目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第11話

「ほえー……椿ちゃんのおうち、大きくて立派だねぇ」

「一応、長いので……」


 リンゴを背負い直し、奥の間へ向かう。誰も使っていない客間には、たっぷりと午後の陽が差し込んでいた。

 白無垢の布団を敷き、そっとリンゴを寝かせる。熱でほてった頬が、柔らかな布に埋もれていく。


「お粥を作ってきますから、少し待っていて下さい」

「んー……ありがと」


 ぼんやりとした返事に、椿は一度頷いて台所へ。

 台所から手頃な鍋を取り出し、研いだ米を入れ、たっぷりの水を注ぐ。火加減を調整しながら、時折かき混ぜて。

 その間にも、おろし生姜を細かく切り、青みの少ない薬味ネギを刻む。温めた鶏そぼろを添えれば栄養も補給できそうだ。

 ――そつなく作りながら、椿は自分の行動に小さな戸惑いを感じていた。

 たった数時間前まで命を狙われた恐怖、そして見ず知らずの怪異めいた少女を家に招き入れる現在。常識的に考えればあり得ない展開だ。

 それでも包丁を握る手は迷いなく動く。母から教わった作法が、混乱した心に静かな秩序を取り戻させていく。

 この奇妙な恩義も、いつか必ず返せる日が来るはずだ。湯気が立ち上る様子に、椿はそんな予感を見た。

 お粥は柔らかく、米が丁度良く溶けた頃合いで火を止める。

 リンゴの隣の部屋に低い膳を運び、湯気の立つお粥を中央へ据える。周りには薬味と具を小鉢に盛った。温かいうちに召し上がってもらいたい。



「工戸さん、できましたよ」


 襖を開けて隣室から声をかけると、リンゴがゆっくりと身を起こした。


「おー……」


 まぶたがとろんとしていて、布団から這い出る動きはもそもそと鈍い。


「あ、眠いのなら、後でも……」

「ううん。食べる、食べる。食べるの大好き」


 四つん這いで近づいて来て、椿の向かいで膝を折って座る。お尻が座布団から半分ほどずれている中途半端な姿勢が、椿的にはちょっと気になり、一瞬視線が逸れた。


「んんむ……美味しい。美味しいよ、すっごい!」


 湯気を立てる茶碗と箸を手にして、かちゃかちゃと音を立てて口に含むや、たちまちのうちに目を輝かせたものである。


「お口に合ったみたいで良かったです。でもあんまり急いで食べなくていいんですよ」

「早食い、癖になってて。だって美味しいものは、すぐに食べたいし……誰かに取られちゃうかもしれないし」


 先ほどまでの弱りぶりが嘘みたいなせわしなさに、椿はなんとなく、リンゴがこれまでどうやって生きて来たのか、その一端を察せた気がした。


「うぅ……精進料理って感じで、胸の中があったまるのに、身は引きしまって、神的な心持になるよー」

「そ、そんな大層なものじゃないですよ。……私、昔は身体が弱くて、よく寝込んでた時に、母様が作ってくれたんです」


 だから正直、料理はあまり得意ではないが、具合の悪い人向けならば心得がある。まさかこんなにがっついてくれるとまでは思っていなかったが――。

 椿がそんな来歴を語る時は、リンゴは食べる手を止めて、じっとこちらを見つめていて。


「……あたし、毒飲むと怪我や病気は全部治るんだ。でも体力はご飯食べないといけないから……」

「だからって……こんなにぐったりするくらい、過剰摂取ですよ、いくらなんでも……」

「毒飲まないと、体調が悪くなるんだ。でも飲み過ぎると、今度はご飯がお腹に入らない。衰弱しちゃう。ジレンマだぁ」


 そんな理由があったのか。どういうメカニズムなのか、甚だ謎である。


「この町に来たのもね、たくさんの負の痕跡があったから、毒を集められると思って」

「負の痕跡……なんなんでしょうか、それって」

「あたしの造語。能力者や怪異が悪事を働くと、その場に目に見えない力の残滓が、滞留するんだ。そこへ近づいて、ちょちょいってやれば、ほらこの通り」


 ちょちょい、の段階でリンゴは茶碗を置き、虚空に向かって両手を合掌。こするみたいに上下させる。

 するとどうだろう。開かれた掌中には忽然と、数粒の錠剤が出現していたのである。


「す、すごいですね! マジックみたいです」

「あたしの力の一つ。負の痕跡から毒を生成できる。悪事が大きい規模なほど、それが行われた時間が早いほど、たくさん毒が手に入る……痕跡はそれで消えるけど。んで、あたしはこれを、“怪異毒かいいどく”って呼んでる」


