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生還を祝って

「どうです、高機動型は」


 機体胸部のハッチから出てきた赤髪の男パイロットに、オレンジの繋を着た整備員の女が問うた。


「いい機体だったよ。君が整備してくれたのかい?」

「はい」

「ありがとう。君のような人に出会えてよかった」


 パイロットは美男子で、その柔らかい微笑みは整備員の心を揺らした。


「また口説いてるんですか?」


 その横に、銀色の髪を後ろで纏めた、女パイロットがやってきて言った。


「挨拶さ。大事だろ?」


 女パイロットは溜息を一つ。


 男の名はマイ・オッフ。傍にある機体のカラーは、青。胸部装甲を薄くした高機動型だ。


「エスク、君の戦果は?」

「九一式を一機。ラウーダでは、やはり限界がありますね」


 エスク・カジャハッヂ。マイの副官だ。


「そのための高機動型だ。胸部装甲は頼りになるが……今のトレンドは機動力と運動性。防御を捨てることが主流になるだろうね」


 彼はエスクの手を取って歩き出す。


「欲を言えば、一から新型を作ってほしいところだけれど」

「それはそれで、機種転換訓練が無視できません」

「僕にはいらないよ。天才だからね」


 鼻につく笑顔を浮かべながら彼は言う。だが、エスクは何も言わない。慣れっこだからだ。


「新型の開発は難航しているそうです」

「なんでも小型魔力砲を装備させるらしいじゃないか。一朝一夕に、とは行かないだろうね」

「楽しそうですね」

「ん? ああ、今日は新兵と戦ったからね。止めを刺す前に逃げられたが……次会う時が楽しみだ」


 理解に苦しむ、という言葉を溜息に包んで、エスクは吐き出した。


「それで、どうでしたか?」

「殺意は感じたけど、それまでだ。感情が空回ってる」

「貴方の言動、よくわからないことが多々あります」

「フフッ。そういう正直なところに惚れたんだ」

「そうですか」


 マイは腹心の髪を撫でた。心地よい手触りである。


「今回の作戦は大規模な威力偵察。本命は次だ……明曉基地を叩けば、もう少しで本土に辿り着ける。いやあ、楽しみだ」

「しかし、敵もそれはわかっているはず。かなりの抵抗が予想されます」

「願ったり叶ったりじゃないか。戦争は楽しまなきゃ損だ」


 エスクのじっとりとした視線を受けながらも、彼は軽く笑っている。絶品ディナーの後のような、そんな笑顔だった。


「何でもいいですが、敵も新型の計画を進めているとか」

「ああ、楽しみだね。もっとヒリヒリできるかもしれない」


 キャットウォークを歩く二人。マイは、エスクの方を向いて壁に追い込んだ。


「今夜、どうだい?」

「はあ……いいですよ」


 一見すると消極的な態度であったが、その向こう側にあるドロドロとした欲求を彼は見抜いていた。手を掴み、強引にキスする。通りかかった整備員が気まずそうに道を引き返した。そういう時間が、暫く続いた。





「新兵たちの帰還を祝って、乾杯!」


 浩二の音頭で、グラスが掲げられた。色とりどりの液体。中央にロースターのある机を囲むのは、黒鷲隊の面々。


「大原、遠島、よく帰ってきた」


 そう言ったのは長石ながし洋太ようた。茶色のツーブロックが特徴的だ。


「しかもどっちも戦果を上げたんだ。期待の新人だよ」


 優子はそう言うとグイッと麦酒を流し込んだ。


「隊長、一言頂戴よ」


 彼女の言葉を受けた冬弥は、震えながら涙を流していた。


「お前達二人が生きて帰ってくれたこと、心から感謝する。ありがとう」


 大粒の雫がテーブルに落ちる。目元を拭う彼を、浩二が笑って肩を叩いた。


「隊長って……」


 芽吹の言わんとするところを汲み取って、優子が首を振った。


「こういう人だからさ、怖がらないでやってくれよ」


 エリカは微笑んで、肉を一枚食べた。


「俺たちも嬉しいよ」


 南瓜を焼きながら、浩二が温かみのある声で言った。


「よく帰ってきた」


 妙に気恥しくて、芽吹は隣のエリカを見る。特に何も気にしてないようだった。


「ほら、食えよ」


 分厚い牛肉を浩二が皿に乗せてくる。


「どうも」


 冬弥にも脆い部分がある、という事実は彼の心を解した。


(致命的に感情表現が下手なだけなんだ……)


