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第13話

 道場からこけつまろびつ飛び出す椿。一拍置いて、柱じみた形状となった管が砂利の中から、追いかけるように間髪入れず生えて来る。


『どこへ逃げる!? 逃げても無駄だ!』


 背後の道場が地盤ごと斜めに持ち上がり、その下から幾重にも重なった管の塊が飛び出す。離れも似たようなもので、すでに多数の管が巻き付いており、屋根や柱が締め上げられて折れ、周辺に石片や木片をまき散らして崩れ出していた。


「工戸さんが……工戸さん!」


 椿は裸足のまま、必死に走りながら母屋を目指していた。半ば麻痺した頭の中で、いまだ寝ているはずの友達の姿だけが、幾度も再生されている。

 なのに――目前まで迫った母屋が、地中からあふれ出た大量の管に巻き込まれ。

 そのままぐしゃぐしゃに丸められながら、土の下へと引き込まれていく――。


「く……工戸さ――」


 立ち尽くす椿の左方で、離れとをつなぐ渡り廊下が石畳ごとめくれ上がった。足元が引っ張られるように揺さぶられ、その場で膝をついてしまう。

 内臓みたいに蠕動する管が各所から覗く地面の一部が、ゆらりと中空でしなり――鞭の如く振り下ろされる。


「あ……」


 回避が――間に合わない。対象がデカすぎる。


「――椿ちゃん!」


 声がしたと思ったら、逆側から腹の下へ腕を入れられ、ひょいと抱え上げられた。視界の端を金色の髪が揺れる。


「工戸、さ……」

「喋んないで! 舌噛むよ!」


 めくれ上がっていく地面から反対方向。リンゴが門の方へ駆け出す。

 続けざま、足元の石畳が盛り上がり、無数の管が噴水のように湧き出した。リンゴは管が跳ね上がってくる瞬間を見計らい――その勢いを踏み台に、大きく地を蹴って跳躍した。


「でええぇぇぇぃッ!」


 椿の視界が一瞬だけ地面へ向き、それからすぐに上へ昇った。

 夕焼けはとっくに地平へ沈み、逆さとなった空には黒と月が主張を始めている。

 巻き上がる土煙に尾を引かせ――椿とリンゴは一帯を見下ろせるくらいの高い位置まで辿り着いていた。

 独特の浮遊感が身体を満たすも、重力に捕まるのも早いだろう。


「……工戸さん! 工戸さーん! お、落ちっ、落ちちゃいますよっ!」

「任せて! あたしの毒でぇ……花開けッ!」


 リンゴが片腕を突き出す。拳が握り締めていたのは、神廷家の庭園から引き抜いた藤のつるであった。

 毒が注がれた瞬間、茎はみるみる膨らみ、緑から白紫へと色を変えていく。うねるように枝を伸ばし、蕾が一斉に開花し始める。

 いくつもの蕾が同時に咲き誇り、まるで傘の骨のように広がるつるの先々から、人の背丈ほどもある異様な大きさの花房が咲き乱れた。


「こ、これって……!」

「この子の生命力を加速させて、たった今成長してもらったんだ!」


 白く透き通る花びらは月光をすくい取り、膨らんだ房が風を受け止めて、二人の落下速度を緩やかに。

 淡い光に照らされながら、ゆらゆらと舞い降りていく、即席のパラシュート。

 これなら、墜落死せずに済みそうだ――ほっと一息ついた椿は、下方へ目を向け。


「……え……?」


 町が燃えている。最初に抱いた感想はそれだった。

 妙に明るいと疑問だった。月明かりのせいだけではない。見渡す限りの街並み。その建物のあちこちから煙が上がり、立ち昇る炎が鮮烈な照明と化している。

 一番近くの大通りでは、車同士が何台も追突して玉突き事故を起こしていたり、民家へ突っ込んで壁へ大穴を開け、火災をより広げていた。

 ぱちぱちと、あぶるような火の粉の破裂音。鳴り続けるクラクション。何かが崩れ落ちる音。熱気とともにそれだけの異音が立ち込めているというのに、人の声がほとんど聞こえないのが、逆におかしかった。

