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「……ふぃー。終わったねぇ」
廃墟と化した枯沼市を、町外れの丘から見下ろし、リンゴは感慨深そうに息をつく。
「……そうですね」
椿は応じるが、声色が暗くなるのはどうしようもなかった。
――生まれ育った故郷。家族と、友達と、平凡だけれど穏やかに過ごしていた日々。
それが、クダヘビという災厄のために、たった一夜にして変わり果ててしまった。
とりわけ中心部は丸ごと毒沼に沈んだ今の姿など、到底正視できるものではない。
「あー……うん。とりあえずさ、生き残った事を喜ぼうよ! あたしたち、勝ったんだよ?」
「……そうですね」
気を抜けば、膝がくずおれそうだった。負傷のせいだけではない。なんとか立てているのは、側にリンゴがいてくれるから。
鏡を見れば、死人さながらの顔色をしているに違いない。
「ほんと、椿ちゃんが無事で良かったよー! あ、無事じゃないか? でも無事で!」
「私の方こそ……工戸さんが生きてていてくれて、とても嬉しいです」
嘘はなかった。また再会できるとは思っていなかったし、その諦めが覆されたのは、とても言葉では表しきれない心境だ。
こっちもこっちで、正直なところ、まだ実感が持てていない。
だから無理やり、笑顔を作る。
「すぅー……」
なのになぜか、リンゴは冷や汗をこめかみから流しながら、思い切り白い粉を吸っていたものである。横転した。
「ちょ、ちょっと! なんでまた毒飲んでるんですか!?」
「あの、うん。こういう空気苦手で……ちょっとキメたくなって」
「素直に喜んだらいいじゃないですか……っ。困ったら毒に頼るの、やめた方がいいですよ? ホント社会復帰できなくなりますよ?」
社会って言えばさ、とリンゴが強引に話題を変えて来る。
「椿ちゃんはこれからどうする?」
「……有能部……という機関がいまして、もう少ししたら到着するはずなので、まずは事情を説明するのが先かな、と」
「枯沼市が、毒沼市になりましたー、って?」
椿は氷のような目を注いだ。
「すいません。言いたかっただけです」
「……その後は、私にもわかりません、どうなるかは。でも、どこかで仕事を見つけて、暮らしていかないといけないですね」
「そっかぁ。あたしはどうしようかな。元々風来坊だしなぁ」
「あの……工戸さんさえよければ、一緒に来ません、か……?」
やや顔を熱くしながら、椿はそう誘ってみた。
「……えっ、いいの?」
「はい。住む場所とか、そういうのはまだ何も決まってませんけど……一緒にいてくれたら――嬉しいです」
「いいよ!」
「二つ返事ですね!」
すかさず突っ込みを返す。リンゴのこのノリにも慣れ始めている事を実感した。
「――私からも、一つ訊いていいですか?」
「なにかな?」
「……毒沼を作る時、まだ生きている人や、逃げ遅れた人まで……巻き込みましたか?」
真摯な椿の声音に対し、リンゴは肩をすくめて。
「誰も巻き込んでないよ。生きてる人が近くにいる場所の毒化はやらなかったし。そんな事しなくても、充分足りたさ」
「……もし足りなかった場合は。どうしましたか?」
「んー……その時は」
何の気負いもなく、リンゴが虚空へ拳打を放ちながら返答する。
「――リンゴちゃんパンチでトドメ刺すっ」
椿はつられて、あえかな笑みを浮かべた。
「……そうですか」
「でもさ……真面目な話、椿ちゃんは能力者として目覚めたみたいだけど」
「はい」
「これからも、その刃を振るうの?」
椿は黙り込み――数秒おいて、頷く。
「私は……今まで、ただ生き延びるので手一杯で」
「うん」
「町のあちこちで何が起きていたのか、知る余裕なんかなくて。気が付いたら、取り返しのつかない状況にまでなっていて……」
「ほほう」
「多くの人が、犠牲となりました。多分ですけど、これから毎日、悪夢にうなされるでしょう。何もできなかった私への罰、だと思います」
「ほええ」
「クダヘビに関しても、中途半端に会話して、最後は工戸さんに任せきりで。ほんと、何もかも中途半端で……」
椿は新たな力を得た。大怪異にすら届くほどの力を。
それでも――否、だからこそ、至らなさを思い知らされた。
これからも、困難に直面した時、振るう事があるかもしれない。身を守るため、誰からを守るため、未来を切り開くため――神廷家の血族として、怪異狩りの刃を。
「だから……強くなりたい。そう思いました」
「……もう充分強くね?」
「――全然未熟ですっ」
朝陽がちらちらと、地平から顔を覗かせる。
「ねぇ、椿ちゃん」
「はい?」
「あたし、初めてなんだ。こうして誰かと一緒に朝日を見るの」
リンゴの言葉に、椿は静かに微笑む。
長い夜が明けようとしていた。