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第5話

 地平から覗く朝陽が、神廷家の屋敷をまどろみから覚めさせる。

 縁側に差し込む陽の光が、磨き上げられた板張りの床を照らしていく。柱と柱の間に巡らされた廊下は明治の世より続き、その太く頑丈な梁は無能戦争の戦火にすら耐えたという。

 二階建ての本館を中心に、東西へと平屋の離れが広がる。古き良き時代の伝統建築であり、家柄を示す象徴の一つであった。

 そんな離れの一つ、椿の部屋にも柔らかな光が忍び込んでいた。障子の模様を投影したような、枡目状の光明が、床や壁をそっと彩っていく。

 椿は白無垢の布団の中で身じろぐ。敷き布団も掛け布団も純白で、枕に至るまで同色に統一されていた。


「う……」


 いまだぼんやりとした意識の中、枕に顔を埋めて布団に身を包み――。

 時計の針が七時を指す寸前、けたたましい音が鳴り響いた。


「はっ……!」


 上体を跳ね起こす。荒っぽい起き方に、首の辺りがぎくりと痛む。

 同時に、昨夜の記憶が洪水よろしく意識へ流れ込んできた。

 暴漢に襲われた事。クダヘビの襲来。リンゴとの出会い。そして――。

 ……制服に着替えて、部屋を出る。予備を買っておいてよかった。

 茶の間へ続く戸を開ければ、朝食の乗った机を挟み、壮年の男があぐらをかいて座っている。

 手には茶碗と箸がそれぞれ。目線はテレビへ注がれ、ニュースを眺めている風だ。


「おはようございます、父さま」

「うむ……」


 こちらの呼びかけに応じ、頷きを返して来る。

 椿は一呼吸おいてから――当然の質問を口にした。


「あの……どうして甲冑を着込んでおられるのですか?」


 朱塗りの兜。胴は黒漆塗りに金の紋様。襟には神廷の家紋を施した布を巻き、篭手も心もち袖を通した程度。しかも茶碗を持つため手首は外している始末。

 陣立ての中で休息をとる、戦国時代の武将さながらの出で立ちだ――。


「知れた事。昨晩、お前の話したクダヘビを警戒しているにすぎん」


 父が茶碗を置き、代わりに腰に差した刀へ手をやり、鞘ごと上へ持ち上げ、椿に見えるようにする。

 鞘には濃藍の漆地に金銀で荘厳な龍紋を配し、八つの玉をくわえさせた意匠。最も目を引くのは、朱と黒の組紐で結わえられた柄である。

 八枚の小判型金具が取り付けられ、それぞれに神廷家に伝わる神紋が刻まれていた。鍔は上質な白銅で作られ、複雑な透かし彫りが施されている。

 ――かつての無能戦争。神廷家は八岐大蛇と呼ばれる、八つ首の蛇型大怪異を倒した。

 その折り、失われゆく力を刀のカタチへ変え、そうして残ったのが、父の握るそれ――“オロチ”と呼ばれ、代々受け継がれている神剣であった。


「まさかずっと……昨日から、そうしていたと……?」

「蛇の怪異は狡猾で、執念深い。なればこちらは常在戦場。いつなんどき隙を見せるわけにはいかんからな」


 一見度肝を抜かれた父の身なりであったが、そういう理由なら納得がいった。

 無様にも気絶に等しい勢いで寝入ってしまった椿の代わりに、ずっと家を守っていてくれたのだ――。

 父と遅めの朝餉を囲む。二人暮らしには広すぎる邸宅ながら、椿にとっては慣れた日常の一時だった。

 だが――。


『えー昨晩、町外れの廃ビルで、いくつものバラバラ死体が発見されたと……?』

『はい。通報された方のお話によれば、中は瓦礫と血まみれで、それはもう酸鼻を極める有様だったとか……』


 ニュースから流れる内容に、つい目が吸い寄せられる。

 ――ワイプで映し出されているのは、間違いない、昨日椿と男達、クダヘビ、そしてリンゴらが出会い、悶着を起こした例の廃ビルだ。


「……ここか?」


 言葉少なに、父が問うてくる。はい、と椿も短く返した。

 直後、画面が映したのは枯沼市の大通り。そこには多くのパトカーと救急車が停められ、警察や救急隊員でごった返している。

 アスファルトの上では、盛り上がったブルーシートが、等間隔に並べられていた。

 立ち入り禁止の線に集まる住民達の近くで、ニュースキャスターがカメラへ話している。


「えー、このように、たった一晩で数十を超える殺人事件が多発しております。犠牲者は百人とも二百人とも……恐ろしい数です」

『この近辺は特にひどかったらしいですからね。難を逃れた方々の証言によれば、犯人は何か奇妙な……ホース? 管? のような凶器を扱っていたとか! いやー怖いねぇ!』

『戦後最悪の大量殺人事件といっても過言ではないでしょう』


「こ、これは……!?」


 椿は動揺のあまり、慄然と中腰になる。膝が机の裏を蹴り、湯呑みが跳ねた。


「奴の仕業で間違いあるまい。お前が生き残れたのは、ひとえに幸運だったからだ」


 父のそっけない発言に、椿は力なく座り込む。


「……クダヘビは己を、伝説の英雄などとのたまっていました。しかし、あのように荒れ狂い、殺戮を繰り返す怪異など、妄言にしても到底許しがたいと、私は思います……」

「クダヘビが英雄なのは事実だ。誇張でもなんでもない」


 あまりのショックゆえ、とりあえずお気持ちを吐露したかった椿は――父があっさり告げたその言葉に、思わず瞠目する。


「……え……?」

「無能戦争の真っただ中。クダヘビは他の怪異達とたもとを分かち、たった一人、人間の味方につき、戦った。……言ってみれば、人類の救世主と呼んでいい」

「そ、そのような者が、どうして今になって、こんなひどい真似を……」

「そこまでは知らぬ。だが、無辜の人々の命をいたずらに奪う怪物と堕したのであれば……例え古の英雄であろうと、討たねばなるまい」


 落ち着いた語り口ながらも、確固たる意志を込めて紡がれる父の言葉に、椿も唾を呑む。


「でも……勝てるのでしょうか」

「すでに手は打っている。昨晩の段階で、応援を呼んだ」


 首をかしげる椿の前で、父はテレビを朝の教育番組へ変え、みそ汁を啜ってから言った。


「無能戦争の後、政府は内々に、この国に潜む怪異を討つための専門機関を設置した。名を“有能部ゆうのうぶ”という」

「有能部……」

「所属しているのは我らと同じ、怪異狩りを生業とする者達ばかり。先遣隊が到着するのは明日の朝。俺は彼らと協力し、クダヘビを討伐する」


 気づけば食器は全て空だ。ニュースに衝撃を受け、今後の話をしながらではあるが、なんだかんだ食欲はあり、無事に食べきれた。


「椿。お前はいつも通り、学校へ行け。ただし、気を付けてな」


 学校。確かに今日は平日。そろそろ支度を始めなければ、間に合わなくなるだろう。

 でも――脳裏をかすめるは、昨日の恐怖。痛み。苦しみ。死に瀕した刹那の、冷たさ。


「……父さま。私は、その、今日は……できれば、休みたくて……」

「ダメだ。約束だろう。学校には行け」


 父の口調は断固としたもので――それ以上の抵抗は、椿には許されていなかった。


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