 黙って食事をしながら昨日のことを考える。あの青い機体、中々に有名なエースらしく、懸賞金がかけられていると冬弥は言っていた。名前はマイ・オッフ。通算撃墜数は四十八機。一人で戦局を動かし得る、巨大な歯車。


 彼奴の乗っていた機体の解析も行った。胸部装甲を削減し、翼にスラスタを懸架することで機動力を向上させた、高機動型ということだ。それを、そのまま『高機動型ラウーダ』と呼称することになった。


(高機動型、か……)


 ラウーダの欠点は、装甲を重視するあまり機動力を損ねている点だ。しかも、それは正面からの攻撃に対してのみ機能する。はっきり言って時代遅れの代物だ。無論、正面切っての撃ち合いであれば意味を成す。だが皇国が今年に入って採用した新型太刀の前には、やはり意味のないものであった。


 九一式もマイナーバージョンアップを続けている。現在配備されているのは六八型。赫灼石とその周辺機器の改良が六回、機体本体の改良が八回。赫灼石から効率的に魔力を取り出す方法については研究が続いているものの、実用化から二百年が経過しても六十五パーセントが関の山だ。


 結果、その停滞が赫灼騎兵研究の障害となっている。魔力を取り出す抽出器の起動に当たって少なからぬ操縦者自身の魔力が必要、という問題点も解消の目途が立っていない。


 完璧な兵器などないのだと、彼は思う。だとしても、赫灼騎兵に勝る兵器は今のところ開発されていない。


「食ってるか?」


 浩二の言葉が彼を現実に引き戻す。


「はい、食べてます」

「ここはな、俺と冬弥が配属された時にも来たんだ。基地にも近いからな」

「へえ……」


 返事が思いつかないまま、彼はオレンジジュースを飲む。


「お前が隊長になったら、部下も連れてきてやれよ」

「そこまで生きてますかね」

「すぐ死ぬタマじゃねえよ。それに俺が守ってやる。だから生きろ」

「命令ですか?」

「そういうことにしといてくれ」


 生きろ、という言葉は実際的な質量を持って響いてこない。だが、マイを討ち取るまでは死ぬわけにはいかない。


「俺があ!」


 冬弥が大声を上げたので、芽吹は視線をそちらに向けるしかなかった。


「俺が不甲斐ない故に、部下を失ってしまった……芽吹、エリカ、ついてきてくれるか」

「ええ、勿論」


 エリカは即答したが、芽吹はどう答えていいものかわからなかった。まだ、よく知らないからだ。


「芽吹」


 冬弥が重々しい声で話しかけてくる。


「身の上は知っている。故郷を取り戻そう」

「……はい」


 保証はどこにもない。それでも、芽吹は肯定するしかなかった。そうすることでしか、未来を得られないからだ。


 肉は間違いなく美味い。だが、彼は味を感じていられる状態ではなかった。青い機体が気になって仕方がないのだ。どうすれば勝てたのか。翼を失ったのがまずかった、というのはわかる。主翼に依存しない飛行を技術者は目指し続けている。斥力発生装置のみによる飛行も不可能ではないが、魔力を大量に消費する。従って、現状、赫灼騎兵は翼の生み出す揚力と、下方への推力を頼って飛んでいるのだ。


