目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
あの日を越えて

「緊急発進、緊急発進──」


 アラートが鳴る中を、芽吹とエリカは走っていた。格納庫への扉に手を掛けた、というところで彼女は立ち止まる。


「どうしたの?」

「……怖いの」

「言ってる場合じゃないよ」

「またヴァーティゴになったら、私、今度こそ死んじゃうかもしれないのよ」


 焦る芽吹は乱暴に肩を掴み、振り向かせた。目には涙がある。


「あなた、私に失望したんじゃないの」

「しない。ヴァーティゴは誰にでも起こり得ることだ」

「模擬戦で一発も当てられないで、背中を任せられないって思ったんじゃないの」

「思ってない。前にも言っただろ、君には助けられてる」

「本当に、私でいいの?」

「君がいい」


 格好つけたな──自覚はあった。それでも真っ直ぐ目を見る。


「君と、飛びたいんだ」


 エリカは返事をしないまま目を逸らした。そうして暫く俯いてから、顔を正面に向けた。


「あなたって、意外と気障なこと言うのね」

「気障?」

「そうじゃない。カッコつけちゃって」


 言い返すこともできず、芽吹は黙った。


「じゃ、行きましょう。信じてるわよ」


 その背中から感情を読み取ることはできない。だが、隠した顔は少し赤らんでいた。


 上がった二人は、接近する敵機の反応を捉えた。速度から算出された推定機種は、高機動型。


「逃げられたら追いつけないな。五番、一発でお願い」

「任せなさい」


 対空ロケットを躱しながら、敵は高空を飛んでいる。


 揚力を用いてるとはいえ、下方への噴射があれば空中でも静止はできる。だが、それでは射程に捉えられないことに芽吹は苛立った。動かなければ、ならない。


「そこ!」


 エリカが一射。翼の片方を奪い、ラウーダは風に吹かれた紙飛行機のように、海に向かって墜ちていく。


「もう一撃だ!」

「わかってるわよ!」


 追撃は、コックピットを射抜いた。爆散。破片は海に沈む。


「あっけないな……」

「苦戦する方が好み?」

「そういうわけではないんだけどさ」


 あのパイロットにも一緒に風呂に入る仲間がいたのだろうか、と考えてしまう。過去を明かし合った僚機が、脱走を誘う先輩が。頭を振る。無駄なことだ。戦場に出た以上、殺す殺されるは必然。恨むなら帝国に産まれたことを恨んでくれ、と誰にでもなく願っていた。


「こちら黒鷲一番。そのまま哨戒任務に移れ」

「了解」


 送られてきたルートを確認し、機体をそれに固定する。やることは少ない。魔力探知機の反応を見つつ、必要に応じてコミュニケーションをとるだけだ、


 芽吹は作戦の進行状況を思う。翠南島に存在する主要な都市は三つ。内二つは既に奪還し、残る最後の一つに向けて態勢を整えている状態だ。補給を受け、三日後には攻撃を開始する。そう、聞いていた。


 解放した都市から救出された捕虜の多くは無事だった。皇国と帝国の間にある『戦時下に於ける捕虜の扱いに関する条約』、通称天光条約によって捕虜に対する暴行は禁じられているのだ。古い条約だが、片方が破った際に報復として自軍の捕虜が何をされるかわからないという相互確証破壊的強制力を以て、現在も効力を発揮している。


 しかし、一部の者は人体実験に使用されていた。特殊な薬剤を注入され、廃人と化したその男は最早回復の余地なしとしてその場で安楽死が実行された。


 軍医曰く、魔力量の増強を試みた形跡があるらしい。その代償は大きいが、実用化されればパワーバランスを崩壊させ得るものだという。


(でも、人の命を犠牲にしてまで試すことなんだろうか)


 そこまで考えて、自分が他人の命を奪っていることに気づいた彼は、少し嫌な気持ちになった。


「定期連絡。敵機の反応なし」


 エリカが淡々と状況を報告する。それを聞きながら、芽吹は下を見た。魚が跳ねている。海鳥が狩りをしている。離れたところには漁港が見える。


(俺たちは……)


