「いや~、これ直すのは無理ですよ」
菱形が頭を掻きながら言う。翠南島基地の格納庫での出来事だ。
「どうにかならない?」
「ユニットごと取り換えることになると思います。でも、赫灼石もかなり劣化してますし、多分新しい機体受領する方が早いですよ」
機体に思い入れはある。それを噛みしめながら芽吹は愛機の顔を見上げた。
「なんでこんな無茶したんですか?」
「高機動型と戦うには、無理をしないといけなかったんだ」
「前線のことはわかりませんけど、メカニックとしては機体を大事にしてほしいですねえ」
当分は予備機だな、とハッチを撫でる。翠南島は明曉島より南にあるので、少しばかり暑い。その熱を孕んだ装甲は、やはり温度が高かった。
「どうします?」
「惜しいけど……そうするしかないのかな」
そう言って機体から離れた時、下の方から
「芽吹!」
と呼ぶ声があった。見下ろせば、エリカだ。
「昇陽行くわよ!」
「また? なんで?」
「ここじゃ駄目!」
彼は足場から飛び降りる。身体強化魔法の恩恵を受ける肉体は、十メートルを越える落下を何ら問題なく熟した。
「──それ、本当?」
士官室の椅子の上で耳打ちされた彼はそんな声を上げた。
「本当。良かったじゃない、タイミングばっちりよ」
破顔しながら彼女は顔の横で掌を見せる。
「何?」
「ハイタッチよ」
若干の戸惑いもありつつ。彼は応じた。
「楽しみね」
「そうかな」
芽吹の表情は決して明るくない。
「時間が必要になる。その間前線を離れるのは……」
「私たち抜きでもどうにかなるわよ」
「違うんだ、マイがその間に死んでしまうんじゃないか、って」
「杞憂でしょ。隊長でも墜とせないんだから」
「だと、いいんだけどね」
苦笑の後、立ち上がる。
「準備をしてくるよ。集合は駅?」
「そうね。みんなで行きましょ」
背中を叩かれて、部屋を出た。
◆
戦艦ニーチャの士官食堂は賑わっていた。久しぶりの果物に湧いていたのだ。
「いちご、美味しいかい?」
マイは向かいのカムルに訊く。彼女は咀嚼しながら頷いた。パンは相変わらず黒く硬いが、それにも慣れた様子で食事を進めていた。
「食糧庫の都合で果物は生じゃ保管できないんだ。悪いね」
今日の食事は、薄く切った牛肉にマッシュポテト、ドライフルーツの苺、葡萄ジュース。翠南島を奪われ、食事は少し質素になった。
「君の故郷はどこなんだい?」
「収容所です」
それ以上の情報を彼は求めなかった。おそらく、外の世界を知ることなく育ったのだろう、ということが容易に予測できたからだ。
「隊長、その子、娘にでもしたらどうです」
髭面の男が半笑いで口を挟む。
「そうだね、戦争が終わったら考えよう」
問題を先送りにする言葉を聞きながら、カムルは俯いていた。
「どうした?」
「私のお父さんになるってことですか?」
「そうなるね」
「私、よくわからないんです。お父さんって何をする人なんですか?」
マイは隣のエスクの顔を見た。そんな彼女は、何の関心も示さずパンを千切っていた。
「僕は親父が苦手でね……」
と話し出す。
「母に暴力を振るっていたよ。勿論、僕にも。だから、逃げるために軍に入った。結果として、その選択は正しかったと言えるだろうね。命を賭けるという行為は、僕の存在を強めてくれる。充実した生……それを実現するには戦場に立つしかなかった」
「隊長、回りくどい言い方はよしてください」
顔を向けずエスクが言った。
「何が言いたいかって言うと、僕は父親の在り方がわからない。従って、君の父親になる資格があるかどうかわからない……Q.E.D.ってところかな」
格好をつけた言い回しをしてから、何の反応もないことに肩を落とす。
「君の望む幸せを与えることはできないかもしれない。それでもいいなら、僕も前向きに考えよう」
カムルはもじもじとしていた。それもそうだ、と彼は思う。彼女の話を聞く限り、少なくとも研究所には同年代の子供がいた。そこから急に離れて適応しきれていないのだろう。そんな状態で養子の話を切り出されても、というところだ。
「一つ、お願いがあります」
「なんだい?」
「みんなを助けてほしいです。私が逃げてきたのも、そうすれば助けを求められるから……子供の中で一人だけ、赫灼騎兵を起動できたから。多分、私が逃げたことでみんなもっと酷い目に遭ってるんだと思うんです。だから……」
「君が逃げてきたのは……明曉島だったね」
「はい」
「上に話してみよう。研究所の情報を流せば、皇国の世論を誘導できるかもしれない」
