私は内心の反感を奥底にしまった。
繊細で優しそうな男の親は何をしている? 母親は孤児施設を運営し、恐怖の神としてよるべのない子どもたちを虐げることに喜びを見いだす。父親は他の女をレイプして孕ませ、それでも涼しい顔をしてのうのうと生きているではないか。何というグロテスクさ。
そうでしょ?
憎しみを抱く方ではなく、抱かれるようなことをした人間の方が悪いに決まっている。
「ね、花蓮ちゃんはああいう子、タイプ?」
物思いに沈んでいた私は一瞬何を言われたのか戸惑うことになった。
「え。ああ、ううん。だって全然知らない人よ」
「でも、何となく合いそう。花蓮ちゃんて品が良くて繊細そうだもの」
「大体花蓮ちゃんに彼氏がいないっていうのが不思議なの。よっぽど理想が高いんでしょ、きっと」
亜美が冗談めかして言う。
「それか、秘密主義かな」
真理以も屈託ない。
女子たちはあまりにも無垢なように私には見える。だが、嫌いではない。赤根眞理子を除いて、今のところ女を殺したいほど憎んだことはない。だって、彼女らは弱さをはらんだ存在だから。あの芙美子を除いて。
「横顔しか見えなかったけれど、ちょっとかっこいい感じだったよね」
赤根眞理子は驕慢な美貌を持っていた。その面影をしっかり刻んでいる翔太の顔立ちは確かに女子の気を引きそうだ。翔太には恋人はいるのだろうか。今度芙美子に調べさせよう。いたところで大したことではないが。
昼食に入ったお店でサンドイッチとスイーツのセットをそれぞれに頼み、まだ話は続いていた。
「花蓮ちゃん、羨ましいを超えてるレベルに美人なんだもの。あ、もしかして、男の子もそう思って近づけないのかもね」
と真理以が言うと、亜美が、
「実は女の私も、花蓮ちゃんに初めて声をかけられたときは心臓が止まるかと思ったんだ。こんなきれいな人と口きいたことない」
それぞれに私の容姿をほめそやすが、そこに他意はない。そういう彼女たちにどこか愛おしささえ感じないわけではない。
「あ、で、優香ちゃんこそ、ちょっとタイプみたいだったじゃない。花蓮ちゃんが興味ないなら、花蓮ちゃんと一緒にその文学部の授業へ行ってみたら? 案外うまくいくかも」
私は次第に別のことを考えはじめた。
芙美子は今どうしているだろう。
私が一見ふつうの恵まれた女子学生としてこうして美味しいものを口にし、他愛のない会話に夢中になっているようにふるまっているとき、彼女はきっと働いているに違いない。
私は多くの男たちを利用してお金という大切なものを手に入れた。だが芙美子は『地を這うような』と言っていたように、底辺の仕事で自分の生活と、私に接触するための手段にかかる費用を賄っているに違いない。
『シネ』『れいぷ』のあのマジックで書かれた薄汚い字を胸に刻んで。
私はついスマホを取りだして、芙美子にメールをした。
『今夜、会えない?』
自分から芙美子と話をしたくて接触するのは初めてだった。
その夜、再び私は芙美子に会った。今回はこちらから攻勢的に芙美子のプライベートに踏み込むつもりであった。これまで芙美子との関係では受け身に徹していたところから、自分が変わりつつあることは自覚していた。
「おはよう」
夜だというのにそう言いながら芙美子はテーブルに近づいてきた。今日はTシャツにジーンズ。薄化粧でわりとさまになっている。
「芙美子、夜だよ」
軽く笑うと、芙美子は、
「職場ではいつの時間でも『おはようございます』があいさつなんだ」とぶっきらぼうに答えた。
「ああ」
「で、何?」
自分ではまるでストーカーのように私を追っていたくせに、自分のこととなると急に無関心なようになる。ある種の人間にありがちなことを私は肌で知っている。
「芙美子って、高校出た後何やってたの」
「ずいぶん直截ね」
芙美子は笑いだした。
「あんたって、用心深そうでいて、案外気持ちをそのままに出す方よね」
言われてみればその通りだった。
「高校出たって言っても卒業じゃないから」
「そうか」
「そう」
しばし沈黙が来た。過去を思い出したのだ。
「あんたがさ」
芙美子が先に静寂を破る。
「大学まで進んだって知ってうれしかった」
「どこから聞いたの」
「あんた、自分では目立たないようにしている感があったけど、それは完全な間違い。かえってあんたのことはどこでもすぐに名前がでてくるような有名人だった」
正確に言えば勘違いしていたわけではない。自分にはそうしている以外にない振舞い、方法だっただけだ。
「私が地元で牛丼屋のバイトしてた頃、たまたま来た男子が私に気づいて言っただけ。それが誰かなんてどうでもいいでしょ。たった一回私もそのとき会っただけ」
「多分名前言われても覚えてないと思う」
「でしょ。あんたが、私にない美貌を持ったあんたが、私にない頭と運を持っていると知ったときの喜びったらさ、あんたには分からないよ」
どこかそっぽを向くように言う芙美子が私には意外だった。まるで、そう、私を仲間の輪に入れようとしていたあの頃のような表情。