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その日に向けて

「ようこそ、帝国へ」


 船から降りる子供たちに、マイはにこやかに告げた。空は黒く重い雲に覆われている。


「君たちは皇帝陛下の孤児院で暮らすことになる。大丈夫、僕の名前を出せば乱暴する人はいないよ」


 子供たちの男女の内訳は、男四人、女五人。海面に浮かぶニーチャは、何も言わず彼らを見守っていた。


 ここはニザラ島。子供たちは帝都に送られる。だが、カムルだけは違った。


「十五番はどうするんですか?」


 男児が問う。


「あの子はまだ暫く僕の管理下に置く。乱暴はしないよ」


 その男児は他の子供と目を見合わせた。


「それに、彼女はもう十五番じゃない。カムルという名前がある。君たちも、名前で呼び合うんだ」


 名前。”大人”だけが使ってきたものを急に与えられ、困惑する気持ちもマイは理解できる。だが、真っ当な人間になるためには、やはりそれを乗り越える必要があった。


「必ず会いに行く。待っていてほしい」


 マイはタラップを降りて、子供たちを一人ずつ抱き締める。その名前を呼びながら。


 十分ほどかけてそれを終えた彼は、踵を返した。


「君たちの行く道に、光があることを祈る」


 タラップの一番上から敬礼した彼が中に入ると、船は高度を上げた。そして、光のある場所に向かう。





 戦時下に於いても、軍はその広報を忘れない。昇陽の基地は今日、一般に公開されて多数の民間人を受け入れていた。


 そんな中で芽吹は、一〇式を受領した最初のパイロットとして、その足元で群衆に囲まれていた。


「やはり、この機体があればラウーダは敵ではないと?」


 興奮した様子の男がそう問う。手にはメモ帳とペンが握られていた。


「そうですね、最近登場した高機動型に対しても性能的な優位があります」


 慣れない応対。下手な笑いを浮かべながら彼は答える。


「ただ……」

「ただ?」

「いえ、何でもありません」


 敵国のエースに関しては、世論への影響を考慮して伏せるよう伝達されていた。


「翼がないということは、斥力発生装置と下方噴射のみで飛行できるのですか!」


 別の男が言う。


「はい。一つ訂正するのであれば、下方噴射も必要ありません」

「それほどの出力、稼働時間に影響はないのですか?」

「接続器を搭載していますから」

「なるほど……」


 その返事があった時、放送が始まった。


「これより、黒鷲隊による訓練展示を行います──」


 芽吹は身体強化を掛けた体で飛び上がり、機体に素早く乗り込む。


「離れてくださいね!」


 スピーカをONにしてそう告げながら、突き抜けるような青空に向かって浮揚を開始する。一切の排熱を伴わない、無音での飛翔だ。上がる歓声は、あっという間に聞こえなくなった。


「こちら五番。六番、今度は隊長に勝つわよ」

「援護、頼むよ」


 訓練用の装備であることを確認し、増速。向かい側から二機の一〇式。エリカが先制した。映像では太く赤い光として補正されて見えるそれは、空に消えた。


 皇国の運用に於いて、赫灼騎兵は二機で一分隊を構成する。近接戦闘を担当する前衛と、火力支援を担当する後衛から成る。黒鷲隊第一分隊では、一番の冬弥が後衛、二番の浩二が前衛。第三分隊ではエリカが後衛、芽吹が前衛だ。


 戦闘の中心になるのは前衛である。後衛は時折相手の後衛機にカウンタースナイプを行い、その行動を抑制する。そうやって、前衛の戦いを支援するのだ。


「動きが鋭くなったなあ!」


 浩二の高揚した声が芽吹のヘルメットの中で響く。


「負けるわけにはいきませんからね!」


 斬り結ぶ。魔力同士が干渉しあって、火花が散る。両者とも一撃離脱を繰り返しながら、上へ上へ。”魅せる”ものだということを忘れて、あっという間に地上からは豆粒以下の大きさになる高度へ到達してしまう。


「五番、高度落として!」

「え……そうか!」


 目的を思い出した彼はダイヴする。それを追いかける、浩二。背後からの射撃を予測して回避行動をとり、芽吹は見える高度に到達した。実戦なら、地上スレスレまで引っ張って激突させる、なんてこともできたのだろう。だが、今はそういう状況ではない。


 鋭角な動きで上昇し、後ろに控える冬弥機を狙う。しかし、あまりに見え透いていた。冬弥は後退しつつ弾幕を張り、彼の接近を拒みながら浩二の合流を待っていた。結果、事態はその目論見通りに推移した。


 届かない。その苦さを噛み締めながら彼は斬り合う。苦し紛れに放った頭部機関砲が偶然にも相手のカメラに命中する。青いペイントで視界を塞がれた相手に、一撃。撃墜判定だ。


