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第6話

 高校への通学路を歩く。空は晴れ渡り、暖かく心地良い風が吹き、空気も清々しかった。

 しかし、椿の心は曇っている。目線は下へ、足取りも重い。

 昨日の出来事の恐怖が、いまだ内臓を潰さんばかりにこびりついているのもそうだが――町の様子があまりにも、普段と違っていたからだ。


「どいてどいて! 怪我人を運ぶよ!」

「こっちの家も駄目だ……二階が崩れ落ちてる上に、家族全員やられてる」

「どうかみなさん落ち着いて! 犯人は全力で捜索していますから!」


 あちこちに留まったパトカー。走り回ったり、無線で連絡を取り合う警察の人達。

 日が昇っても、まだ状況が全て明るみに出たわけではないのだろう。クダヘビは椿たちを襲ってから、一体どれだけ暴れたのだろうか。

 人々は各々足を止めて様子を窺ったり、人目を避けるみたいに顔を伏せて歩いていたりと、事件の余波がありありと影響を及ぼしている様が、そこかしこで見受けられる。


「おなかすいたー」


 ……緊張感の欠片もない声が、横合いからした。

 聞き覚えのある声だ。足を止めて顔を振り向ければ、そこには小さな公園。

 手前のブランコに、長い金髪に緑のジャケットを着た少女が腰掛け――漕ぐでもなく、力なく足を地面へこすらせている。


「おなかすいたよぉ」


 まるで遊び疲れていじけた子供が、しきりに駄々をこねている風。

 椿は公園へ入り、少女の前へ立った。


「……やっぱり。工戸さんですね」


 やや背を折り、垂れさがった髪の間の顔を覗き込んでハッキリした。昨日あれだけ強烈な印象を残した相手を、そうそう見間違えるはずもない。――工戸リンゴである。


「……あ。椿ちゃんだー」

「おはようございます」

「おはー」


 リンゴも椿を見上げるや、気の抜けた笑みを浮かべ、軽い調子で挨拶してくる。遠くでサイレンが響いていた。


「ご無事で何よりです。……クダヘビは相当、無茶をしているようですから」

「あーうん。戦争って言ってたからねぇ、あいつ。昨日」


 戦争。椿にとってはもはやマイナスのイメージしかない、忌々しい言葉である。


「そんな事よりさぁ……おなかすいちゃって」

「く、空腹って事ですか?」


 眉尻を下げながら腹部をさするリンゴに、椿は首を傾げ。


「だって……昨日、結構な額をお貸ししたはずですけど……足りませんでした?」

「ホテルに泊まった後、壊れた注射器とかの容器を買い足してたら、もうすっからかん」


 傍らのバッグはパンパンながら、本人の目元にはクマができ、心なしか昨日よりもやつれている。調子がもろに体調へフィードバックするタイプなのだろう。


「あの……通学中は本当はダメなんですけど、コンビニで、何か買いましょうか?」

「んー、そういう事じゃないんだよね」


 むむむ、とリンゴは指を立て、言葉を探すようにしながら続ける。


「たくさんキメてる時は、確かに空腹なのに、なんかモノが口に入らなくて……」


 椿にはイメージしにくい感覚だ。


「おなかすいてるのに、たべられなーい! つらいよー! おなかすいたよぉ!」

「あの……お薬をやめればいいのでは?」

「やだっ。どっちも摂取したーい!」


 困ったものである。椿は閉口して立ち尽くし――ふと時間を思い出し、公園の時計を見やる。

 じわりと、冷や汗が滲む。急がないと、校門が閉まってしまう。


「椿ちゃんは、これからどっか行くの?」

「あ、はい。学校へ……」

「あたしも行っていい?」

「はい」


 焦っていたあまり、生返事をしながら身を翻す。

 その後はひたすら話しかけて来るリンゴの相手をしながら、なんとか遅刻前に学校へ辿り着けたのだった――。





「あたし、リンゴだよー。よろしくー」


 椿の教室までついて来たリンゴが、クラスメイト達の注目を集めるのは早かった。

 透き通った金髪碧眼。平均よりやや上の身長。均整の取れたスタイル。外見においては文句なしの美少女であり、そこにきて体調が良くないからか、危うい雰囲気をいつもより強めに醸し出しているのも手伝って、男女問わず惹きつけていたのである。


