「ホルって呼んでくださいませね、姉さま」
「呼ばないし、あたしあなたの姉さんじゃないわ。供ってあなたなの?」
「ええ。正確にはわたしとわたしの供が姉さまの供よ。……あとウルンデも」
最後の一言は嫌そうにつけ加える。ホーリーの言葉どおり、彼女の後ろには青年シェパード二人と、城に来たときに門のところに立っていた屈強なシェパード一人が立っていた。ウルンデという男はグラーフラートの腹心だそうで、ホーリーの言葉をそのまま借りるならば、”王の忠実な飼い犬”らしい。飼い犬というのは反人派の民が嫌うとされる言葉のひとつなので、要は彼女の皮肉だ。
ホーリーは自分こそが供なのだと聞こえる言い方をしたが、実質彼女はおまけで、グラーフラートが用意した供とはウルンデのことなのだろう。
ホーリーの供だという二人のシェパードは、ウルンデ同様シルバーコインのペンダントをつけていた。彼らは三人とも王族に仕える近衛犬だそうなので、制服のようなものなのかもしれなかった。
「わたし、姉さまをお連れしたい場所があるの」
ホーリーは無邪気に言い、すり寄るように肩を寄せてきた。相変わらず彼女は距離が近い。
あたしを姉さまと呼んで妹然とした話し方をするのは、ままごとか何かのつもりだろうか。
「ホーリー姫殿下」
ウルンデが鞭を打つような調子で言う。「王族の品位に欠ける行動はお控えください。城下においてそのような姿をお見せになっては、民に示しがつきません」
「わかってるわよ。ほんと、うるさいんだから」
今のやり取りで、あたしはホーリーがウルンデを疎む理由がわかった。ウルンデは王の飼い犬ゆえに、規律を重んじ、自分にも他人にも厳格な男なのだ。自由に楽しくやりたいホーリーにとっては煙たい存在なのだろう。
「行きましょ、姉さま」
あたしはホーリーに促され、城の前の坂道を噴水広場へと下り始めた。
「連れていきたい場所ってどこ?」
「ブティックよ。姉さまの垂れ耳に合うお帽子を買いましょう」
「いらないわ」
「駄目よ。これから雪国で暮らすんだもの、お帽子くらい持ってなきゃ。もっとも、兄さまがそのうち大量に見繕うんでしょうけど、最初のひとつはわたしがあげたいの」
兄妹揃ってエゴの塊だなと思った。面倒なので聞き流したが、これから雪国で暮らす気など毛頭ない。
そしてあたしは彼女の宣言どおり、若い女シェパードの経営するブティックへと連れてこられた。店内にはホーリーとあたしとウルンデが入り、あとの二人は店外で待機した。ホーリーはウルンデすらも店外で待たせたがったが、彼は首を縦には振らなかった。
石造二階建ての店内に整然と並べられた商品の品揃えは豊富で、共生派国ニーポンの今の流行を押さえたものだった。この国で生産したとは思えないので、輸入品だろう。
「わたし、共生派の国に住みたいとは思わないけれど、お洋服や小物やアクセサリーは、やっぱり共生派のものがお洒落だなって思うのよねぇ」
「ホーリー姫殿下」
「いいじゃない、別に自国の物を批判しているわけじゃないわ。素朴なデザインの国内製もたくさん持っているもの。国内製の方がシェパードの体にぴったりなこともあるし。あ、姉さま、このお帽子なんてどうかしら」
ホーリーは棚から白いニット帽をくわえ上げてあたしの頭に乗せた。
「ああ素敵。姉さまのクリーム色の毛並みには白が似合うわ。お耳の位置はどう?」
店主の女シェパードが「失礼いたします」と言って帽子の耳ホール―――耳を出す穴だ。聴覚を妨害しないために大抵の犬用帽子に開いている―――からあたしの耳をそっとくわえ出した。唇による繊細なタッチで、きっと豆腐も崩れないだろう手並みだった。
「ぴったりね。ああ姉さま愛らしい」
ホーリーはあたしというか、あたしの耳をうっとりと見つめる。店主は駄目押しのようにつけ加えた。そういえばこの店主はホーリーが姫殿下だとわかっているはずだが、ホーリーがあたしを姉さまと呼ぶことをどう捉えているのか。表情に違和感の類が出ていないところを見るに、やはりままごとくらいに思っているのかもしれない。
「こちらはトーキョーの専門店から今朝仕入れたばかりのお品でございます。フェイクでなく本物のラビットファーですので肌触りも柔らかく、非常に温かです」
ラビットファー。
そのワードがあたしの顔の筋肉を固くした。またうさぎ。それもこの国の産物ではなくトーキョーからの仕入れ品だという。つまりこの帽子はトーキョーひいては共生派国ニーポンの店頭にも平然と並べられているということ。うさぎを殺して剥いだ毛皮が。
「いらないわ」
深く考えるより先に口が動いた。
あたしは帽子を脱いで店主に渡した。店主は見るからに困惑していたので、「あなたのせいじゃない。うさぎは苦手なの」と嘘を添えた。そしてホーリーが引き留めるのも聞かずに店を出た。
店外で待機していた二人のシェパードがあたしの前に立ちふさがり、ゆっくりと追ってきたウルンデがあたしの背後に立った。彼はあたしを店内で捕らえることもできたのだろうが、そうしなかったのはたぶん、店への配慮とあたしを連れてきたホーリーの面目のためだろう。
「別に逃げやしないわ」
「ホーリーさまの許可なく動くな」
ウルンデは冷たく言い放った。
数分して、何か購入したらしいショッパー・リュック―――ヒトでいう手提げのショッパー・バッグだ―――を持ってホーリーが出てきた。彼女は供の一人にリュックを渡すとあたしに駆け寄ってきた。
「あのお帽子、買っちゃった。わたしの分もブラウンのを色違いで買ったの。うふふ、姉さまとお揃い」
「そう」
「怒ってらっしゃる?」
「いいえ」
あたしに怒る資格などない。あたしだって、うさぎを殺す国で生きていたのだ。
同じではないか。うさぎの肉を食べる反人派と、毛皮で洋服をしつらえる共生派、何が違う。責められやしない。むしろ生きるために肉を食べる彼らの方が正常ではないか。正常で、正義だ。
『残忍さでいえば、牛や豚から自由を奪い、狭い部屋に押し込めて太らせたあげく屠殺(とさつ)するヒトのやり方の方が―――』
グラーフラートの言葉がよみがえる。あたしは彼を責めた自分をひどく恥じた。
そして自分の国のことも満足に知らなかった自分の無知さに落胆した。