「なぜリミッタを解除した」
機体から降りた芽吹を待っていたのは、冬弥のその言葉だった。
「追い込まれたんです」
「信じよう。だが、報告書は提出してもらう。機体がオーバーホールに入るのだからな」
「了解」
黒鷲隊は、一旦明曉島基地に帰還することになった。機体の半数が損傷し、加えて先述の事項があるからだ。
「よく帰ってきた」
去っていく背中に、芽吹は敬礼を送った。
彼の愛機は背部ユニットを外された上でトレーラに乗せられ、運び出されていく。少し、寂しい。
「あなたねえ……」
背後から呆れた声が聞こえてくる。振り返ると、エリカがいた。
「無理はするなって言ったじゃないの」
「したくてしたわけじゃない。ああしなきゃ今頃海の藻屑だった」
「そ。なが~い報告書をとっとと書き終えなさい」
芽吹の胸を叩いて、彼女も歩いていく。
「機体に感謝しなさいよ」
「感謝……」
赫灼騎兵には魔導人格OSが搭載されている。人間の感情や思考を模した魔導式を封じ込めた魔術の塊だ。それによってパイロットと機体はコミュニケーションが可能であるだけでなく、その思惟から操縦に必要な部分だけを取り出すことができるのだ。
それに感謝を述べるとどうなるか、というのは彼自身試したことがなかった。今になってはそれも遅い。
着替えた彼は、事務室で書類を受け取り、士官室に入った。上等な革椅子の並ぶ部屋だ。その一つに腰掛け、リミッタ解除を使用することになった経緯を事細かに書き始めた。
◆
「どうだった?」
ヴィアトレム級機動戦艦『ニーチャ』のパイロットルームで、マイが紅茶片手に問うた。
「機体を駄目にする勢いで仕掛けてきました」
問われたのは、エスク。椅子に脚を揃えて座っていた。
「例の新兵だよね。最初はすぐ死ぬと思ってたけど、意外とやるんだ」
「生への執着は感じます。放置しておけば害を成すでしょうね」
「いいね、次で殺せなかったら僕が相手するよ」
「トウヤはどうなさるので?」
「君に時間を稼いでもらう」
「はあ……わかりましたよ」
「悪いね」
「慣れていますから。それで、その新兵を殺した後はもちろん応援に来てもらえるんですよね?」
「勿論。新兵くんの名前は訊いたかい?」
「メブキ、と名乗っていました」
「いい名前だね」
そう言った時、サイレン。
「所属不明機接近、パイロットは発進用意」
「行こうか」
真っ青な空に上がった二人は、真っ直ぐ向かってくる機体を認めた。
「武器がない……?」
マイは不審がった。
「わ、私は!」
救難信号チャンネルから聞こえてくる。子供の声だ。帝国語。
「脱走兵です! 逃げてきたんです! 助けてください!」
それを聞きながらも、マイはトリガーに指をかけていた。
「どうしますか」
「機体に爆弾が仕掛けられてる可能性だってある。一旦小島に下ろさせよう」
マイはゆっくりと九一式らしい機体に近づいた。そして、先程言った通りの指示を出した。
小島に降着したその機体に対し、彼はスキャンを行う。カメラに仕込まれた魔導式によって、そういうことをできるように指揮官機は改修されているのだ。無論、魔力の消費量も大きいので、実戦でこれを使うことはほとんどない。
「爆弾どころか、弾も全部抜かれてるね」
「そうです! だから、どうか!」
「まずは降りるんだ。話はそれからだよ」
機体の手に、パイロットが姿を見せる。少女、いや幼女だ。髪は白く、目元には隈があり、頬は痩せている。手術着のようなものに包まれた全身が、異常なほどに細かった。
「名前は?」
「十五番、って呼ばれてました」
それでマイは全てを察した。名前ではなく番号で管理される、その意味を。
「この手に乗るんだ。君を船まで連れて行く」
「あの機体も一緒にお願いします。きっと、役に立ちます」
「わかった。エスク!」
「聞いていますよ」
緑の高機動型が、主を失った機体を持ち上げる。
幼女は、まず尋問室に入れられた。マイも心が痛むが、仕方のないことだった。せめて、自ら尋問することでその罪悪感を打ち消そうとしていた。
「十五番、だったね。まずは君に名前をあげよう。カムルでいいかい?」
白を意味する言葉だ。
「はい、わかりました」
「いくつだい?」
「八つです」
「君の体の発達具合からして、強化魔法を使わなければ赫灼騎兵の操縦なんてできるはずがない。そうだろう?」
「その通りです」
「何が、あったんだい」
「……よくわからないんですけど、魔力量を増やす実験を」
「へえ……」
魔力量は産まれながらにして決まっている。だからパイロットは貴重なのだ。
「カムル、君の体を調べていいかい?」
「大丈夫です」
「よし、なら早速始めよう」
医務室に連れて行く。そこでスキャン魔術を用いて、体全体を透視する。結果は、残酷なものだった。
「女性としての機能が完全に奪われています」
硝子窓で区切られたスペースで、マイはそれを聞いた。
「……何のためにそんなことを」
「実験台としての
その言い草が彼の神経の嫌なところに触れた。
「私だって言いたいわけじゃありませんよ。ただ、その──」
「わかっているよ。わかっては、いるんだが」
診察台から降りた彼女はふらついていた。
「薬物は?」
