「それで、薬の検査はできたのかい?」
マイは医師に向かってそう問うた。全身をスキャンする大型機械が窓ガラスの向こうに見える、手狭な部屋だった。
「ええ、本国のデータベースと照合しましたが、一部当たるものがありました。魔力増強は研究の最中ですから、あの子が実際にどれほど強化されているのかはわかりませんが──」
「そこはいい。寿命を縮めるようなことは?」
「なんとも……」
医師は蟀谷を押す。
「感覚が多少鈍麻している程度で、身体機能に大きな異常は見られません。強化魔法に依存した結果、パイロットとして見ると筋肉量はかなり少ないですが」
「
「日常生活に差し障るわけではありませんから」
小さく息を零す、マイ。
「手は尽くしていますよ。離脱症状も収まってきていますし、あと二カ月もすればかなり楽になると思われます」
スキャンが終わり、機械から横たわったカムルが露になる。鼻には紅く染まったティッシュを詰めていた。
「何度も吐いているとも聞いたけど」
「それも薬の影響です。鼻血も出ていますが、まあ、どうにかなりますよ」
「いい加減なことを……」
「悲観するほど状況は悪くありません。無理のない範囲で運動もさせていますから、時間をかければよくなるかと」
その時間があるのか、ということをマイはずっと考えていた。医師の言うことを疑ってはいないが、機器から降りた彼女が何歩かふらついたのを見るとどうしてもそうなる。
「しかし、本当にこの船で保護するんですか?」
「言ったろう。本国を信用していないわけじゃないけど、これ以上彼女が傷つくようなことがあってはならないんだ」
「あなたが赤髪のエースとはいえ、ここは前線ですよ」
「守るさ。弱き民のためにザヘルノアはある」
医師の飲み込みかねるという視線を受けながら、マイは部屋を出た。そして、カムルを迎える。そっと手を繋いで、歩く。冷たかった。
「男ばかりの空間で悪いね」
筋骨隆々とした士官が並んで座る士官食堂に連れ込んで、彼は苦笑いしながら言う。白いクロスの敷かれたテーブルの上に、料理が並んでいる。黒パンを主食として、厚切りの牛肉、ポテトサラダ、オニオンスープ、葡萄ジュースだ。
「いえ……研究所もこんな感じでした」
大人に曝露した子供。彼から見た、カムルの評価だ。八歳という幼さで二ヵ国語を操り、そして大人でも計り知れない苦しみを味わった。黒パンを千切りながら、彼はこの幼女の目を見る。慣れない固いパンを嚙みながら、彼女は居心地の悪さを感じていた。
「そうだ、今度君の好きなものを作らせよう。何でも言ってくれ」
「いちごです」
「ドライフルーツならあると思う。今度出せないか聞いてみるよ」
少し明るくなった表情を見て、マイは顔を綻ばせた。
「隊長、俺もいいっすか?」
一人のパイロットが彼の肩に凭れかかって言った。
「そうだね、次の出撃で三機墜としたら考えよう」
「男に二言はないっすよ。隊長」
「ああ、誓うよ」
拳を突き合わせて、それで終わりだ。
「今の人は?」
「イグユだよ。腕は確かだ」
そう言ってマイは葡萄ジュースを飲んだ。ワインの代わりだ。
「隊長、また連れてきたのですか」
硬い声を発したのは、エスク。見下ろす格好だ。
「パイロットなら士官だろ?」
「正規の軍人ではないですし、何より扱いは難民です。通常の食堂を利用させるべきかと」
委縮したカムルを見て、彼女は溜息を吐き出した。
「隊長に甘える気持ちにわかりますが、ここは軍隊。規則に従うことが何より優先されるのです」
「知らない人間ばかりなんだ、少しくらいいだろう?」
「気にするな、という命令ならば従いますが」
「じゃあ命令だ。この子に関して口を出すな」
「了解」
マイの隣に座った彼女の表情は決して明るいものではなかった。
「どうしたんだい?」
「お気になさらず。作戦に支障はありません」
にべもない。だが彼は微笑むだけだ。
「翠南島の維持は難しいだろうね」
出し抜けに彼は口を開いた。
「ええ。皇国は連邦から赫灼石の支援を受けたとか」
「港を貸し出す見返りか……敵の新型は?」
「まだ情報を掴み切れていませんが、カムルが持ち出した機体を見るに、パワーではラウーダを圧倒するでしょう」
「嫌な予測だ」
皇国は、上陸に先立って空挺部隊を展開させた。結果、帝国は上陸阻止作戦で最も重要だった対空陣地を多数失い、ほぼ一方的に揚陸を許してしまった。高高度降下高高度開傘を採用した攻撃だった。魔力探知機の範囲外から降下させ、数秒の自由落下の後パラシュートを開いたのだ。
