しながら、彼は話し出す。
「ブルガザルノの次世代機、何が搭載されるんだろうね。障壁かな」
「接続器がないと……でも、そんなものが搭載されたら魔導式が複雑すぎる気もします」
「技術屋の目線だね」
「そういう隊長は、どんな機体をお望みですか?」
「そうだね……僕だけで全てを打ち倒せる、そんな機体が欲しい」
「夢ですねえ」
「夢、か。確かにそうだ。でも、高い理想を掲げれば、その八十パーセントくらいは達成できると僕は思ってる。逆に言えば、理想を高くしない限り、得られるものは何もない……」
「これは噂なんですが」
という前置き。
「オットガムールルなんてものを搭載する機体が開発中だとか」
「オット……?」
「遠隔式の、飽和攻撃を行う小型兵器です。魔術師らしく言えば、使い魔になるのでしょうかね」
「使い魔か。なるほど、悪くない発想だね。だが出力を維持するのは難しいだろう」
「それに、小型化も難しいですから。抽出器と斥力発生装置のことを考えると」
「ま、期待はしておくかな。ブルガザルノでようやくトウヤやメブキと対等だからね」
それが人のカタチを逸脱したものでないことを、彼は祈った。
レーヴェ。帝国で信仰されている唯一神。レーヴェ教を国教とする帝国は、今もなお異教徒への迫害と改宗を続けている。その上で、また異なった神々を奉じる皇国を、苛烈に攻撃し続けていた。
ムットを初めて見た時、彼はそれが神への挑戦を意味していると受け取った。神は自身に似せて人を造ったという。ならば、その恩恵に与るザヘルノアも、人の形をしているべきだ、と。
「ブルガザルノは完璧にしておいてくれ」
「言われなくても。任せてください」
次の戦いは、この基地を巡るものになる。彼は確信していた。負けるわけには、いかない。