「かなりの量を投与されているものかと。ただ、魂に関与する部分については、本土に持ち帰らなければ調査できませんね」
「君も知らないのか」
「私はただの医者ですから。勉強こそしていても、先端研究に対して知見があるわけじゃありません」
「あの子は、この先も生きていけるかい?」
「断言しかねます。何しろ、投与されているものの大半が一般には知られていないものですから」
気が滅入る。
「おそらく、本土に送っても同じような扱いを受けるだけですよ。いっそ秘密裏に処分してしまったほうが──」
「二度とそんなことを言うな」
医者はマイに鬼神を見出した。
「失言でした。撤回します」
「だけど、君の言うことにも一理ある。実験台としての扱いが変わらないなら……この船で匿うのもアリだ」
「問題を後回しにしてるだけですよ」
「いや、保護した難民ということにすればいい。遺伝子的には、帝国の血筋なんだろう」
「ええ、そうですが」
「ならどうとでもなる。僕はこれでも名前を知られているんだ、多少の我儘は通せるよ」
赤髪のエース。彼は新聞で頻りにそう報道されているのだ。
「じゃ、僕は機体の解析を見てくる。任せたよ」
カツンカツンと階段を上り、格納庫。ラウーダが並ぶ中、灰色の機体はよく目立った。
「どうだい?」
高い足場の上で作業をする整備員に、後ろから話しかける。
「魔導スラスタの方式が、既存のものと全く違うんです。まだ確度の高い数値ではありませんが、魔力効率が八十七パーセントアップしています。これを持ち帰れば、新型の開発は一気に推し進められるはずです」
「じゃ、この船を沈めさせるわけにはいかないね。よし、その調子で進めてくれ」
ああ忙しい、と彼は呟く。忙しいのは、いいことだ。
◆
芽吹は退屈だった。機体のオーバーホールが終わるまでの二週間、出撃はない。先日の作戦でダメージを受けたのは黒鷲隊だけではない。整備員が足りないほど、被害が大きかった。
故に、彼は司令部の屋上で寝転がっていた。シミュレーションも飽きて、日課のトレーニングも終わった。窓際族、という言葉を思い出す。
「ここにいたのね」
靄がかかったような頭を動かすと、エリカがいた。
「そんなに空が好き?」
「まあ、好きかな」
彼女は隣に腰を下ろす。
「そうね、嫌いならこの仕事してないもの」
「俺たちは、いつまで戦うんだろう」
「少なくとも、奪われた土地を全部取り返すまでは戦うでしょうね。そこから帝国本土に攻め込むかどうか、ね」
体を起こす芽吹。
「帝国を滅ぼしたら……それで戦争はなくなるんだろうか」
「今のところ、スバ王国ともヴォウ共和国とも戦う理由はないわ。まあ、その二か国が仕掛けてこないとも限らないけれど」
慌ただしく飛んでいく九一式が見えた。緊急発進だろう、ということは容易に想像できる。
「ああ、そうだった。勲章を授与するから昇陽に来い、だそうよ」
「面倒だな……」
「いいじゃない。自分の成し遂げたことを誇るチャンスよ」
「成し遂げた、か」
エースの条件は満たした。授与されるのは三等航空勲章だ。皇国の誇るエースとしてのスタートライン。年金は出なくなったが、公式に優れたパイロットとして認められるというのは、心地の悪いものではない。
「君は?」
「当然、私も貰いに行くわ。列車のチケットは用意されてるから、明日出発しましょう」
「準備が早いね」
「善は急げって言うじゃない」
「善なのかな」
「悪ではないでしょう?」
言い返す理由もなく、芽吹は黙った。
「ほら、準備しなさいよ。礼装を用意しなきゃでしょ」
追い立てられるように彼は歩き出す。空はどこまでも青かった。
あくる日。彼は黒いスーツケースを片手にホームで列車を待っていた。
「晴れてほしかったわ」
隣のエリカは灰色の空を見て言った。
「別に変わらないだろ。屋内でやるんだから」
列車が来る。黒い塗装のそれは、当然魔力で動いている。故に、車掌は魔術師だ。
「何等車?」
「勿論一等車よ」
「贅沢だね」
「国が買ってるのよ。受勲者が二等車じゃ格好がつかないでしょう?」
「そういうものなのかな」
一番後ろの車両に入る。右側に二列、左側に一列。荷物棚にケースを置いて、芽吹は二列あるうちの窓側に座った。隣には当たり前の顔をしてエリカがいる。
今は軍服ではない。エリカはオーバーサイズのTシャツにショートパンツを合わせている。輝くような太腿が露になっていた。
対する芽吹は地味なものだ。ポロシャツにカーゴパンツ。平凡な男子大学生と言っても差支えない格好だった。
「翠南島の解放はうまくいっているんだろうか」
「少しずつ進んでるみたい。私たちも修理が終わり次第向かうって隊長が言ってたわ」
「……こうしてる間にもマイ・オッフが暴れているかもしれない」
「アレの部隊はかなりの損害を被ったのよ。すぐには動けないわ」
「だといいんだけど」
「それに、皇国にだって優れたパイロットはいる。マイ一人がどんなに強くたって、大勢を変えるなんてことは不可能よ」
それを信じきれないで、芽吹は外に目を向けた。その時、ちょうどトンネルに入った。明曉島と昇陽地方の間には海峡が存在する。それを通り抜ける海底トンネルだ。
暗闇の中を駆け抜ける車両。その肚の中で、二人は静かに到着を待っていた。