 空に命を賭けてきて、数カ月。夏は終わりに向かっている。訪れる秋に胸を膨らませる、というわけにもいかないが、翠南島の解放で多少食事事情が改善されないかと思っていた。


「何考えてるの?」

「私語は禁止だろ」

「誰も聞いちゃいないわよ」

「……少し、ご飯が良くなるといいなって思ってた」

「あら、かわいらしいところがあるのね」

「言うなよ」


 不機嫌気味に突き放す。


「あなたって、他人と仲良くしたくないの?」

「そういうわけじゃない。ただ……守り切れないものは抱えたくない」

「傲慢ね」

「傲慢?」

「自分が守る側だと思ってるのが傲慢なのよ。あなただって守られる側なのに」


 反駁するための言葉が見つからなかった。


「守り合うのが仲間ってものでしょ。それくらい言われなくてもわかりなさいよ」


 補給に戻る時、冬弥に背中を任せた。手負いにした敵をエリカに任せた。過去を振り返れば、自分だけでは生きていないことを知らされる。


「あなたは一人じゃない」

「君もだ」

「嬉しいこと言うわね」


 上手い返事が出てこないので、彼はそこで会話を打ち切った。


「そういうところよ」

「何が?」

「自覚がないならいいわ。多分、言っても治らないから」

「……?」


 ルートも折り返し。ゆっくりと旋回する機体の中で、彼は何が至らなかったのかを考えていた。


「最後の街、敵は抵抗するかしら」

「するよ。少なくとも、殿を努める部隊はいる」

「マイの部隊かしらね」

「ここで使い潰すとは思えないけど……撤退の時間を稼がれることは考えないと」


 六十機あった赫灼騎兵も、稼働状態にあるのは三十二機。だが、その殆どは新兵だ。当てにならないな、と思いながら自分も新兵であることに気づいて、芽吹は笑いたくなる。


「もし隊長がやられたら、って考えたことある?」

「ないな。あの人は強いよ。シミュレーションをしたけど、追いつくのが精一杯だった」

「次の作戦も、私たちはエスクの足止めかしらね」

「新米には荷が重いよ」

「弱気ね」

「弱気にもなるよ。僕は死ぬところだった」

「聞こえているぞ」


 冬弥の感情のない声が割り込んできた。


「言訳はいらん。後で話を聞かせてもらう」


 マスクの下で、二人は苦笑した。空はまだ青い。





 もし死んだらどうなるか、というのをマイは時折考える。魔力砲で焼き尽くされるか、あの鋭利な太刀で真っ二つにされるか。どちらにせよ、赫灼石の爆発で粉微塵になるのは間違いない。そうなった時、魂というものはどこに行くのだろう、と想うのだ。


 倒した椅子の上で、照明に向かって手を伸ばしてみる。掴むものは何もない。ディスプレイに映る空は皮肉なほど澄んでいる。もうすぐこの島から尻尾を巻いて逃げるというのに。


「隊長」


 エスクの硬質な声がした。


「物資の搬入が終了したそうです」

「よし、なら出るとしよう」


 跳ねるように彼は起き上がる。キスをして扉を通れば、部下たちが並んでいた。


「マイ・オッフ隊、一世一代の大仕事だ。気張っていくぞ!」

「うおお!」


 鬨の声を聞きながら、彼は格納庫に向かった。





「一番から各機へ。敵は撤退しつつある。我々は殿を叩き、敵に追撃を行う。いいな」

「了解」


 声が重なった。敵の最後尾には、ヴィアトレム級が三隻。そこから出撃した機体の中には青い機体があった。


(今度こそ、エスクに勝つんだ)


