「ねえ、芽吹」
澄んだ空に月が昇って、星々がその輝きを存分に放っている頃。二人だけのパイロットルームで、エリカが口を開いた。スポーツウェアのようなものを着た彼女は立っていて、芽吹は座っていた。
「答え、用意した?」
「……怖いんだ」
「怖い?」
「怖い。大切な仲間だよ。みんなそう簡単に死なないってことはわかってる。でも、怖いんだ。恐ろしいんだ」
「何がそんなに──」
「喪うのが怖いんだ。今でも思い出すんだよ、家族のことを。またああやって奪われるんじゃないかって思うと……」
俯いた姿勢で、彼は握り拳を膝の上で震わせる。そこに、涙が落ちた。
「一番近くにいる君ならわかるだろ。僕はマイに振り回されてばかりだ。今日の出撃だって君が墜とされるところだった」
「私、頼りない?」
「違う、違うんだ。君のことは信じてる。でも、やっぱりさ、俺じゃ守れないんじゃないかって」
エリカはその隣に座り、顔を持ち上げた。
「私はこんなところで死ぬつもりはない。国中の人間が私を認めるまで、戦場に立ち続ける」
芽吹は何も言えず、ただ啜り泣いていた。
「……好きとか嫌いとか、正直よくわからない。でも喪いたくない。これを、答えにさせてほしい」
無言。ポタリ、グスン。
「保留ってことにしといてあげる。もしちゃんとした答えを見つけたら、また聞かせて」
エリカはその顔を見ないまま立ち上がった。声を掛けることもなく、部屋を出る。扉を後ろ手で閉めたところで、しゃがみ込んだ。
「芽吹の馬鹿……」
呟きは、暗い廊下に消えた。
◆
ムットは百パーセント動かせると聞いて、マイは格納庫を訪れていた。
「だけど、メブキ個人に執着して艦隊にあまり食いつけなかったね」
その前を歩きながら、彼は口を動かした。
「作戦のことはわかりませんが、これと渡り合うザヘルノアがあるとは思いませんでしたよ」
整備士がそんな彼を見て言った。
「パイロットの技量が大きいよ。やはり、薬で無理やり動かしているんじゃ駄目だね」
「いいんですか、そんなこと言ってしまって」
「ここだけの秘密さ」
柔らかい微笑みの中にある、自虐的な悲しみ。戦争が生み出した歪みを前にして、二人は沈黙を分かち合った。
「もうすぐ、ブルガザルノが届く」
ムットを見上げたまま、マイは言う。
「そうなれば、敵の新型だって押し切れる」
「補充兵も来ると聞きました」
「ああ。先行量産型の十八機。それを僕らが拝領するというのは名誉なことだ。皇帝陛下には頭が上がらないね。元から上がる頭ではないけどさ」
「整備性がどれほどのものなんでしょうね」
「ムットよりはマシさ」
失笑した整備士の顔を、マイは見ない。
「人の戦争は、人型によって遂行されるべきだと僕は思っている。こんなものに頼るのは邪道だよ」
「哲学ですか?」
「そんな大層なものじゃないさ」
腰のサーベルに手を置いて、振り向く。
「ラウーダはいつでも動かせるようにしておいてくれ。敵のタイミングが読めない」
「勿論。今日中には仕上げますよ」
歩き出した彼の隣に、カムルが駆け寄る。その顔は青かった。
「どうしたんだい?」
「機体がボロボロになったって……」
「僕は死なないよ」
「でも……」
「信じて。この国で一番強いのは僕だ」
誇言だな、と自覚しながら言った。
「それに、性能差だってすぐに埋まる。大丈夫、君のお友達の為にも負けられないからね、戦果は確実に上げるよ」
冬弥や芽吹を相手にする前に、近い機体は墜としている。撃墜数は五十五を越えた。
不安がる彼女の頬を、マイはそっと撫でる。笑みを見せてから、抱き締めた。
