「はい、私の勝ち!」
シミュレーション室に、興奮した声が響いた。
「トータルで見れば俺の勝ちですよ」
芽吹は突き放すような態度でそう言うと、シミュレータから出た。五戦三勝。だが彼は喜ぶこともなく、再戦を叫ぶエリカを疎ましく思いながら部屋を出る。
彼女のことが嫌いなわけではない。嫌っているならそもそも試合に応じない。だが、多くを喪った彼は、人との繋がりを信じきれないでいた。ただ、それだけだ。
外に出ると、夕陽が基地を赤く染めていた。見る度に、彼は燃える故郷を思い出す。今、彼の地はどうなっているのだろう、と思ってみる。帝国人が押し寄せて、懐かしいものなど何一つ残っていないのかもしれない。それでも、取り戻したかった。
腰に拳銃があることを確認していると、国歌が聞こえてきた。緩やかなテンポ。雄大なる国家を称える、国粋主義に傾倒した詩。彼はナショナリストではない。故郷を守ってくれなかった母国への不信もある。だが、同時に、故郷の奪還と復讐を望むのであれば国家への貢献が必要だとも考えていた。畢竟、経済的理由もあって軍人になる以外の選択肢を持ち得ないでここまで成長したのだ。
放送が終わる。夕食の時間だ。
パイロットは士官であるから、兵や下士官とは違う食堂を使う。少尉の彼も、士官食堂に入った。
下士官以下はセルフサービスだが、士官はそうではない。担当の下士官が配膳をして、士官は椅子に座って待っているだけだ。今日は揚げ鶏に、白米、味噌汁。後は小鉢。
「ありがとう」
自分よりも年上の下士官に、芽吹は言う。あまり偉そうにするのも気に入らないので、なるべく温和な態度で接しようというのが彼の心中だ。
このような形式は、かつて士官が貴族のなるものであったからだ。だが、悠々自適というわけでもない。前線にいない間は、食事は自費なのだ。そう思うと、下士官も少し羨ましくなる。彼らも彼らで食事代を考慮した上での給料になっている、らしいが。
「よっ」
思索に沈んでいると、前の席に浩二が座った。
「……どうも」
にべもない返事だが、浩二はそんなことを気にしなかった。
「いやあ、今日は脱走に失敗しちまったな。ま、査定には響かねえようにしてやるからさ、安心しろって」
「別に気にしてないですよ」
「いつもクールだな、お前は」
「……気取ってるわけじゃないです」
「そんなこと言ってねえよ。パイロットって職業は冷静な奴が生き残るんだ、大事だと思うぜ」
予想外の誉めに、芽吹は言葉を見つけられないでいた。
「ま、もう少し丸くなってほしいとは思ってる。エリカちゃんと仲良くしてくれよ」
「喧嘩はしてませんよ」
「あしらうなら、もっとやり方があるって話だ」
「ホント、そうですよ」
過ぎ去り様にエリカが言った。
「ま、そういうこった。どうする? 俺が会話のレッスンをしてやってもいいんだぜ?」
「……お心遣いありがとうございます。食事をしても?」
「ああ、すまねえな」
ガブリ、芽吹は鶏を喰らう。少しパサついた肉。
「もう少し飯に予算かけてくれてもいいと思わねえか?」
「……そうですね。物足りない感じはあります」
「だよな! いやあ、お前とは仲良くできそうだ。今度の休暇飲みに行かねえか?」
「酒は好きじゃないです」
「そうかそうか。じゃ酒はやめておこう。焼肉はどうだ」
「……なら──」
「アタシも行くよ」
割り込んできたのは、痩躯の女性。浩二の肩に腕をかけていた。
「いいだろ? 副隊長」
「お前は自腹な」
「そりゃないよ」
彼女の名は
「そうだ、芽吹クン、生還おめでとう」
優子はニカッと笑って握手を求めた。だが芽吹がすぐに応じたわけではない。二、三秒ほど視線を動かしてから、ようやく握った。
「そうだ、エリカちゃんも呼ぶか。その頃には一回くらいは出撃するだろ」
「彼女、まだ出てないんですか?」
「ああ。巡り合わせが悪いんだろうな」
戦場に赴かないことがいいのか、悪いのか。芽吹は考えてしまう。仇討のために軍に入った彼にとって、いつか実施されるであろう故郷の奪還作戦に志願するためには、何らかの戦果が必要だった。ならば、彼の人生において、戦場に出ることは少なくともプラスであった。しかし、それを無遠慮に他者へと適用させてしまうべきでない、というのもわかっていた。
茶を飲む。少し苦い。優子が去っていった。窓の外を見ると、雨が降り出している。そういう細々としたものが覆い被さるようだ、と彼は感じた。人生は明るいことばかりではない。軍に入ったのならば、猶更。
ぼんやりとした頭で食事を終える。合掌した、その時。
サイレンが鳴った。
「緊急発進、緊急発進。防空識別圏に侵入する艦隊を確認。これは訓練ではない。繰り返す、これは訓練ではない」
俄かに騒がしくなる。ドタドタという足音。しかし芽吹は急がない。急いだところでどうしようもないからだ。機体に残る魔力量ではまだ出撃はできない──はずだ。
が、緊張感はある。魔力砲がここを直撃すれば跡形もなく吹き飛ぶのだ。そうならないために、機体には向かう。基地で最も安全なのは、地下壕と格納庫だ。
