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第16話

『……驚愕、驚嘆に値する。大した善戦ぶりだ』


 椿の猛攻が止み、多少のインターバルを挟んだからか、クダヘビの声にもまた、冷静さが戻っていた。


『これほどの使い手は……かの戦時中にもそういなかった。誇るがいい、貴様は俺様を追い詰めているのだ。俺様に何度も死のイメージを植え付けた』


 だが、と勝ち誇った叫びが上がり、月を覆い隠そうとしていた雲を寸時に晴れさせる。


『悲しいかな、これが人間の限界! 能力者といえど、所詮は怪異にはなれん! 後ほんのちょいとした二手、俺様の命へは届かんというわけだ……!』

「届かせて、みせます……」


 喘鳴交じりに椿は呟く。手元が震え、足先が硬直し、力が入らない。


「……たとえ、刺し違えてでも……!」

『……こいつ……』


 ふらつく四肢を叱咤し、椿が壁へもたれかかりながら立ち上がった、矢先だった。


「――椿ちゃんが死ぬ必要はないよっ!」


 聞き覚えのある声が、その場に響く。

 全身を苛む痛みも疲れも忘れ、椿は瞠目しながら、声のした方へ首を巡らせる。

 先ほど、熱線が抉り、吹き飛ばした――もう枯沼市のどこだったかも分からないクレーターの手前。

 そこに、金髪の少女が立ち、こちらを見据えている。


「……工戸、さん……?」

「さよう……工戸リンゴ、復活!」


 しゃちほこばった口調と声音で、リンゴが変なポーズを取りながら応じた。

 右手で天、左手で地をそれぞれ示す、よく分からないポーズである。


『やはり死んでおらなんだか……毒女!』

「そんな……で、でも、工戸さんは、さっき、確かに……」

「細かい事は言いっこなし! とにかく、ここからはあたしが交代するよ! やいやい、クダヘビ!」


 リンゴがびしっとクダヘビの本体――とりあえず手前の方の首を指差す。


「よくも椿ちゃんをボコってくれたなぁ……ゆるさーん!」

『ぬかせ! 貴様相手ならば、もはやむしろたやすいわ……先ほどのように瓦礫投擲と分身どもで始末すればいいのだからなァ……!』


 クダヘビの声が地上を打ち据えるのをよそに、リンゴはその場で腰を折り、両膝を突く。

 そして前かがみに上体を倒し――両手を突き出して、ぺたりと。それぞれ路面へつけたのだった。


「……工戸さん……?」


 あまりに突然の、意図不明の行動に、椿はつい怪訝な声を漏らす。


『……なんだ、それは。何かの構えか? それとも今更土下座して、命乞いでもする気か……?』


 クダヘビも動きを止めて観察へ回っており、なんとも言い難い異様な空気が漂う――。


『ふざけるのも大概とせよ、木っ端怪異が! ……読めたぞ、神廷の娘が回復するまで、道化を装い時間稼ぎをする気か……?』

「く、工戸さん! 私は大丈夫ですから! ここは任せて、逃げて下さい!」


 しかし、クダヘビが攻撃態勢を取っても、椿が訴えても、リンゴはその姿勢を維持したまま解かない。それどころか。


「……百、二百……」


 何か、呟いている。距離が離れているから、風に乗ってかすかに聞こえる程度だが。


「……千、二千……」


(……数字を、数えている……?)


 一体、何のために。というより、何を数えているのか。

 リンゴの行動すべてに困惑し、飛び出したものか、待機すべきか迷う。

 彼女の事だから案外またキメすぎて、おかしな奇行へ走っている可能性も消しきれない。

 出会った時からそうだ。リンゴはどこまでも、椿の予想の外を行く――。


「……一万、二万……!」

『狂人の戯れには付き合っておれんなぁ! 死ねィ!』


 首が振りたくられ、表面に残る廃墟と化した建物が、リンゴめがけて振り落とされかけ。


「――ねぇクダヘビ。この町でさぁ、何人殺した?」


 ふいに発せられた疑問。あまりにも異質な内容ゆえ、首が警戒するように静止する。


『……なんだ? 何を言っている?』

「こうしてると、感じるんだ。犠牲者たちが放出する霊力が、地脈を通して吸われ、混然一体になっていくのがさ。――六万八千二百十一人。へぇ、たった一夜で随分殺したねぇ」