「あれから少し考えた。戦況が落ち着いたら君を娘に迎えよう」
父という得体の知れない存在になるには、はっきり言って脚が竦む。それでも、彼はそうあるべしと自らを奮い立たせた。
「君のために生きるよ。だから、怯えないでほしい」
抱く腕に力を込める。帰る場所などない、と芽吹に吐いたことを思い出した。今、彼はそれを見つけた。
「さ、船に戻ろう。ご飯の時間だからね」
カムルの小さく細い手を握り、歩く。
彼は無意識に記憶の糸を辿っていた。碧海島の、というより主要な作戦は大体参加していたし、民間人だって躊躇わずに殺してきた。
父は傷痍軍人だった。皇国との戦争の最中で左腕を失い、内地に戻ってきた。暴力を振るうようになったのはその後のことだったという。つまり、家庭という居場所を破壊した理由には皇国がある。父への個人的感情は抜きにして、やはり敵国に対する憎悪はあった。
それが溜まりに溜まって狂うようなことはなかったが、逃げ惑う皇国人を殺していると少し愉快な気分になった。
結局は殺人者なのだ、と己を己で規定する。一戦闘単位として為すべきことを為しながら、プリミティヴな快楽を求めているのだ。
(
己を嗤う。この少女と繋がれた手も、血に濡れて赤も赤だ。それを拭うためにこんなことをしているのか、と自身を訝ることもある。だが、それの何が悪いのかとその度に抗弁した。
一つ、父に感謝するべきことがあるとすれば、それは魔力量だ。魔導兵として火炎放射の魔導兵器を運用していた父の血を引いたマイは、それ以上の魔力を持って産まれてきた。そのお蔭で、赫灼騎兵を運用できる。
そして、空戦に於ける天賦の才を備えていたことも。
どちらかが欠けていれば二十九という歳で中隊を預かることはなかっただろう。同期は何人も死に、部下も斃れ、それでも生き残っている。
そんな彼にとって暗い影を落とす存在が、幾つか。冬弥と芽吹。その他一〇八飛行隊の面々。優れたパイロットが鬱陶しい思いと、楽しい思い。
「どうしたんですか?」
知らず知らずのうちに彼は口角を上げていた。
「何でもないよ」
今日の昼食は、カツレツだった。
◆
それから十日。後方の基地で修理を受けた芽吹は、そのまま前線に向かっていた。
「こちら五番。六番、機体の調子は?」
「万全だよ」
「そう」
芽吹はエリカの態度が素っ気ないように思えた。やはりあの返事はまずかったのだろうか、と考える。だがすぐに振り切った。今は戦場に赴いているのだ。
二時間ほど飛んで、敵を魔力探知機に捉えた。
「ムットはいる?」
彼はマイの反応があることを認識しながら問うた。
「わからないわ。でも、速いのがいる」
「高機動型?」
「いえ、もっと速いわ……新型かも」
「ままならないね」
段々と、戦場の様子が見えてくる。その只中に、見慣れない機影があった。肩に三枚の装甲からなるアーマーを備え、一機のそれは緑、もう一機のそれは青。青い方は二振りの剣を握っていた。腰には大ぶりなバインダが備え付けられている。
それがブルガザルノと呼ばれる機種であることは、まだ皇国には伝わっていない。
「一番より五番と六番へ。新型の部隊がいる。気を付けろ」
「了解!」
気を付けろと言われてもな、というのが芽吹の正直な感想だった。性能の断片的な情報でももらえればいいが、そういう状況でもないのだろうということはすぐに理解が及んだ。
「手にあるの、魔力砲かな」
「恐らくそう。出力はわからないけど」
そんなことを話している内に、ブルガザルノの一機がトリガーを引いていた。
「援護よろしく!」
芽吹は増速、斬り合いを挑む。魔力パターンはマイとエスク。青い方が前者で、緑のほうが後者だ。
