もし戦争がなかったら、ということを芽吹はコックピットの中で考えていた。赫灼石鉱山の労働者になっていたのか、魔力量故の将来を見込まれて同じ道を歩んでいたのか。どちらでも良かった。喪ったものは、二度と戻らない。
「出撃地点に到達。赫灼騎兵は、お願いします」
具体性を欠く指示に従い、彼は機体を動かす。
現在、皇国軍は翠南島中部の都市の攻略に入った。しかし、航空優勢を保持しきれず、前進できていない。
それを打破するのが、黒鷲隊の役目だ。全員が勲章持ち。期待は重く、自信はない。
(マイは出てくる)
直感的に悟った。根拠は必要ない。
「パイロットに射出タイミングを譲渡」
「大原芽吹、九一式、出ます!」
数秒の加速の後飛び立った彼は、空に向かって放たれる弾丸を見た。
(対空砲が潰されてないのか?)
そうなると、面倒だ。九一式の装甲は薄い。一発で墜ちるわけではないだろうが、喰らって無視できるものでもない。
「五番から六番へ。気をつけなさいよ」
「そっちこそ」
前進。ロケット弾を躱しながら、対空陣地に魔力砲を叩き込む。動かない相手なら外すわけもなかった。その操作に当たっていた兵は骨の一欠片も残さず蒸発した。
同じ九一式が地面を滑走し、その魔力砲で敵を撃ち抜く。どうにかトーチカに辿り着いた歩兵が手榴弾を投げ込んで制圧する。それが戦場だ。空を飛ぶ者だけが戦っているわけではない。芽吹もそれは理解している。だが、見続けるのは、辛かった。
赫灼騎兵が人型である理由を、彼はふと思い出した。かつて存在した異形の生物に対抗する兵器として、赫灼騎兵は誕生した。人ならざるモノへのアンチとして作られた故に、それは人型でなければならなかった。そしてその異形が駆逐されて人同士が争うようになっても、その人型は維持された。
同時に、赫灼石と魔術師という貴重なリソースを最大限活用するために、想定され得るあらゆる兵器の役割を包括的に熟せることも求められた。陸上でも、海上でも、空中でも活躍できる兵器。
だが、一つだけ代替できないものがある。歩兵だ。歩兵ほど小回りの利く”兵器”は存在しないのだ。施設の制圧、市街地戦。もしくは治安維持。そういう小さな戦闘をこなす者が歩兵なのだ。
有刺鉄線が施された野戦築城を乗り越えて、塹壕の向こう側にいる兵士を撃ち殺す。視界の端にそれを捉えた芽吹は、一度瞬きして前を見た。
「来たわ」
エリカの声。ラウーダが近づいてきていた。
「背中は任せた!」
牽制半分、当てる気半分の射撃を外しながら、刀の間合いに持ち込む。通常型だ。九一式から逃げられる性能ではないから、受けて立つしかない。それを踏まえて、彼は得物を振り上げた。
バターにナイフを入れるように斬り裂かれる、緑の装甲。黒いフレームを断ち切り、赫灼石を破壊する。爆発の直前に、次の敵に向かった。
シールドごとの体当たり。それを受けて体勢が崩れたのをチャンスと捉え、そのラウーダは胸を大きく広げた発射姿勢に入る。が、その慢心がいけなかった。素早く機体をコントロールした芽吹は、すぐさま刺突を繰り出す。結果、魔力砲に一撃を食らったラウーダは敢え無く爆散した。
然るに、彼の関心は別のところにあった。マイ・オッフ。あの青い機体が現れやしないかと常に気を張っていた。機体の頭部は忙しなく左右に動いて、鋭敏な魔力探知機は有象無象の存在を告げていた。
一つ、アラート。登録済みの魔力パターン。
「エスク・カジャハッヂ?」
エリカが言う。
「みたいだ。援護、よろしく」
反応は三時の方向。そちらに向けて彼は飛んだ。
「こちら一番。六番、五番、マイの部隊が来た。お前はエスクを抑えてくれ。マイは俺がどうにかする」
「了解」
高機動型。戦訓を活かすなら、フルスロットルでの機動を抑制できる乱戦の只中に飛び込むか。だが主戦場は少し離れていて、合流するまでに追いつかれそうだった。
「久しいな」
救難信号チャンネルからの通信。
「会いたくなんてない!」
結果、彼は後ろを信じて吶喊することしかできなかった。それでも、学んではいる。正面からの押し合いで勝てないとわかれば、馬鹿正直に打ち合わず一撃離脱を試みる。それくらいの脳はある。エリカが砲撃で動きを制限して、そこに飛び込むのだ。
時折徹甲榴弾や機関砲を織り交ぜて、翻弄できないかとやってみる。意味は殆どなかった。前者は簡単に躱され、後者は装甲を貫くには至らなかった。
作戦としては、まずまずだった。腕を持っていくようなことはできなかったが、少なくともエース一人の動きを抑制することはできた。が、いつまでもそれが可能なわけではない。一〇式魔力砲に装填されている赫灼石は六つ。最大出力六発、通常出力三十六発分だ。
「少しは成長したということか!」
拡散魔力砲をどうにか避けて、接近。
ラウーダの魔力砲には、一つ欠点がある。貫通を目的とした収束砲と、広範囲へのダメージを優先する拡散砲。後者の場合は、その光量故に一瞬カメラがホワイトアウトするのだ。狙うべきは、そこ。
動きがとれないその瞬間、芽吹は大きく振りかぶって距離を詰めた。直撃コース。不可避。彼は勝利の美酒に酔わされた。故に、相手の勘の鋭さを過小評価してしまった。
刀が触れたのは、盾。僅かに逸れた太刀はそれを断ち切り、左肩を裂いた。しかし、殺せはしなかった。それが命取りになった。