「……そんなに……」


 到底実感のない数に、椿はショックのあまり口元を手で覆いかける。その数字の中に、父はもちろん、友人や知り合いが、どれだけ含まれているのだろうか。


「その本体って……地中の霊力を吸い上げて現出させられてるんだよね?」


 リンゴの言葉はほとんど独白さながらで、その意味するところはいまだ見えない。ただ。


「だったら……もしあたしが本当に怪異なら、同じ事ができるはず」

『……な、何を策していようと、その前に轢殺してくれるわ!』


 刹那であった。突如として地響きが沸き起こった。

 激しく波打つ地面。慌てて刀を突き立て、振動に耐える。


「な、何が……っ?」


 漏れた疑問は、クダヘビの悲鳴に等しい叫びにかき消される。

 驚いて振り向けば、残る二本の首が、もがき苦しむみたいに左右へ振り回されながらまるで、地獄へ引き込まれるみたいに――少しずつ、本当に少しずつ。下がっていく様子が見て取れた。


「お喋りしてくれてありがと。間に合って良かったよぉ」


 リンゴはさっきまでと同じ、地面へ両手をついた体勢のまま、にんまりと笑む。


「“犠牲者全員の肉体を毒へ変えた”。アスファルトも土も腐らせ溶かして、全部町の下へ落ち込み、流れ込んでいくよ。このクレーターみたいに、ある一か所を目指して」


 リンゴの正面にあるクレーター。底部分から紫色の液体がずぶりと滲みだし、独特の香りが満ちてきている。その水位もまた、緩慢ながら上がって来ていた。


「その一か所がどこかは……もーわかるよね?」

『こ、こんな……こんな、バカな……ぁ!』

「そ。キミの真下。地脈の中心部にさ」


 ずん、と重々しい地鳴りが大気を震わせる。同時に蛇首がまた一段、地層ごと下がった。

 気づけばクダヘビの周囲は紫色の液体で満ちている。その直下には、リンゴの近くにあるものよりももっと大規模な、すり鉢状のクレーターが出来上がっているはずだ。


『い、イカれている……! まともではない! 俺様の傷を癒せるほどの、高密度の芳醇さと清らかな神性を秘めたこの地を……たった一人を救うため、使い捨てるなどぉ……!』


 二つの首は接触面からたくさんの煙を噴き出し、もがき苦しみながら荒れ狂う。


『仮にも神廷の娘と契約したのではなかったのか! 死人を弄び、利用しッ! 恥を知れェ!』

「そんなの知らないよ。あたしが大切なのは椿ちゃんだけ。――他はどうでもいい」

「……工戸さん……」


 クダヘビはもはや、蟻地獄に囚われた虫。滾々と湧き出る毒の沼に浸され、引き込まれ。


『こ、この程度の……小細工など! すぐに抜け出して……ッ』


 されども、二つの首はてんであらぬ方へ傾いたあげく絡まり、揃って毒の飛沫を浴びる。


『うおぉぉぉおぉッ!! く、首を斬られ過ぎた! バランスが取れん……!』


 片方の首はそれきり沼から抜け出る事なく、大量のあぶくだけを残して消えていった。


「……終わりだね、クダヘビ」


 するとどうだろう。肉を垂らし、とめどなく鮮血を流し続ける最後の首が、それでもぐるりと鎌首をもたげ――猛スピードでリンゴへ襲い掛かる。


『術者さえ殺せば止まろう! 終わるのは貴様だ! 毒女アァァ――ッ!』


 対するリンゴは、地面から手を離し、すっくと立ちあがった。

 その身に多量の霊力が集まっていくのが、能力者として覚醒した椿には、はっきり視認できる。


(これは――地脈の霊力……!?)


 地上から落ちて来た大量の怪異毒に、押し出されて来たものだろう。


「地脈が潰れた以上、追い出されてあふれた霊力はただ空気中へ霧散するのみだけど……」


 リンゴが両腕を差し出すように、ゆったりと構える。

 ――見覚えのある構えであった。

 あれは確か昨晩、初めて出会った時、リンゴがクダヘビの分身へ見舞った。


「そのわずかな間隙であるならば、まだ再利用できるよね」


 霊力が緑色へ染まり、リンゴがかざした手の中へ収束されてゆく。

 そうして出来上がるのは、一つの光球。されどもそのサイズは前回のものとは段違いで。


『死ねェ――ッ!!』

「……毒瘴波・唯我ゆいが!」


 周囲の建物を引きちぎり、道路をひっぺがすほどの、壮絶なまでの衝撃。

 リンゴの気勢とともにブッ放された光球が、真っ向から最後の蛇首へ突貫し。

 真昼かと錯覚せんばかりの、目もくらむ緑の極光が空間を満たした――。

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