一応、基地上空には障壁が展開されている。視程外からの砲撃で全てが吹き飛ぶことはまずないだろう。だが、敵がどのような新兵器を持っているかもわからない。一撃で打ち破る、何かを。
乗機の下からリフトで上がる。コックピットに飛び込み、ヘルメットを被った。
「こちら黒鷲六番。隊長、誰が上がってますか?」
「三番と五番だ」
「了解。魔力補充が完了し次第俺も上がります」
「焦るな」
焦ってなどいない、という反駁はしないでおいた。
そうして二十分。開いたままのコックピットハッチに女の姿。
「補給完了! 行けますよ!」
「了解。離れてくれ」
胸の前に突き出していた足場が引っ込んで、進路を提供する。芽吹は股の間にあるパネルに手を置き、魔力を送り込む。
「魔力パターン認証。大原芽吹少尉。九一式、起動します」
「黒鷲六番、九一式、出ます!」
格納庫から徒歩で出る。この時間が一番辛いのだ。慣性制御と身体強化魔法によって負担は軽減されているとは雖も、一歩歩く度に襲い来る縦揺れは心地よいものではなかった。
外に来た。翼を広げ、滑走を開始する。離陸距離は長くない。斥力発生装置の補助を受けた機体は、すぐに空へと飛び立った。
「敵は三隻。気を付けろ、ヴィアトレム級の火力は侮れん」
ハーウ帝国の主力艦、ヴィアトレム級。高度を上げると、その姿が見えてきた。
三連装砲三基。格納されている対空ロケット発射機が回転しながら現れる。放たれる。頭部機関砲で迎撃している間に、艦中央にあるカタパルトからラウーダが発進していた。
「六番は敵機を落とせ。船は俺が抑える」
「了解」
芽吹は魔力探知機の方に視線をやる。五番──エリカが背後についていた。
「こちら黒鷲五番。援護するわ」
「助かります」
彼は高度を落とす。魔力砲の引鉄を引くも、外れ。やはり射撃は当てにならない──自分の弱さを転嫁しながら接近し、近接の間合いに敵を捉える。
ラウーダの撃つ徹甲弾をするりと躱し、左腕を斬り落とす。腹部の魔力砲が火を吹く前に、刀を突き刺した。そのまま上に斬り裂いて、爆発する前に離れる。
が、別の敵機に背中に回られていた。どうにか反応は間に合って斬り結ぶも、拮抗したまま動けなかった。離れれば、追いかけられる。沈み込むような動きで魔力砲の一撃を避け、逆に右腕を切断する。さあ、止めを刺そうという瞬間、アラート。やはり後ろに敵機。だが攻撃の体勢に入って、今から対応はできない。
(まずった……!)
その思考とほぼ同時に、上空から赤い光。それが後ろの敵を消し飛ばした。
「甘いのね」
正面の敵を撃墜した時、エリカの声がした。
「……ありがとうございます」
控えめな感謝。恥じらいもあった。
「待って、速いのがいるわ」
その言葉を聞いて、彼も探知機を見た。一機、真っ直ぐ突っ込んでくる反応があった。
(どういうんだ?)
反応のある方に機体を向ける。やってくるのは、青い機体。フラッシュバック。燃える故郷。
「六番から五番へ。援護、頼みます」
それだけ言って、増速。
「ちょっと! 待ちなさいよ!」
声は聞かず、青い機体に向かう。青いラウーダ。間違いない。呼吸が浅くなる。確信と共に、グリップを握る手に力が籠る。やるなら、今だ。
相手も彼を認めた。翼に懸架された機関銃がその銃身を回転させる。吐き出された弾丸の間をすり抜けるのは容易かった。だが、そこからが問題だ。”青”は二振りの剣を巧みに操り、芽吹の繰り出す如何なる斬撃をも捌いてしまう。
エリカが砲撃を行うも、”青”に当たることはなかった。ひらり、ひらり。まるで踊るように動く。それが芽吹の神経を逆撫でする。楽しんでいるとさえ思えた。だから、殺したくなった。
”青”が魔力砲を放つ。避けた──つもりになったのも一瞬のことだ。意図的に収束率を下げられたそれは拡散し、確かに回避行動に映った芽吹機の左腕を奪った。
機体が途端に不安定になる。機体の状態をチェックした彼は、翼が失われていることに気づいた。重量バランスの悪化、揚力の喪失。斥力発生装置によって落下は緩やかだが、コントロールは難しくなる。
故に、見え見えの刺突を避けることもできなかった。頭部を貫かれる。ブラックアウト。次いで衝撃。システムは右腕の損壊を伝える。もう、できることはない。
「そんな……」
及ばない。その事実を突きつけられて、彼は操縦桿から手を離してしまった。涙が出てくる。しかし、揺れがそれを抑えた。
「諦めんじゃないわよ!」
エリカの声。
「黒鷲五番から一番へ。六番が中破。回収して帰投します」
「了解。二番、援護に回れ」
視界が戻ってくる。サブシステムに切り替わったのだ。敵艦は退いている。あの青い機体も、東へ。夕焼けの海は、段々と夜に変わっていった。
「ちくしょう……!」
誰にも聞こえない声が、狭いコックピットに響いた。
俄雨の通り過ぎた基地に帰り着いた彼を待っていたのは、表情の硬い隊長だった。