 自分の力で。芽吹はグリップを握りこんだ。


「マイ・オッフは俺が抑える。他は好きにしろ」

「好きにしろって言ったってねえ。隊長、何か作戦はないのかい」

「下手に策を弄するより、正面から圧し潰すべきだ。単独行動はするなよ。散開!」


 その言葉を最後に、タッグはそれぞれの戦いに赴いた。エスクの反応を探す芽吹だが、一機、近づいてくるものがあった。青い高機動型だ。


「メブキ! 今日は僕が相手だ!」

「このっ……!」


 勝てるのか、という問いにはやるしかない、と答える。冬弥は別の機体に足止めを食らっている。本当に、やるしかないのだ。


 マイは両の剣を振り上げて迫る。それを芽吹が刀で受け止めると、胸部に蹴りが入った。視界がふらつく間の追撃を、彼は勘で避ける。どうにか、成功した。


 だが、踏まれた。視線でそれを追いかけると、エリカに向けて発砲するのが見えた。コックピットへの直撃ではないが、右腕を奪われる。


「六番!」


 彼女の叫びが聞こえた。今、その命を刈り取らんとするマイに芽吹は体当たりを選んだ。


「スラスタのリミッタを解除! コード八〇八!」

「承認──」


 声を聞くまでもなく、スラスタを全開にする。組み付いたまま急降下。海面に叩き付けてやろうという算段だ。が、そう上手くいくわけでもない。マイは素早く機体をスピンさせ、九一式を振りほどいたのだ。芽吹は危うく自滅するところであったが、すんでのところで姿勢を戻し、高度を若干上げることに成功した。


 両機は、海面上で見合う。先に仕掛けたのは、芽吹だ。魔力砲を避け、近接の間合いに相手を捉え続ける。斬り結ぶ度、火花が散る。魔力同士が干渉しあうことによるエネルギー波だ。


 援護の砲撃が水面を叩き、水柱を立たせる。しかし命中はない。目が三個ついているかのような、的確な回避行動。経験の為せる業だ。


「楽しめるようになったじゃないか、メブキ!」


 魔力残量、六十五パーセント。余裕はない。加えて関節が重い。脚を動かして推力バランスを変更、移動するのが基本だが、思考と駆動とのラグが大きいのだ。


「だが、長くはもたないだろう⁉」

「スラスタのリミッタをデフォルトに再設定!」

「承認」


 図星を指されても、言い返さない。舌戦をする理由はない。


 芽吹は、拡散魔力砲の隙を狙いたかった。一方で、それが露見している以上、迂闊に使ってくることがないこともよく理解していた。苦い。


「今度はこちらから行くよ!」


 二振りの剣が、芽吹を翻弄する。後退に次ぐ後退。このままでは──。大振りな一撃が来る。少し下がって、躱す。僅かにタイミングが合わず、コックピット前の装甲を幾らか削られた。


「魔力砲、出力最大収束率最低!」


 そのまま、魔力砲のトリガーを引いた。横に広がった赤い雨がラウーダの装甲を灼く。その両肩の装甲を穿ち、内側の駆動部に致命的なダメージを与えた。


「一つ、聞きたい」

「何だい?」

「碧海島の攻撃に参加していたか」

「ああ、したよ。それで?」

「……なら、ここで殺す」


 前進。だらんと垂れ下がった両腕は、抵抗の色を見せない。だが、マイも敢えて前に進んだ。予想外の行動に反応が遅れた芽吹は、魔力砲の直撃を右腕に喰らった上で踏みつけられた。


「また会おう! それまで君が生きていれば、だがね!」


 両腕をパージして身軽になった高機動型は、最早追いかけるのも馬鹿らしい速度だった。


 空を見上げる。ラウーダが次々と戦域を離れていく。


「よく生き残ったわね」


 エリカが近づいてきた。


「ほんとだよ。ギリギリだった……」


 魔力はまだある。だが、刀無しの自分に如何ほどの価値があろうか、と自嘲する。


「敵は下がったみたい。帰りましょ」

「そうだね、そうしよう」


 浮上しようとした、その時。背部のメインスラスタがバスバス、ブルルと異音を立てる。


「どうしたの?」

「……イカれたかも」

「はァ~~……脚のスラスタは?」

「生きてる」

「じゃ、ゆっくり帰りなさい。私は先に行ってるわよ」


 斥力発生装置と、脚部スラスタの出力を上げる。煙を吐く機体は、少しずつ高度を上げていった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?