「リンゴちゃんっていうんだ、可愛い名前ねぇ」

「でしょー? あたしも気に入ってるんだ」


 大勢の前でも物おじしない、ごくフレンドリーな受け答え。


「ねね、神廷さんとはどんな関係?」

「ガンギマリ仲間っ」

「どうして教室にいるの? もしかして転校生?」

「そうだよ!」


 ただし返答は、脊髄で話しているとしか思えない内容であり、たまらず椿が止めに入る。


「く、工戸さん! あんまりみなさんに、ディープな事まで語るのは……」

「んー、わかった。じゃあ軽いやつから始めようか。――ねね、みんなお近づきのしるしに、これ受け取って!」


 リンゴがバッグをまさぐり出す。開け口から覗くのは、色とりどりのカプセルだ。


「このカプセル飲むと、とってもいい気分になれるんだー! パーティしよ、パーティ!」


 駄目です! と椿は、いよいよもって声を上げた。


「授業が終わったらお話してあげますから、どこか誰もいない……そう、屋上で待っていて下さい!」

「うー」


 バッグを肩にかけたリンゴは、ふくれっ面で近くの窓を勢いよく開けて、縁へ足をかけながら外へ躍り出る。


「待ってるからね! ちゃんと来てよ、椿ちゃーん!」


 そのまま上へ手を伸ばし、壁を蹴り、なんともしなやかな動きで、椿たちの視界から消えていく。

 ちなみにここは2-Bの二階。屋上まではあと二階分のフロア。約8メートルは上にある。


「なんか……すごい人だったね、神廷さんのお友達」


 台風の目が去った後、徐々に教室の空気も収まっていった。といっても椿の周りには、よく話すクラスメイトが何人か残ったままだが。


「そ、そうですね……」

「どうやって知り合ったの? 神廷さんとは全然接点なさそうなタイプに見えたけど」

「命を救われたんです」

「そうなんだ! すっごーい!」

「ロマンチックねぇ……憧れちゃうわ」

「でも、なぜか教室までついて来てしまいますし、そもそも土足でしたし……少し常識と計画性に欠けているんですよ、あの人」


 どっと沸いた疲れから、机へ突っ伏す。リンゴのペースに巻き込まれっぱなしである。

 周りで弾む、リンゴの話題に耳を傾けていると、ほどなく教師がやって来て、ホームルームが始まった。


「えーみんなも知っての通り、昨日怪異が町で暴れて、亡くなった人も出た。先生も詳しくはまだ聞いていないが、近く政府から、非常事態宣言が出て、枯沼市がロックダウンされるかもしれん」

「せんせー! 難読漢字と横文字を並べられると、何言ってるかわかりませーん!」

「怪異ヤベェから町を封鎖するかもという話だ。今はその連絡待ちだが、とにかく当面は、今まで通り過ごしていいらしい。ただ大事を取って、今日は早めの下校になるはずだから、気を付けておくように」

「かも、とか、らしい、とか、はず、とか、何一つ正確な情報がないじゃないっスか」

「うるさい、大人は簡単に情報を確定させる事はしないんだ。というわけで授業を始める」


 教壇から取り出された教科書は、『従順実習』と題してある。


「この授業では、みんなの親や後見人との約束を公開しあって、結束を高めるのが目的だ。出席順に呼ぶので、立って、約束を言っていってくれ」

「えー、恥ずかしいっスよー」

「『他人に約束の内容を言わない約束』をしてたらぁ、どうなるんですかぁ?」

「それでも言え。先生は公務員だからな。政府の管理下にある一般市民は従う義務がある」

「俺の父さん、役所に勤めてるんですけど」

「ええい、屁理屈をやめんか!」


 そんなこんなで、一人一人が約束の内容を、時には嫌そうに、時には顔を赤らめ、時にはどうでも良さそうに、衆目の前で明かしていく。


「私の約束は……『毎日一本、牛乳を飲む事。毎日一時間、剣の稽古をする事。休みの日以外は、学校へ行く事』……です」


 椿の番となり、みんなの前で言った。おお、と驚きにも似た声が上がる。


「神廷さん、三つも約束をしてるなんて、すっごい……」

「ふうん。親に期待されてるのか、よっぽどの問題児なのやらねぇ」

「馬鹿。大事に思われてるからに決まってるだろ、お嬢様なんだし」


 あたりでそんな囁き声が聞こえてくるなか、椿は無表情で、ちらと窓を盗み見た。

 屋上の角あたりが視野に映る。

 角度のせいだろうか、ここからではリンゴの姿は見えなかった――。





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