(認めたくはないけど、歩兵の錬度は皇国の方が上だな)
だから敗けた。加えて、翠南島に配備されていた赫灼騎兵は三十機ほどだった。急遽大望地方とニザラ島から増援を送ったが、それで対等といったところ。
「共和国との戦争に備えて諸島は維持しなければならない……嫌になるね」
「万が一本土に踏み込まれた場合、共和国はどう動くのでしょう」
「皇国に便乗して攻め込んでくるかもね」
軽い口調だった。
「貴方のそういうところが苦手です。現実的な問題を、どうでもいいように語る」
「僕なりに考えているよ。でも、いくら僕個人が強くても大勢を変えることはできない。せいぜい局地的な勝利を得るだけ。結局はね、上の人間がどういう判断をするかだ」
そう話しながら、彼は立つ。
「一騎討で全てが決するないいんだけどね。余計な死人が出ないで済む」
下士官が寄ってきて、彼の食器を持ち上げた。
「エスク、手早くメブキを殺してくれ。トウヤとの戦いを邪魔されたくない」
「了解」
不服と牛肉を、彼女は一緒に飲み込んだ。高い椅子から降りたカムルが後をついていくのを、疎ましく見た。
◆
芽吹とエリカは、実機での訓練を行っていた。緑と赤で塗装された九一式が敵役となる訓練だ。所謂アグレッサ部隊。その操縦技術は卓越したもので、二人がかりで仕掛けても、右へ右へ避けていき、一発たりとも命中しなかった。
魔力砲からは極めて低出力の光線を放ち、刀は柄だけで、そこから微弱な魔力で形成された刃が出ている。だが、機動に追いつけなければ何であれ変わらなかった。
海と空の間を駆け巡りながら、二人は必死に食らいつく。一瞬真正面に捉えたと思えば、次に瞬間には背後に回られている。芽吹は、既に三十回死んでいた。
「すばしっこいんだから!」
エリカの愚痴が聞こえてくる。
「射撃じゃ駄目だ。追いかけないと!」
「わかってる。でも私斬り合い苦手なの!」
「でも、このままじゃ負けるんだ」
舌打ちの後、彼女の機体が増速した。並んでアグレッサの背中についた。上に下に振り回されつつ放った射撃は、見透かしたように避けられる。が、それでよかった。回避行動を読んで、芽吹が仕掛けた。全力を解放するつもりの、突撃。
判定は、勝利だった。しかし、それに酔っている暇はなかった。
「よくやった──」
「芽吹!」
パニックに陥ったような、悲痛な声。
「高度が落とせない!」
魔力探知機で位置を確認してそちらを見ると、エリカ機が急降下していた。僅かな間に芽吹は思考を巡らせた。
「落ちてる!」
「え⁉」
「落ちてるんだよ! 高度計を見るんだ!」
そう助言しながら、芽吹も近づいていく。刀を腿に懸架し、腕を掴む。
「メインスラスタ強制停止! 早く!」
「きょ、強制停止!」
背部スラスタへの魔力供給が止められると、彼女の機体は芽吹に引っ張られ上昇を始めた。
そこから帰還するまで、エリカは一言も話さなかった。食事で隣になっても、そっぽを向いたまま。感謝の一言くらい言ってくれてもいいじゃないか、と思いつつ風呂に入る。パイロット四人が一篇に入ると流石に湯舟は狭かった。
「ま、気にすんな」
浩二が言う。
「素直になれない時ってのは誰にでもあるからな」
「そういうものですかね」
「そんだけでかいんだろ、感情が」
彼はそう言いながら湯船から出た。
「ゆっくり待つのも大事だ」
洋太も出ていく。
「人間関係は意のままにならないものだ。焦るな」
冬弥まで去って、ぽつねんと一人残された芽吹は脚を伸ばした。海水を汲み上げて真水に変える魔導式によって、この入浴は支えられている。
(傲慢、なんだろうか)
感謝されて当然という考え方自体が間違っているのではないのか、という疑念が首を擡げる。それを冷静に観察しながら、脱衣所に。青いボーダーの寝巻に着替えて、パイロットルームで水を飲んだ。誰もいない部屋には、グビリという音が響く。紙コップを握って椅子に座った時、扉が開いた。
「あの、さ」
エリカの声だ。
「その……ありがとう」
振り向いた彼が見たのは、赤い目だった。
「泣いたの?」
「言わないで」
沈黙。芽吹は何か声をかけるべきだという考えと、そうではないという考えに挟まれて言葉を紡げないでいた。
「怖かった」
「え?」
「あなたが気づいてくれなかったら、今頃海面に叩き付けられて死んでた。だから、ありがとう」
「えっと──」
返す前に、彼女は走り去った。走り去ってしまった。それほど涙を恥じるのか。
「少しくらい、話をしてくれてもいいじゃないか……」
その呟きは、虚空に消えた。