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間隙

 皇国ホテルの一室。スイートルームで、芽吹は白いシャツのまま横になっていた。隣のベッドには放り投げられた礼服がある。


「疲れたな……」


 思わず呟く。天子に直接会っての授与式だった。皇国軍人としてある程度の愛国心は持ち合わせているつもりだったが、いざ天子を直接見るとあまりに普通の人間で面食らった。こんな老人が、支配者なのかと。


 寝返りを打つ。時計は午後十一時。魔力を抽出所から引っ張ってきて部屋を照らす魔導灯の光に照らされながら、むっくりと起き上がる。酒は飲んでいないが、晩餐会でかなりの量を食べさせられた。腹が重い。そんな様子で、テレビの釦を押して電源をつけた。流れ出すニュース。


 テレビというものも、魔力で動く。市街地全体に張り巡らされた魔力ネットワークを通じて送られてくるエネルギを使っている。一部では惑星の魂に依存しない電気なるものの研究がされているらしいが、魔力以上の効率は得られないでいる。


 翠南島の戦況が報じられている。順調に制圧は進んでいるとのことだが、芽吹の関心は別のところにあった。青い機体だ。しかしそれについてキャスターは触れることなく国内ニュースを吐き出す。


(そうだよな)


 納得はできる。国が不利な報道をさせるわけがない。況や、敵のエースをや。


 ソファに腰掛けながら、敵のことを考える。高機動型ラウーダの推力は、おそらく九一式を上回っている。それもそうだ、通常型の時点で互角なのだから。


(一撃離脱で戦うか?)


 仮に胸部装甲を減らしたとて、重量と推力の比に於いて九一式は敵に水をあけている。加速力なら上ということだ。だが、自分の得意とする領分が斬り合いだということもわかっている。


(もっと射撃をうまく使えればいいんだけど……)


 先日、シミュレーションで意識して射撃を織り交ぜてみた。命中率は三十二パーセント。はっきり言って、自分がパイロットになれたのは勿体ないからだ、というのを理解する。機体を起動できるなら、多少下手でも戦力にしたいという国の思惑。


 自己研鑽だ。兎に角、研鑽。本来ならここでグダグダしている余裕などないのだ。


 目を閉じる。すると湧いてくる記憶。燃える街。青い機体。消し飛ぶ家族。折れた腕。息が浅く、荒くなる。


 そこで、ベルがなった。一体誰が、という問いに対する答えは、エリカだった。短いブルーのキュロットスカートを穿いている。


「散歩しない? 二人で」

「いいけど、なんで?」

「理由が必要?」


 問い返されて、芽吹は窮した。数瞬考えて、頷いた。


「行こう」


 スラックスにシャツという格好は、幾らかフォーマルな印象を周囲の人間に与えた。しかし、彼はそういったことを気にしない。寝静まり始めた街にすれ違う人間もそう多くはないからだ。


「やっぱり、都会は違うわね」


 高層ビルが並ぶ、昇陽という街。皇都という肩書に嘘偽りはなかった。ふと、バス停の時刻表を見た。既に最後の便は出ている。


「どうしたの?」

「なんでもない。ただ……いつか、誰でも車を持てるようになるのかな、って思って」

「抽出機が小型化したとは言っても、安くはないわ。個人で車を所有する時代はまだ先よ」


 魔導灯の冷酷な光は、少し前に行くエリカを照らす。


「あのさ」


 彼はそう呼び止めた。


「いつも助けてくれて、その……ありがとう」

「何、急に」


 クスリ、彼女は笑う。


「でも、そうね。こちらこそありがとう。あなたが前にいるから、私は死んでないんだと思う。これからもよろしく」


 白い光の中に笑みを浮かべる彼女に、芽吹は何も言えなかった。言わなかった、のかもしれない。どちらでもよかった。


 しかし、エリカの機体も先の戦いで大きく傷ついた。具体的には、左腕と両脚を喪った。それを思うと、芽吹は素直に彼女の言葉を受け止められないでいた。


「まあ、もう少し射撃は上手くなってほしいけれど。剣ばっかりじゃ危なっかしくて見てられないわ」

「それは……」


 言葉を選べない彼に、エリカは近づいて、少し背伸びをして額を小突いた。


「お互い強くなりましょ。あなたの故郷を取り戻すためにも」

「そうだね。それはその通りだ」


 肯定。いつの日か立つ、いや、立ちたい戦場に向けて進み続けなければならないということを彼は再確認する。


「あなた、ニュース出てたわよ」

「俺が?」

「ええ。新進気鋭のエースだって」

「恥ずかしいな」

「その内インタビュー受けたりして」


 苦笑いを返す。プロパガンダに利用されるのは軍人としての定めなのかもしれない、と彼は思う。戦争にはヒーローが必要だ。国民を先導する、英雄が。


「でも、エースなら君もそうじゃないか」

「私は産まれのことがあるから」

「それは……」


 慰めたいのか、ということも彼には判然としない。ただ、口を衝いて出てきた二度目の言葉が漏れただけだ。


「天子様のこと、どう思った?」


 話題を振る。重めの空気を彼は払いたかった。


「小さいな、って。国を背負ってるとは思えなかったわ」

「俺も同じ感想だよ。あんな……いや、よくないな」

「そうね、軍人として言葉は選ぶべきだわ」


 あの人のために命を賭けたいか、と彼は問うところだった。だが、そんなことを聞かれてしまえば首が飛ぶ。


「でも、この道を選んだことは後悔してないわ。スリルがあっていいじゃない」


 そう言う彼女の表情は、素直に冗談として受け入れていいものかわからなかった。彼にとっては、そうだった。


「俺は……」


 後悔。あるかどうかは、答えが出ない。こうするしかなかったと言えばそうであるし、事実彼自身そう考えていた。だが、いざ振り返ってみると何も軍に入らずとも学費のかからない生き方はあった。無論、そうすれば復讐は叶わないが。


