「女の子やってるの、めんどくさい」
つい、タヌキさんの前でつぶやいてしまったのが運の尽き。
近所でも凶暴なことで有名な隣家の猫と、タヌキさんが取っ組み合っているのを家の裏手で夜中に見つけた。私は間に割り込んで威嚇する猫の突進を食い止めてあげた。
タヌキの恩返し。
そのあと夢に現れたタヌキさんが「親切なお嬢ちゃん、このサクランボを食べた分だけ願いが叶いますよ」と言ってきたとき、私は生理中で、夢の中でもむしゃくしゃしていた。
今思うと、タヌキはタヌキらしく、ちょっと小ずるい目つきをしていたのだった。
翌朝、私は異変に気づいて冷や汗が出た!
* * *
でもはじめは楽だと思った。だって、生理がないってことよね、ってすごい解放感だった。
そりゃ、私だって不安がなかったわけじゃない。私だってJKだし、一人前に好きな男子生徒もいる。
真崎くん。
一年の頃から憧れてたけど、今年は同じクラスになれて、チャンス! って思ってた。だから、男になると、ちょっとまずい。しかも、いきなりこんなシーンにぶち当たるなんて。
昼休みのトイレ。なるべく人の使わない場所に行ったのに、まさかのバッティング。憧れの真崎くんがそこにいた。
逃げ出すわけにもいかなくて、はじっこに行く。いや、恥ずかしい。真崎くんのほうを見られない。
「ひっ」
思わず悲鳴。制服のズボンのファスナーを開けたら、――ない! 穴がない! う、後ろ前逆に履いてた、男物のパンツ!
「どしたん、薫」
私の名前は女だったときから、「薫」。男とも女ともとれる名前でよかったと思ったものだ。――と、それどころじゃない。
真崎くんは私を見て大笑い。思わず顔を向けた私は、見てしまったのだ!
のぼせて顔が熱くなる。頭がふらつく。
脂汗を浮かべる私に向かって、彼は言った。
「個室使えばいいじゃん。俺、誰にも言わないよ」
真崎くん、やさしい、と思ったのも束の間。
噂はあっという間にクラスに広まっていた。
ショック。真崎くん、そういう人だったんだ。あろうことか女子たちまで私を見てくすくす笑い。私の呼び名はその日のうちに「水玉」。
つまり私は「男」になってしまったとき、こっそりスーパーのメンズコーナーでパンツを買った。でも、なるべくかわいいのが欲しくて、水玉模様を選んだのだ。
その夜から、私は熱を出して寝込むことになった。
熱にうなされながら、私はあのサクランボをお腹いっぱい食べてしまったことを心の底から後悔した。
小さくてかわいくて、つい口に含み、あまりの美味さに次から次と食べてしまった。
後悔に身をよじっていると、夢にまたあのタヌキさんが現れた。
「食い意地張ってるな。食べた分だけ長く男になったままだ」
朦朧としつつもぞっとした。
私は結局あのサクランボを全部食べてしまっていた。
「ひ、一粒で何日くらい男になってるの?」
かろうじて訊くが、返事はない。タヌキさんはいなくなっていた。
ごめんなさい、ほんの出来心で。許してください、タヌキさん。
そう思いながら泣きつづけていた。
母はすっかり困って、父に相談したらしい。
「薫、入っていいか」
「うん」
私は真崎くんの非道な行いを訴えた。けれど父はだんだん不満げな表情になっていく。
「俺はお前を、そんな軟弱な男に育てたおぼえはないぞ」
なくて当然です。一週間前までは女だったんですから。
両親は始めから私が男の子だったと信じている。両親だけじゃない。クラスのみんなも、先生も。
「水玉がなんだ。俺なんか、星模様のパンツでも堂々と履いていたぞ」
そういう妙な自慢話をしないでください。
父のお説教をやり過ごして、私はまた寝入った。
私の受難はまだまだ続く。
水泳の時間。よほど風邪です、とか言って休もうと思っていたが、「お前、休んでばっかじゃないか」と体育教師に叱られた。
女の子だったとき、生理にかこつけてはさぼっていたという事実だけはしっかりと皆の記憶に残っている。
私はあれ以来用心して買っておいた、ただの無地のパンツをはいていく。
当然、皆水着に着替えるときは素っ裸になるんだよね?
でも今度は無地だから大丈夫、と思った私が甘かった。
「わー、薫のやつ、今度は無地のパンツはいてやんの」
「水玉ちゃん、恥ずかしがることないよー」
かえって注目を集め、はやし立てられる結果になってしまった。
ああ、死んでしまいたい。
変な話だけど、男子たちと一緒にプールに入るのが、混浴してるみたいで恥ずかしい。
しかたなくちゃぷんと思い切って水に入る。
「はい、位置について」
皆いっせいに泳ぎ始める。
私は実は泳げないけど、男子で泳げないって、女子にバカにされそう。
そう思って必死にもがく。
気がつくと私はプールの底に沈んでいた。