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第3話

「すごい……」


 一連の攻防を見つめていた椿が、そう漏らす。

 周辺の管はいつしか包囲を解かざるを得なくなり、部屋の隅や窓際まで退いて、恐る恐るといった調子でこちらを窺うにとどめられていた。


『許さん……許さんぞ、よくもこんな真似を……』

「どう? まだやる?」

『……此度は見逃してやる。だが覚えていろ、貴様の顔と名は覚えた。この世のどこにいようと……いや、宇宙船で銀河系から逃げたとしても、追い詰めて、殺してやる!』

「負け惜しみじゃーん」

『黙れッ! 俺様は負けてなどおらん。目的はすでに……達成している』


 へ、とリンゴが口を開けた直後、後ろで椿が、ぐったりと倒れた事に気が付く。


「つ、椿ちゃん?」


 踵を返して駆け寄るリンゴ。

 椿は横たわったまま応えない。屈みこみ、具合を確かめたリンゴは目を見開いた。


「な、なにこれ、肌が青紫色に……! 血色も悪いし、チアノーゼ起こしてる! 痙攣、呼吸の浅さ、吐血まで……どうして急に!」

『ふははははは! バカめ! 毒が貴様だけの専売特許だとでも思ったか!』


 背後からは、勝ち誇った声が響き渡り――徐々に遠ざかり始める。


『神廷家の娘は、すでに我が一撃を喰らっている……たっぷりと呪毒を含んだ、特製の管のな!』

「なんて卑怯な事を!」

『貴様が言うな! これは戦争であり、卑怯こそ正義! そやつはもはや助からん……残り数分の命であろう。これでどちらが勝者か、分かったはずだ!』


 管たちもいつしか引っ込み、気配が消え去っていく。


『俺様こそ伝説の英雄、クダヘビ! 次は必ず、貴様を殺してくれるわァ!』


 それきり、声はしなくなり――残った音は、弱った椿の浅い呼吸音だけだ。


「ど、どうしよう……」


 リンゴはとりあえず椿を抱きかかえるが、その細い身体に毒が回っていくのを、ただ見ている事しかできなかった。


「この毒、怪異製みたいだし……普通のお医者さんじゃ治せないし……」

「……工戸さん」


 その時、ふと椿がまぶたを開く。意識を取り戻したのである。


「つ、椿ちゃん! 良かった、目が覚めたんだね!」

「……さっきの、敵は」

「どっかいったよ……死なないで」

「そ、ですか……ありがとう、ございます……」


 椿は弱々しくも、地面に手を突き――かろうじてという有様で、立ち上がった。


「ど、どこいくの……?」

「家に、帰ります……門限、とっくに、過ぎていますから……」

「そっか……厳しいおうちなんだね」

「はい……父が、父の、ところへ……」


 ずる、ずる、と。椿が足を引きずり、階段を目指す。その動きは遅く、窓から吹き込む風でも倒れてしまいそうだった。


「家、近いの?」

「いえ……遠い、です……」

「えっとね……送ってこうか?」


 椿が膝を折り、咳き込んだ。吐き捨てた唾液には、濃厚な血液が混ざり込んでいる。


「あのね、椿ちゃん。聞いてほしいんだけど……」

「な、なん、ですか……? ごめんなさい、よく聞こえ、なくて……」

「あたしの毒……すごく強いんだ。多分、あいつがキミに撃ち込んだ毒よりもさ」

「はい……」


 椿はもう立てなかった。四つん這いで必死に突っ張り、前を目指す。


「だからさ……試してみない? あたしの毒が、キミの中の毒を倒せるか、さ」


 毒をもって毒を制す。自分の毒が“世界一”強い。

 リンゴはそう、内心自負していた。だからその言葉が出た。


「そこ、まで……お世話になる、わけには……いきません」


 椿が動きを止め、振り返る。虚ろな目で、あるかなきかの笑みを浮かべて。


「助けて、くれて……ありがとうございました。私の事は、もう、いいですから……。工戸さんも、どうか――」

「えい」


 一歩で寄ったリンゴが、取り出した注射器の針を、椿の首筋へ突き刺し、全部注入した。


「あう」


 白目をむき、くたりと倒れ込む椿。

 かと思えば、顔から手から足まで血管が浮き上がり、四肢がそれぞれまっすぐ硬直し。

 悪霊にでも憑りつかれたみたいに、総身が前後左右に跳ね始める。


「うわわっ、すごい、すごい事になってるよ、椿ちゃん!」


 口元を手で覆うリンゴの前で、椿は唇から泡を吹き、意味の通らぬ声を漏らし、発汗し、失禁し、ただひたすらに痙攣を続け――。




「う……」


 椿は目を開けた。汗ばんだ身体に、夜風が心地良い。


「……あれ……?」


 何が、どうなったのだろう。何か、とても恐ろしい目に遭った気がする。

 頭がなんだかとても重いが、柔らかいものの上に乗っている。

 ぼんやりとしていた視界が、少しずつ像を結び始めて――。


「あっ! 起きた!」


 叫びが鼓膜を容赦なく打ち、ぎょっと瞬きをした次には、目の前にいるのがリンゴである事に、椿は気が付く。


「く、工戸さん……?」

「わあっ、よかった! よかった! 生きてるよー、椿ちゃんが!」


 満面の屈託ない笑顔を向けられ、困惑せざるを得ない。けれど――血の通う感覚が手足を巡り、椿は確かに、自分が生きている事を自覚できた。


「私……死んだはずでは……?」

「だから言ったでしょー、あたしの毒の方が強いって!」


 若干会話が噛み合わないし、理屈もよく分からないものの――とにかく、椿は助かったらしい。


「ど、どうも、ご迷惑をおかけしまして……」


 慌てて跳ね起きると、後頭部のぬくもりが消える。――どうやら、リンゴに膝枕をしてもらっていたらしい。


「あ……」


 さらなる感謝の言葉を述べようとして、代わりに出たのはしゃっくりにも似た嗚咽だった。

 身内が温かさを取り戻していくとともに、目元が熱くなり、頬を冷たいものが流れる。


「わ、私……っ」

「あれ、まだどこか痛いの、椿ちゃん?」


 弁明も、説明も、何も言葉が出ない。ただ黙々と、涙だけが流れ出ていた。

 リンゴはぽけっと顔を斜めに傾けて眺めていたが、ふとバッグからハンカチを取り出して、とめどない椿の涙を、そっと拭ってくれた。


「――泣かないで、ね?」

「……はい」


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