 ――通りの上にちらほらある、赤い水溜まり。倒れている、黒焦げの塊。四肢があり、どれもぴくりとも動かない。


 吐き気をこらえるのに限界がきた。


「う、えぇぇっ……!」

「わわっ、椿ちゃん! ここで吐かないで、我慢して!」


 高度が下がっていく。ひとまず近くの通りへ降りた。役目を終えた藤の花は、すぐに枯れてしまう。

 ――周りには誰もいない。恐ろしいほど静かに、死だけが二人を囲んでいる。


「い……生きている人は、いないんですか……!?」

「わかんない。そこら中に負の痕跡が集まってる。……死因も大体共通してるよ」


 手近な遺体を検めたリンゴが、傷跡の特徴を短く語る。椿の右手がずきりと痛んだ。


「クダヘビは……どうしてこんな真似を……!」

『知りたいか?』


 憤然と漏れた椿の問いに、応じたのは当の本人の声であった。慌てて二人で見回すが、姿はない。


『上だ、上』


 コケにしたみたいな声色を受け、揃って見上げる。

 ――高い。二人で跳び上がった所よりもなお高い位置に、巨大な何かがそびえていた。

 言うなれば塔のよう。否――それは地表から引きはがされた、町の一角だ。コンクリートとアスファルトと、その上に多数の民家が貼りついている。

 それが複数。二人を囲むように四方から伸びて、見下ろすように揺れている。

 蛇だ、と椿は思った。町という分厚い皮をかぶって再現した、蛇の首。恐らくあの中には、大量の管が潜んでいるに違いない。


「……うわっ!」


 リンゴが飛び退いた場所へ、瓦礫が降ってきて砕けた。

 サイズの次元が違う。貼りついていた道路や民家の一部が、簡単に削げ落ちてくる。

 攻撃ですらない。首がちょっと身じろぎするだけで、たやすく二人を押し潰してしまえる――。


『この町の地脈は……全ていただいたぞ』

「ち、地脈……?」

『これまで神廷家によって守護されていた、霊力の源……! 俺様はそれを手に入れ、こうして本体を地上へ現出させられるまでに至ったのだ!』


 ――巨人の手で握り潰されるみたいに、町が歪んでいく。

 建物が捻じれ、道路が裂け、街灯が折れ曲がる。

 生きた絵画が溶けていくように、見慣れた風景が目の前で姿を変えていった。

 まさに神の御業。どこか美しくもあり、それ以上におぞましい。

 記憶の中の見慣れた景色が、失われていく──。


「……本、体……」


 今見えている、これらの首の事だろうか。これまでの襲撃は、クダヘビにとっては、ちまちました分身のお遊び程度にしか過ぎなかった、と――。


「あ、あなたは……何の目的で、枯沼市を襲うのですか! 地脈を奪って、一体何がしたいんです!」

『無能戦争で受けた憎き古傷を、癒したかっただけよ。これほどたくさんの霊力でもなければ、ちっとも治らなくてなぁ……今まで痛くて痛くて、耐えがたかったぞ……!』


 後は、とクダヘビの声が、途方もない重圧を伴って一帯へ押し寄せる。


『神廷椿……! 貴様さえ倒せば、忌々しい血統は潰える!』

「くっ……」

『そして毒女! たかが怪異でありながら大怪異に盾突いた裏切り者! その毒されきった性根ごと、浄化し尽くしてくれるわ!』

「えー。許してよぉ」

『ゆるさーん!』


 一際大振りに首が揺れ動き――表面の民家が纏めて数十個飛散し、地上へ向かって落下を始めた。

 明確な意思を伴っての攻撃。威力も量も、散発的に落ちて来ていた瓦礫とは比較にならないのは確かである。

 椿はリンゴの手を引き、身を翻す。


「――走って、工戸さん!」

「わわっ……わぁっ!」

『特に毒女……貴様にはもう一切近づかん。こうして遠距離から始末してやるぞ!』


 無我夢中で駆ける。背後から連続する轟音には生きた心地がせず、近くで衝突した瓦礫が巻き起こす衝撃は、その余波だけでともすれば薙ぎ倒されてしまいそうだった。


「ど、どこに逃げればいいんだよ、椿ちゃん!」

「わかりません! とにかく、奴から身を隠しましょう! どこかに隠れて、倒す隙を……!」

「どこかって……どこに!? 町じゅう全部、あいつなんだよっ!?」


 通りから手近の路地へ曲がり、家同士の細い隙間へ飛び込む。

 クダヘビが上から見ているのなら、こうして狭い道の遮蔽を使えば、視界から逃れられるのではないか――。


『バカめ! 町と一体化した俺様の目は、どこまでも貴様らを見ているぞッ!』


 途端、進行方向の民家が纏めて持ち上がる。

 土台部分には木の根よろしく管が巻き付いており、民家同士が道を掘削しながら挟み込み、通せんぼしてしまった。


「そんな……!」


 椿は潰れた塀を叩くが、そんなもので開くはずもない。背後からは天を衝かんばかりの蛇の首達が、町にジグザグの地割れを作りながら追ってきている――。


「……あたし達が隠れても見えてるって事は、目があるってわけだよね」


 その時、背後のリンゴが、何か考えを整理するように、呟きを漏らした。


「町と一体化した――そこらじゅうに管がある。つまり、どこもかしこも、アイツの感覚器官だらけってわけで……」

「く、工戸さん!? 早く別の場所へ逃げましょう、そうしないと……!」


 瓦礫が降って来る。椿たちを狙って。

 さらにダメ押しとばかり、周囲からは細い管の群れが這い出て、うなりを上げて迫って来ていた。


「椿ちゃんは先に行って! 早く!」


 リンゴがバッグを抱えるように持ち変え、繋いでいた手を離す。椿は息をひきつらせた。


「は、反撃しちゃダメです! 意味ないですよ……っ」


 こちらの管は、クダヘビにとっては分身のようなもの。いくらでも切り離せる蜥蜴の尾。

 ゆえに毒を浴びせようが、本体へダメージは通らない――。


「いいから早く!」


 振り返ったリンゴは、これまでに見た事がないほど真剣な目をしていた。

 でも、と言いすがる椿の前で、その姿が大量の管へ呑み込まれていく。

 あれほどの管が一か所へ叩きつけられたのだから、その威力たるや途方もなく。

 大地が揺れ、爆音が耳をつんざく。凄まじいまでの衝撃が迸り――近くにいた椿はあえなく、後方へ吹っ飛ばされた。

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