「次!」


 悔しそうに降下する浩二機には目もくれず、残る冬弥機に向かう。刺突の姿勢。魔力砲は牽制未満。左腕に破損判定が下る。それでも。


 結論から言えば、冬弥が一人で二機を片付けてしまった。彼は敢えて接近を選び、素早く芽吹を撃墜。その機体の影から出た瞬間に発砲し、エリカを墜とした。


「甘いな。俺が大人しく射撃に徹すると思っていたのか」

「……思っていました」

「だが二番を墜としたのは見事だった。よくやった」


 褒められたことが嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、マスクの下で芽吹は笑った。


「偶々ですよ、偶々」

「幸運を引き寄せる力があるということだ」


 やけに素直に褒めるな、と思ってしまう芽吹。だが、それを口に出さないデリカシーがあったのか、会話を一方的に打ち切る無思慮さがあったのか、それは定かではない。


 地上に戻った彼を出迎えたのは、不機嫌そうなエリカだった。椅子に逆に座って、口を尖らせて待っていた。


「また負けね」

「でも浩二大尉は墜としたじゃないか」

「私は勝ちたいの。完璧に」

「それはわかるよ。俺だってそうだ」

「じゃあ、なんでそんな平気そうなのよ」

「仲間じゃないか」

「そうだけど……」


 悔しいという感情が理解できないということではない。ただ、手を伸ばしても更にその向こうにいることを当たり前として受け入れているだけだった。


「戻ろう。マスコミが待ってる」


 民間人は立ち入れない、格納庫。その隣に作られたパイロットルームから出ると、カラーコーンの線の向こう側にマイクが見えた。


「大原少尉! 遠島少尉! コメントを!」

「あと一歩及びませんでした」


 とエリカ。


「しかし、有意義なものでした。これを踏まえ、更なる研鑽を重ねて参りたい所存であります」


 胸を張って写真を撮られている彼女の横を、芽吹は通り抜けようとする。しかし、捕まった。


「大原少尉、我が国のトップエースを相手取って、如何でしたか」

「やはり……強かったです。心強いですね、ああいう人がいると。それでは」


 話しかけないでくれ、という雰囲気を前面に押し出して場を切り抜けたがる彼だが、一人の子供が目に留まった。


「サインください」


 学校で使っているのであろう、くたびれたノートとペンを差し出してくる。そういう存在になったという自覚はなかったが、現実を見せられた。彼はしゃがんで応じる。


「君の故郷はどこ?」

天嶺てんれいです」

「大望地方だね。必ず取り戻すよ」


 『大原芽吹』と飾り気のない字で書く。


「がんばってください」


 真っ直ぐな視線に射抜かれて、彼の体は暫し固まった。燃え盛る故郷をその目に映したのか。問いはしないが、一度頷いた。そして、サインに電話番号を添える。


「大望地方を解放したら、ここに電話して、大原芽吹を出してほしいと言うんだ。そしたら、話をしよう」

「……はい!」


 頭を撫でて、立ち上がった。


「あなた、サービス精神あるのね」

「同じなんだ」

「同じ?」

「そう。俺と、同じ。故郷を奪われたんだ。違うのは俺には力があるってこと。なら……背負わなきゃ」


 エリカが彼の背中を叩いた。


「何だよ」

「感心したのよ。私も一緒に背負ってあげる」

「……そうだね。お願いするよ」


 乾き始めた風が流れる中で、二人は群衆の中に戻っていった。


 時間が流れた。日の沈み民間人のいなくなった基地は、しかし未だ騒がしかった。


「赫灼騎兵は! 船に積む!」


 老練な軍曹が叫ぶ。階級としては下の彼にも、パイロットたちは素直に従った。現在、基地では大望地方奪還に向けての準備が行われている。赫灼騎兵を軍艦に乗せて、翠南島の部隊に合わせて動けるようにするのだ。


「翠南島みたいにさくっと行くといいのだけれど」


 愛機の中でエリカが言う。


「面積がでかいから、そう簡単にはいかないと思う。それに、西部諸島を防衛したい敵の心理を考えると、かなり抵抗されるんじゃないかな」


 一足先に格納庫に入った芽吹は、ハンガーに機体を置きながら言う。


「長い戦いになるわね」


 お互い生き延びよう、と口にしようとしたところで、彼は死というものをまた意識してしまった。今度こそ欠員が出るかもしれないと思うと、サアッと血の気が引く。頭を振って、そんなことは有り得ない、と暗示をかけてみる。効果はないが、別に期待はしていなかった。


「急に黙るの、悪い癖だと思うわ」

「……ごめん」

「私語は禁止だぞ」


 冬弥が割り込んでくる。いつものことだった。


 作戦開始まで、後二日。

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