大きく刀を振るう。だが、軽々受け止められた。スラスタを全開にしての押し合いも、完全に拮抗。
「わかるかい、これがブルガザルノってことだ!」
蹴撃が芽吹を揺らす。二撃、三撃。二振りの刃が打ち下ろされるが、彼は一本の太刀で防御した。
マイが剣を引く。脇に構え、刺突の姿勢。芽吹は素早く後退を始めるが、ブルガザルノの推力は、それを逃がさなかった。頭部のスレスレの所を過ぎていく、銀色の刃。仰向けに起こした機体を一回転させ、彼も前に出る。魔力砲で腕の一本を捥ごうとするも、叶わない。
そこからは、ひたすらに刃を振り合った。右から左から、上から下からと互いに攻めるも、何も決定打にはならない。
「楽しいなあ、メブキ!」
「楽しいもんか!」
機関砲の撃ち合い。砲弾の撃ち合い。攻めあぐねた者同士の、悪足掻きにも似た射撃の応酬だ。
が、それを崩す者があった。一機の一〇式が、マイを蹴り飛ばした。
「六番、加勢しよう」
「隊長!」
二対一。一見すると不利な状況だが、広域通信からは笑い声が聞こえてくる。
「纏めて殺してやる!」
マイは左手の剣を腰に佩くと、その手に魔力砲を握った。そして、突撃。冬弥は距離を取りつつ砲撃を加えるものの、当たりはしなかった。
ブルガザルノの腕部には、ラウーダでは盾に装備されていたマルチランチャが存在する。そこから閃光弾を放ち、視界を晦ましたところで冬弥を襲った。
「隊長!」
「気にするな」
冬弥機は魔力砲を斬られたものの、バイタルパートへの攻撃は防御した。一方でマイは芽吹に向かって魔力を放ち、その行動を抑制する。
「悪くない、ブルガザルノ!」
高揚した声が聞こえてきて、芽吹は思わず舌打ちした。
彼はそのまま魔力砲を向ける。しかし、射線に冬弥が重なる。撃てない。そうやってまごついていると、急速に接近する反応を見た。次いで、横殴りの衝撃。ムットだ。
「また出てきて……ッ!」
Gの中で呻く。左腕にダメージ。徐々に潰されていき、遂には千切れる。解放されたその機体を、百八十度ターンしたムットが叩く。コックピットフレームが悲鳴を上げる。今度こそ終わりか、と思った。だが、違った。
芽吹の機体を高々と掲げたムットは、最期の一撃を食らわせようとしていた。その大仰な動きが隙になった。浩二が吶喊して、右腕を斬り落としたのだ。返す刀で左腕を切断し、コックピットを狙う。
マイがそれを妨害しようと撃ってくるも、冬弥を相手にしながら二機を止めることは不可能だった。二つの刃がラウーダを転用したコア・ユニットを貫く。勝った──二人はそう確信する。しかし、そう簡単に事態は推移しない。
ムットは急加速を始め、あっという間に二人を置き去りにする。
「自動操縦?」
「かもな」
マイの方を見る。冬弥との戦いは、やはりと言うべきか膠着していた。他方で、エリカはギリギリの戦いをしていた。魔力砲を失い、不得手な近接戦闘を強要されている。
「お前はエスクを抑えてくれ。マイは俺と一番でやる」
「了解」
魔力残量を気にしなくていい、というのは気分が楽だった。長距離の移動から即座に激しい戦闘に移行できる。ブルガザルノがどうであるかはわからない。
「六番、遅い!」
「無理言わないで!」
エスクの背後から刀を振り上げて近づく。鋭敏な反応で斬り結ぶも、彼女はそれ以上の戦闘に応じなかった。
「時間だ。また会おう」
飛び去る彼女を追おうとすると
「いい」
と冬弥が言った。刀を無くしていた。
「こちらもかなり損耗した。一度戻って補給を受けるべきだ」
「……了解」
不服ながらも、芽吹はそう言った。