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第10話

 怪異は去ったものの、学校には多くのパトカーや救急車が駆け付け、てんやわんやの騒ぎとなっていた。

 特に怪我がない生徒は下校が許され、椿も命には別条がないというので、帰宅する事に。

 時刻は正午。椿は山や森の近い、町の端の路地を選んで歩いていた。疲れた足を引きずりながら、人の目を避けるように建物の影に身を寄せる。制服はあちこち裂け、血に染まっているから、表通りは歩きたくない。つい先ほどまでの戦いが、まだ身体中に残っている。包帯に包まれた右手の傷がうずき、歩くたびに主張した。

 近くの路地へ目をやると、昼下がりの陽射しが白い壁に反射して、妙に眩しい。普段なら下校時間にはまだ早いこの時間、通りには人の気配がほとんどない。

 どこかの庭先から洗濯物が風に揺られる音が聞こえ、猫が日向ぼっこをしている。雲一つない青空の下、いつもと変わらない静かな住宅街。近所の主婦がベランダで植木に水をやる姿も見えた。


「ごめんねぇ~……迷惑かけちゃって」


 おんぶしたリンゴが、すまなそうに耳元へ声をかけてくる。

 お互い様ですよ、と椿は応じた。


「本当に動けなくなってるなんて、私も思ってなくて……迎えに行くのが遅れてすみません」

「ううん、来てくれたから、嬉しかったよ。このまま忘れられちゃうのかな、空が青いなー……って、仰向けで見上げてたし」


 冗談めかして漏れる笑声。吐息は生暖かく、身体も熱をもっている。

 疲れているどころか、ひょっとすると体調を崩しているレベルなのかもしれない。


「辛くないですか? 私の方が背が低いから、足先とか地面こすっちゃってますし」


 包帯を巻いた右手も穴だらけだから、うまく力が入らないのも申し訳ない。


「平気平気。ちょっと休めば治るって……」


 ぐぎゅう、とリンゴのお腹が不機嫌そうな音を立てて、主張する。

 ……あまり苦言はかけたくないものの、椿は言わずにはいられなかった。


「あの……やっぱりもう、毒を飲むのはやめた方がいいと思います。身体に悪いですよ」

「えー……?」

「毒より、お菓子とかジュースとかの方が、ずっと美味しいと思いますけど」

「お菓子にもジュースにも、人体に悪影響をもたらす物質、盛りだくさんじゃん」

「う、それはそうですけど」


 一理ある。とはいえリンゴの弱りぶりは、度を越している風に見えてならない。


「椿ちゃんこそ、早く帰った方がいいよ。あたしはその辺に捨ててってくれたらいいから」

「――そんな事、できませんよ!」


 つい肩越しに顔を振り向け、強めの口調で拒否したが、じゃあどうするの、と言いたげに、リンゴはきょとんとしている。


「工戸さん……お粥とかなら、食べられますか?」

「多分……」

「なら、このまま私の家まで行きましょう。そこで何か作ります」

「椿ちゃん、料理できるの?」

「す、少しなら……花嫁修業の一環とかで」

「へぇ、すごいなぁ。椿ちゃんのお婿さんは、すっごく幸せ者だねぇ」

「や、やめて下さいよ……」


 気恥ずかしさをごまかすつもりで、足を速める。


「ほんとにいいの? 椿ちゃんのとこ、怪異が嫌いなんじゃない……?」

「父さまには、私から言いますから。きっとわかって下さいます」

「なんて言うの?」

「……と、友達を助けたいんです……とか」


 背中のリンゴにも負けないくらい、頬が熱くなってきた。


「……なんか、通信が不安定だなぁ」


 こちらの気持ちをよそに、リンゴは片手で自分のスマホを取り出し、触っている。


「もしかして、壊れました?」

「ううん。圏外になったり、繋がったり……変だよ」


 しきりに首をかしげているが、椿とてオンチゆえ、何を意味するのかが分からない。

 ……遠くで、街路に備え付けてあるスピーカーから、呼びかけの放送が流れていた。


『……なさん……緊急……なので……出ないように……』


 耳を澄ましてみるが、周りが民家に囲まれているために音が遮蔽され、よく聞こえない。

 放送自体はいつの間に、すでに何度か繰り返されているような感じだったものの、突然ブツっという音を立てて途切れ、それきり再開されなくなる。

 とにかく、そのまま家まで帰り着く。

 屋敷の門を開け、砂利の敷き詰められた庭園を抜けて、玄関の前までやってきた――。

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