 それを即座に喪失させられては、戦うどころではない。だとして、青い機体を見つけたら逃げる、などという選択はできない。立ち向かうことでしか復讐は成し得ないからだ。


 そんなことを考えていると、肩を組まれた。顔を上げると、浩二だ。


「任務のことは忘れようぜ」

「……そうですね」


 暗い顔ばかりしていてもしょうがない。せっかく用意してくれた場だ。楽しんでいる風くらいはするべきだ。──そう思って、彼は肉に箸を伸ばした。


「ねえ、エリカ」


 頬を赤らめた優子が、身を乗り出して話し出す。


「芽吹クンとは何かないのかい? 同期なんだろう?」

「ほぼ接点ないですよ。同期ってだけです」

「バッサリ言うねえ。芽吹クンはどうなんだい」

「俺ですか? 俺は……別に、特別何かあるわけじゃないです」

「二人揃って淡泊だねえ。もっと仲良くしなよ」

「仲良くって言われても。だって、芽吹ったら私のこと無視するんですよ」

「それについては、すみません。嫌ってるわけじゃないんですけど」


 不服そうな表情でエリカは食事に戻る。一方で芽吹は言葉にし難い感情を抱いていた。『嫌いじゃない』と『仲良くしたい』。その二つの気持ちは同時に存在している。だが、近づけばまた喪う気がするのだ。手を伸ばして届く所にあっても、それを握り続けられるかどうかは、判然としない。


「とはいえ、同じ部隊でやっていくなら、背中を任せ合うんだ。芽吹クンはツンツンするべきじゃない」

「……そうですね」


 理解はしている。だが。


「ほらほら、食えよ。肉は待っちゃくれねえぞ」


 浩二が次々と肉を取って芽吹とエリカの皿に乗せる。強引だが、そうでもしなければ芽吹は動かなかった。


 そうしている内に、時間は過ぎていく。やがて、食べ放題の終わりが訪れた。


「んじゃ、俺らで割り勘するからよ、お前たちは先帰っていいぜ。それとも二次会行くか?」

「俺は帰ります。明日は待機任務なんで」

「私もです。ごちそうさまでした」


 頭を下げるエリカを見て、芽吹も倣った。そして、揃って店を出た。空には満天の星。起動に必要な魔力の少ない小型抽出器の普及によって、街並みは急速に変化しつつある。この街にも、高層ビルができた。


「嫌いじゃないって言葉、信じていい?」


 出し抜けに問われて、芽吹は少し反応が遅れた。同時に、貸し出される予備機の調整のことも頭にあった。


「……そうですね、信じてください」

「じゃ、そうするわ。明日からは私たち、タッグみたいだし」


 赫灼騎兵の編成に係る最小単位は二機。近接戦闘を行う者と、それを援護する者から成る。エリカは射撃が得意らしい、ということを芽吹はぼんやりと知っていた。


「私としては仲良くしたいの。命を預けるんだから」

「よく、わからないんです」

「わからない、って何が」


 芽吹は目を逸らしていた。


「人と仲良くなる、ってことが。友達もみんな殺されて、わかんなくなってしまったんです」

「……あなたも色々大変だったんだね」


 どうにも動かしがたい沈黙が訪れた。


「同情を求めてるわけじゃありません。特別に何かをしてもらおうってわけでもないんです。でも……」

「でも?」

「変わりたい、とは思ってます」

「そっか。じゃ、まずは名前で呼んでよ」

「エリカさん」

「タメ口で」


 グイと下から迫ってくる瞳が眩しくて、芽吹はいよいよ目を見られなくなった。


「エリ……カ」

「その調子。明日はもう少しはっきり言ってね。じゃ」


 踵を返して彼女は去っていく。魔力を伝える導線の生えているコンクリートの柱が並ぶ。そこから飛び出た街灯が、煌々と彼女を照らしていた。


(俺は、何がしたいんだろう)


 決まっている。復讐だ。内側で叫ぶ者の声を聞きながら、彼は星を見上げた。

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