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第14話

 郊外のカフェは人が少なく、かつ音楽が大きな音でかかっているので、聞かれたくない話をするにはもってこいだった。ストロベリーフィールズフォーエバーを女声がカバーして、似ても似つかない情緒を生み出している。それが悪いというわけではないが。

 窓の外は通りとはいえ暗く、常夜灯に蛾が数匹集い飛び交っている。

 私はしばらくそれをじっと見て、芙美子からは目を逸らしていた。

「お待たせしました」

 声がして、店員がプレーンドッグを一つ運んできた。すでにテーブルの上にはアイスコーヒーが二つ置かれている。

「ごゆっくりどうぞ」

 芙美子の前にプレーンドッグが置かれて、店員が去ると、芙美子はケチャップの小袋を破って切れ目に無造作なまでにつっこまれたソーセージにたっぷりと塗りつけた。

「ケチャップが好きなのよ。これがあるとご飯を何杯でも食べられるの」

 薄気味悪い笑みを浮かべて芙美子はそれを手に取って齧りついた。ケチャップが頬についたのも気にならないらしかった。

 私は黙ってストローを吸い、ブラックのアイスコーヒーを口に含んだ。

 あのあと、私が佐久間と適当な会話を交わして外に出ると、視界の端、電柱の影に芙美子がいた。例の撚れた服を着て、くすんで目立たなかった。

 私は駅で佐久間と別れて芙美子がホームに入ってくるのを待った。芙美子は長く狭いホームの反対側から入ってきた。私たちは手を挙げるでもなく、それぞれが無関心なように歩いて、とうとう行き会うこととなったのだった。

 芙美子は大口を開けてドッグを食べ、終わると紙ナフキンで口元や頬やを拭いた。

 出で立ちが異様に違う。端から見たらどういう関係性の女たちに見えるだろう。

「じゃあ、さ」

 芙美子はすでに汗をたくさんかいているアイスコーヒーに手を伸ばし、ストローを口に含んだ。

「なぜ」

 機先を制さなければ、という思いに不意に駆られて私はしゃべりだす。

「私がどこで何をしているか知ってるのよ。尾行? いえストーカー? 感じがよくないわね」

「探偵を雇ってる」

 唖然とした。探偵を雇うほどの金銭的余裕があるらしい。

「あんた、標的を見つけようとすると召かしこむからすぐ分かるのよ」

 鼻白む私に畳みかける。

「でも、あんな小者なんて失望したわ」

「余計なお世話」

「あんたには怒りも憎しみも足りないのよ」

「何ですって」

「所詮あんたは……」

 言いかけて芙美子は不意に口をつぐんだ。それから再び目線をあげ、

「仲間、でしょ。だから私を無視して下手なことをして欲しくないの」

「何。その妙な理窟」

 私は苛立った。

「覚えてるよね。小学校の頃。あの頃から私、あんたに目をつけてたの。もう気づいてると思うけど。目を見たとき、雷に打たれたみたいに全身に電流が走ったの。ね、分かる?」

 分かるどころか、私はぞっとした。私の憎悪も怒りも、その性質もこの女には筒抜けだったということか。

「私は残念ながらあんたみたいな美貌はない。だから組みたいと思ったのよ」

 今の芙美子は化粧を施せば、一部には受ける美貌と言えたが、そんな意味ではないらしい。芙美子は自分の容姿に何ら劣等感など抱いてはいないのだから。むしろこの私を利用する口実としようとしている。

「あんたの大学は恵まれたおうちの子女が多いわね。そういう人たちを一人一人破滅させるところから始めましょうか? なんであんたがそう思わなかったのかは私は不思議に思っているの」

「さっき小者だって言ってたわよね」

「そう。もっとずっと大物がいるでしょ。知らないの。探してみなさい」

「……誰?」

「まずはあんたの修道院の施設運営のトップ、赤根眞理子の息子がいるはずよ」

 それは初耳だった。修道院自体は私にとって獲物の心を同情心で覆わせ警戒心を緩めるための一つの手である以上のものではなかった。あの修道院の施設がどのように運営されていたかなどということは、迂闊にも考えなかった。

「『ジェーン・エア』って、イギリスの19世紀文学があるでしょう? あれに出てくる主人公が育った劣悪な修道院。あんたは劣悪さには慣れてしまって、そこから抜け出ることばかり考えていたみたいだけど、まずはそこをつついてみなさいな」

「でも」

 『ジェーン・エア』は読んだことがある。確かにひどく劣悪な修道院で、じめじめした気候とも相まって、収容された子どもたちの病死者が続出する。主人公の親友の心の美しい少女の聖なる死は、私は想像すると直視できないほどの痛みを覚えたものだ。

「復讐はまずは足元から。でもね、きっともっとその先がある」

 再び苛立った。

「そんなに勿体つけて、何が言いたいわけ?」

 芙美子はしたり顔になって笑う。私が食いついてきたことにご満悦のようだ。後悔したが遅い。それに、好奇心がそれに勝った。

「私にも縁があることなのよ。大体想像はつくでしょ」

 芙美子に縁がある。確かにピンとくるものはあった。

「あんたの父親……」

「そう」

「あの修道院に関係する?」

「そうよ」

 それで読めた。芙美子がねちっこく私を追いかけていた意味が。

「で、何をどうしたいの」

「どうせなら楽しくやりましょうってこと。私たち、利害が一致するかもってことよ。かつやりようによってはかなり面白い。私にはないあんたの美貌を私は手に入れられるし、あんたは私が地べたを這いつくばるようにして得た『情報』を得られるの。一挙両得じゃない?」

「私、けっこうせっかちなのよ。もっと分かるようにはっきり言って」

「分かってるくせに」

 ふと気になって、私は声を潜めた。

「芙美子、あんた、これまで何人殺した?」

「ふふ、この間の縣さんだけ」

 嘘を言っていると思った。それでも、それ以上は今は決して口を割らないに違いない。

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