 リンゴが呟きながら、一粒口へ放り込もうとするので、椿は慌てて上体を伸ばし、その指先を掴んで止めた。


「不健全ですっ」

「むー」


 そういえば、と椿は、リンゴがいつも持ち歩いているバッグを見やる。

 朝頃に確認した時点ですでにパンパンだったものの、今はその域を超えて、開け口からはみだしてしまっている。


「……もしかして、学校でも生成していたんですか?」

「う……」

「わ、私達学校の仲間の不幸を、好物に変えて味わっていたんですか!? 信じられませんよ、ひどいです!」

「ごめん……戻して来る」


 普通にしゅんとされたので、一時は憤りかけた椿も、毒気を抜かれてしまった。


「……戻せるんですか?」

「戻せない……」


 これまた素直極まりない口調で答えられ、椿は何かおかしくなって、小さく吹き出してしまった。


「な、なんで笑うのさー。真面目な話なのに」

「ごめんなさい。作っちゃったものは……もういいですよ。みんなには内緒って事で」


 それにしても、これほど毒に関しては貪欲というか、もはや死活問題としているリンゴが、こうもたやすくあちこちで集める事ができる、という状況には、いくらか疑問が湧く。


「あの……昨日、枯沼市には負の痕跡がたくさん、という風な事柄を言ってましたよね」


 クダヘビが暴れた今日なら分かる。しかし奴が現れたのはごく最近のはず。

 負の痕跡がそれ以前から多いというのなら……例えば他の能力者や怪異が暗躍している可能性も考えられるが、椿の知る限り、テレビではそれほど、ひどい事件といったニュースは流れていなかった。


「なんていうか……地脈かな? この町、地面の下からなんかモヤモヤしたエネルギーが溢れてるんだよね。それがあちこちで、負の痕跡っぽい感じになってて……」


 ゆえに、そこから怪異毒を生成できているのだという。椿はなるほどと得心し。


「確かに枯沼市には、特殊な霊力の道がいくつも走っています。私達人間が活用するならまだしも、怪異に土地を奪われると困るので、戦後、神廷家が本宅をここへ移したと……」

「へー、そういういきさつが。……あれ? じゃああたし、勝手に生成しまくるのはやっぱまずかった?」

「えっと……その前に確認なのですが。……あ、お茶持ってきますね」


 リンゴの茶碗が空になっている事に気が付き、椿はたたっと台所まで駆け、沸かしておいた急須を取りかけ、ふと手を止め。


「……あっ! 工戸さん、熱いのと冷たいの、どっちがいいですか?」

「冷たいのー」


 危なかった。冷蔵庫に入れておいたボトルを取り出し、代わりにそちらを湯呑みへ注ぎ、リンゴのところへ戻る。


「どうぞ」

「ありがとー」


 ごくごくと勢いよく飲み下すリンゴを待ってから、椿は神妙に声を潜めて問いかける。


「あの……工戸さんは、怪異なのですか?」

「んん……あたし、怪異なのかな……。自分でもわかんないや」

「――分からない?」

「昔の事、覚えてなくて。気づいたら知らない所でふらふらしてて、すっごくお腹が空いてて……」


 湯呑みを両手で持ち、リンゴが半分ほどにまで下がった水面へ目を落とす。


「毒が身体に良い事は……本能なのかな? すぐに分かったから、あちこちで作りまくってたら、たまに毒を失くしたり、撒いたりしちゃって、困る人が出て、同じ場所にいられなくなって。……どこへ行っても気味悪い目で見られて、端っこの隅でさまよってた」

「工戸さん……」


 リンゴの顔つきは落ち着いた風でいながら、声音に元気がない。具合が悪い今の状況と無関係ではないだろうが――。


「だから、椿ちゃんがまともに話してくれて、嬉しかったんだ。何か力になりたいな、って思ってついていったら……あはは、面倒見られてるのはあたしの方だし。そもそも本来、あたしみたいなのは来ちゃいけない所みたいだし。だめだなぁ、って……」

「そんな事……」


 椿は手を伸ばして、湯呑みを持つリンゴの両手から、包み込んだ。


「そんな事、ないですよ」

「椿ちゃ……――」


 リンゴが椿を見て、言葉を途切らせる。いつの間にか、自分でも気づかないうちに、椿の頬には薄く涙が伝っていた。


「工戸さんは昨日の夜、確かに私を助けてくれて……逃げても良かったのに、それでも戦ってくださいました。今日だって、そんなにつらい身体のはずなのに、力を貸して下さって。私だって……とても、嬉しいですよ」


 リンゴの目は、珍しく焦点が合っていた。真っ向から椿と視線を見交わせている。


「だいぶ、遅れてしまいましたけど……言わせて下さい。――ありがとうございます」

「……あはっ」


 リンゴはふいに縁側の方へ顔を逸らすや、ごまかすみたいに残りのお茶を飲み干す。


「こんな、会ったばかりの変な奴の為に泣いてくれるんだから――いい人だよ、椿ちゃんは」

「工戸さん……」

「……どういたしまして」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?