ほぼ密着状態から放たれんとする魔力。姿勢を戻す時間はない。このまま急加速で離脱できるか。否。返す刀で無力化できるか。否。死に追いつかれる。その恐怖が、心臓を凍らせた。
それでも、彼は死ななかった。横からの紅い光芒が高機動型の頭を射抜いたのだ。
「邪魔が入ったな。メブキ、また会おう」
空の彼方に消えていくその緑の機体にエリカは武器を向けた。左手のトリガを引こうとしたその時、上空から魔力の雨。どうにか避け切った彼女は視線をエスク機に戻すが、既に射程圏外だった。
「危なかったねえ」
優子だった。
「魔力、足りてるかい?」
「問題ありません」
「なら前進だ。隊長がマイを引き付けてる間に、敵を追い出してやりな」
芽吹は魔力探知機を見る。地図と重ね合わせてみると、都市上空では乱戦が繰り広げられているのが見えた。
「六番から五番へ。魔力砲の弾数は大丈夫?」
「余裕あり。援護に差し障りはないわ」
魔力残量は七十三パーセント。まだまだやれる。
九一式の魔力砲は、機体腕部の赫灼石からの魔力供給に対応している。片腕で最大出力二発分の補給が可能だ。芽吹にはあまり縁のないことだが。
都市上空へ侵入。向かってきたラウーダをいなし、蹴り飛ばす。ふらついたところを狙って、射撃を加えた。命中。
「あら、射撃上手くなったのね」
「まあね、努力はしてる」
軽口を叩きながらとにかく前へ。シールドランチャから放たれる弾丸を潜り抜け、肩部連装砲の砲弾を斬り、胸を刺す。
「次!」
無意識に声が出た。相手の頭を突き刺し、引き抜いてから脚の一撃を食らわせる。そこにエリカの援護射撃。いつものパターンだ。共同撃墜のスコアは折半。それでよかった。彼の目的はスコアではない。
それから一時間。戦況は大きく皇国側に傾いた。帝国の赫灼騎兵は後退し、空は皇国のものとなる。母艦に戻った芽吹は飛行服のままパイロットルームのソファへ乱暴に座った。
背凭れに体を預けて、天井を見上げる。重くなった瞼を、頬に当たる冷たいものが留めた。
「お疲れ様」
缶ジュースを持ったエリカがそこにいた。
「ありがと」
彼女は何も言わず隣に座る。それに視線もやらず、芽吹は壁に掛けられた絵画の一枚を見た。丘の上に旗を立てる歩兵たちの絵。パイロットがための部屋には相応しくないのではないだろうか、と思う。
「今日も生き残れたわね」
「うん。でも……マイに立ち向かうことすらできなかった。隊長にまかせっきりじゃ駄目だと思うんだ」
「勝てないって思われてるのよ。もっと結果を出さなきゃ」
「出してるだろ。自慢するわけじゃないけど、もう二桁は墜としてる」
「あのエスクってのに勝たない限り、マイを相手する機会なんて来ないわ」
「はっきり言うね」
「誤魔化したところで意味がないもの」
少し不服だが、それは兎も角芽吹はジュースを飲んだ。
「敵は空を取り返しに来るだろうか」
「来るわ。確実に」
「だとして……マイの部隊もいるのかな」
「聞く限りじゃ、マイは隊長に執心してる。チャンスを狙ってると思うわ」
「多分、今の俺はマイにとっては下らない存在なんだろうな。だからエスクをぶつけてくる」
「いいじゃない。目を付けられたら生きて帰れるかどうかわからないのよ」
「……俺は戦いたいよ。あいつが家族を殺したことを覚えてるか聞いてみたいんだ」
「多分忘れてるわ。対地攻撃なんて、空から見たら豆粒を撃つようなものだもの」
豆粒。それが少し芽吹の癇に障った。だが抑え込む。悪気はないのだ。
「でも、そうね。私もマイとあなたが戦っているところを支援できる気がしないわ」
そう言って彼女は立ち上がる。後ろ姿を見た芽吹は、その美しいことに驚いた。
「お互い強くなりましょう。死なないように」
ニヒルな笑いを見せて、去っていった。
「強く、か」
呟く。
「わからないよな、強さなんて」
シミュレーションのスコア、実戦のスコア。そういうものでしか量れない。しかしそれが全てを表すわけではない。運という如何ともし難いものが絡んできて、本当の実力なんてものはどうしたところで見えてこないのだ。
「やっておくか」
彼も部屋を出る。行先は、格納庫だ。
◆
「珍しいね、君が機体を壊すなんて」
ラウーダから降りてきたエスクに、マイはそう声を掛けた。
「横槍が入りましたので。本意ではありませんが、撤退を選びました」
「それでいい。パイロットは貴重だからね、生き残ることが一番大事だ」
ヘルメットを外した彼女は、髪を纏める。
「メブキ、成長していたかい?」
「ラウーダの弱点を理解したようです。拡散砲の隙を狙われました」
「悪くない。僕もつまみ食いしておきたいが……トウヤがいる」
何度も剣を交えてなお、冬弥は腕の一本も許していなかった。
「いつも悪いね、露払いばっかりで。偶には強敵と戦いたいんじゃないか?」
「私は長生きしたいですから」
「君なら負けないよ」
「お世辞をどうも」
ブーツの固い靴底が、金属の足場を叩いて甲高い音を立てる。
「それじゃ、僕はカムルの様子を見てくるよ。君は来るかい?」
「いえ。お構いなく」
カムルが来て、マイはエスクに掛ける時間を減らした。それが嫌だった。
(子供に嫉妬するべきではない)
わかっていても、止められなかった。