「どうしたの?」

「何でもない。歩こう」


 更けていく夜の中を、二人は進んだ。傾き始めた月が静かに見ていた。





 戦艦ニーチャがニザラと呼ばれる島に入った。ハーウ帝国南部に存在するこの土地は、マイが属する第八艦隊の拠点となっていた。


「こいつが、件の新型か」


 魔導義眼の左目を動かしながら、大男が言った。真っ青な空の下、カムルが持ち出した機体がクレーンで運び出されている。


「スラスタのパワーはラウーダを大きく上回っています。これが量産されれば、戦況をひっくり返せるかと」


 マイがその隣で言う。二人とも白い開襟のジャケットを着ていた。


「見た目は九一式と変わらんな」

「脚が違いますよ、中将」


 中将と呼ばれたその男の名はセツラナ・ソルド。第八艦隊司令である。


「ふむ……しかし、追跡もされなかったのだろう?」

「カムルの存在を公にしたくないのでしょう」

「もしくは、最早機密にする価値がない、ですね?」


 エスクが後ろから話しかける。


「なるほど。諸君の見解はわかった。私見を述べるとするなら、既に開発された新型にはより革新的な技術が組み込まれている可能性もある」

「と、言いますと?」


 理解した上で、マイは持ち上げるようなことを言った。


「接続器だ。小型接続器を搭載し、稼働時間という限界をなくした赫灼騎兵ザヘルノアを作っているのかもしれん」

「しかし、その点に於いては我々も変わらないのでは?」


 鎌を掛けた。帝国の新型機については、マイも噂程度の情報しか持っていない。


「どうだろうな」


 マイは視線を新型に戻した。


「あの機体、何と呼称すべきだろうな」

「我々が飛躍するための生贄、という意味でウリバーゲというのはどうでしょう」

「悪くない。そうしよう」


 ウリバーゲは別の船に移される。輸送船だ。六角柱を三つ組み合わせたような形状のそれは、鈍足だが赫灼騎兵を廿機運搬できる。一方で、管制や整備といった機能を持たないため、前線には送られない。


「魔導スラスタがどうのこうの、と聞いたが」

「新方式を採用しているようです。魔力効率が改善されていると言っていました」

「ブルガザルノ開発の一助になるやもしれんな」

「ブルガザルノ?」


 意地悪な笑みを浮かべ、マイは問い返した。


「……聞かなかったことにしてくれ」


 ブルガザルノ。『偉大さ』を意味する語だ。なるほど、新型に冠するにはちょうどいい名前だと彼は認めた。だが、その後のことを考えていない名前だとも思った。


(まあ、それは上が考えることか)


 機体の名前などどうでもいいことだった。重要なのは、性能。九一式を一方的に嬲り殺せればそれで満足する。


「スラスタのパワーがあがることはいいのですが、フレームの剛性はどうなのでしょう」


 エスクの不安げな質問に、彼は振り返って答える。


「高機動型の時点で限界が来ているからね、フレームレベルからの新造になるとは思うけど……僕は設計局を信頼してるよ」

「あなたがそう言うのなら……」


 移動を終えたクレーンが船から離れる。


「補給はやらせる。翠南島に間に合えばいいが、そうでなければ大望地方の防衛に回す」

「了解。では、失礼します」


 マイはエスクを連れて歩き出す。雲が流れていく。


「今日は収穫があったね」

「ええ。新型が楽しみです」


 口角を上げた彼に


「あ、あの!」


 と呼び止める声。向けば、カムルがいた。誰のものか、白いTシャツを着ている。隈はまだ消えていなかった。


「ありがとう、ございました」


 深々と頭を下げる。


「君のことは調べておきたい。しばらく僕らの船にいられるように手配したよ」

「調べる……?」

「乱暴はしない。薬を飲ませることもない。いや、造影剤くらいは飲んでもらうかもしれないが、人間らしい生活を保障するよ」


 一瞬影がかかった表情が明るくなる。マイも微笑んだ。頭を撫でて、抱き締める。


「君を弄んだ報いは受けさせる。必ず、皇国を滅ぼすよ」

「滅ぼすなんて、そんな」

「君が十五番ということは他にもいるんだろう? 全員救い出すさ」


 彼女はそれ以上のことを言わなかった。モジモジとして、両の人差し指を突き合わせていた。マイが離れる。


「信じてほしい。あの機体も無駄にはしない」


 気障な笑いを浮かべる彼に、カムルは気後れするように俯いた。


「大人は怖いかい?」

「そういうわけじゃ、ないんですけど」


 マイは幾何学的美しさのある回れ右を見せる。


「君のことは守り抜くよ」


 口約束だが、彼は確固たる自信を持っていた。やることなすこと全てに対し、彼はそういう態度をとる。左腰に佩いたサーベルも、右腿のホルスタに納められた拳銃も、どこか気取っているようだった。


「それじゃ、僕は訓練をしてくるよ。ゆっくり休むんだよ」


 そう言い残して、エスクと歩いていく。カツンカツン、とブーツが音を立てた。

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