マイは食事もそこそこに立ち上がる。
「行ってくる。残ったものは自由に分けてくれていい」
「ひゃっほう!」
腹を空かせた隊員が牛肉を一枚頬張った。
司令部に通信を繋いだマイが聞いた声は
「うぅむ……」
という重いものだった。画面の向こうでは、セツラナが苦しい表情をしていた。
「君の言い分もよくわかるがね、世論操作のために部隊を動かすというのは……」
「研究所で実験に利用されているのは、帝国系の血を引く子供たちです。それを救い出すのは、我々帝国軍の責務なのではないでしょうか」
返事は暫くなかった。
「……よかろう。赤髪のエースが望むことだ、多少の無理は通してみよう。だが、失敗すれば、わかっているな」
「ありがとうございます」
「新兵器の魔力攪乱弾を使うといい。技術部も実戦データを欲しがっているからな」
ウリバーゲから吸い出した飛行データによれば、研究所は明曉島西部に存在する。東部にある基地を無視できない。だが、魔力攪乱弾があれば押し通ることができる、かもしれない。
何にせよ、やるべきことが決まったのなら後は簡単だ。
「賽子次第だな……」
顎に手を当てながら格納庫へ向かう。修理の終わった愛機に会うためだ。
「性能は百パーセント出せます。いや、隊長が乗れば百廿パーセント出ますね」
整備士の男は言う。
「ならいい。だいぶ振り回しているから、いい機会だったかもしれないね」
青い機体は沈黙の中に。
「連装砲には魔力攪乱弾をセットしてくれ」
「使うんです?」
「ああ。探知機を掻い潜るのにね」
「わかりました。数はそうないので、慎重に使ってください」
マイは機体に背を向ける。
「おそらく、この船には無茶をさせる。だが安心してほしい。沈むことはない。僕がいる限りね」
◆
高度九千メートル。空気も薄いこの高度をヴィアトレム級三隻から成る艦隊は直掩と共に飛んでいた。青い空に雲は出ていない。しかし、遥か高空を飛ぶ物体に誰が気づくものだろうか。
「敵防空識別圏に入る。各機、魔力攪乱弾を使用」
マイの指示通り、部隊のパイロットは肩の砲のトリガを引いた。射出された砲弾は暫し飛翔した後、炸裂。不可視のフィールドを展開した。地上の担当者は機器の故障を疑うことだろう。
だが、それは彼らとて同じこと。魔力探知機はノイズに覆われ、おそらく敵機が接近しても気づけないだろう、という状態だ。
「予定地点に到達。降下開始」
ある艦から空挺部隊が飛び降りる。高高度降下低高度開傘。隠密性に優れた方式だ。
ラウーダ隊は上空から目視で周囲を監視している。その後、降下が終了したのを見計らって着陸。マイは機体のスピーカのスイッチを入れる。
「我々はハーウ帝国第八艦隊マイ・オッフ隊。実験台となっている子供を解放せよ」
言いつつ、通信機からの報告を聞く。まともな警備は存在せず、制圧は順調に進んでいるようだった。灰色のコンクリートの塊は、何も言わずそこに存在している。
「子供たちよ、安心してほしい。君たちの身の安全は赤髪のエースが保証する」
数十分後、武装した兵に囲まれて十人ほどの子供が建物から出てきた。それに合わせて戦艦が一隻降りてくる。
「乗るんだ。大丈夫、痛い思いはもうしない。十五番も君たちを待っている」
その言葉を聞いて、不安と不信を表に出していた子供たちは少しずつ歩き出した。降着した船からはタラップが出て、その上にはカムルがいる。
(名前を考えないとな)
などと呑気しているうちに、攪乱弾の効果が弱まってくる。ノイズは段々と消えていき、捕捉されるのも時間の問題だ。
もう一隻降りてくる。それは研究員とデータを回収するのだ。
収容が終われば、帰るだけだ。ゆっくりと浮上する戦艦を追い、ラウーダたちも高度を上げる。しかし、アラート。魔力探知機には九一式の反応が映る。
「各機、散開。敵を撃破せよ」
冷静に指示を出した彼は、迷うことなく敵中に飛び込んだ。魔力砲の光を、一切スピードを緩めることなく回避し、ひたすらに前進する。まず一機を斬り捨て、反転。背後をとって油断した敵を撃ち抜いた。
残る反応は四。
(一個小隊か……やはり大掛かりに部隊は動かせないか)
敵の胸中を理解しながら、次へ。だがその必要はなかった。マイ隊はあっという間に敵を殲滅していたのだ。
「帰投するぞ!」
「待ってください」
とエスクの声。
「速い反応が……二。九一式ではありません」
「なんだ?」
彼が見たのは、翼のない機体だった。