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26 シュテファニッツ

 あたしが生まれて、ちょうど同じ年に生まれたアキラのキョウダイとしてヒトの家に引き取られてから17年。

 あたしはアキラの本当のキョウダイではないのだと、理解できるようになってから16年。

 それでも「あたしたちは双子のキョウダイよ」と胸を張って同じ幼稚園に入園した春から13年。

 アキラをいじめる近所の悪ガキにあたしが飛びついて転ばせて、学校の先生に親ごと呼び出しをくらった夏から10年。

「あたしはアキラの臓器のスペアなの?」と両親に尋ねて、二人を泣かせた日から7年。

 文化祭のクラス演劇でお姫さま役だったあたしと、城の兵士Bだったアキラ。王子さまとのダンスシーンより、アキラの唯一の台詞「姫さまを守れ!」に照れくささを感じた秋から4年。

 有名な神社に高校受験の合格祈願に行き、同じお守りを買った冬から2年。

 アキラとともに家出生活を始めてから9日。

 シェパードたちに付いてモーテルを出てから数時間。


 アキラの死まで、あと1か月半。



「ぺらっぺらの可愛い垂れ耳だこと」

 林間の雪道を猛スピードで移動する貨物用ソリの上。伏せていろと命じられ、大人しくそうしていたあたしの耳の先を、監視役の少女シェパードがちょんちょんと爪先で弄ぶ。痛くはないが不愉快で、少し顔を背けてその爪を避けると、少女シェパードはクスクスと笑った。

「おい、触るな」

 ソリに並走する青年シェパードが鋭い語調で言う。凍土を思わせるブルーの瞳と精悍な顔つきが、彼の発言の強さを増していた。

「はあい」

 少女シェパードは答えて、また小さく笑う。

 昨夜―――といっても日付は跨いでいたので今日の話だ―――モーテルの窓際のベッドで眠っていたあたしは、嫌な感じがして目を覚ました。それは嫌なニオイだったかもしれないし、音や振動だったかもしれない。とにかく、いつもではあり得ない深夜に目が覚めた。その瞬間からもう、心臓は警鐘を鳴らすみたいにバクバクいっていた。けれど室内は静寂だった。アキラもユキトも分厚い布団にくるまって死んだように眠っていた。隣のアキラを起こして、この発生源のわからない不安を共有したかったけれど、そうすると怪我人のユキトまで起こしてしまいそうだったので我慢した。

 とはいえ不安の種がわからないままもう一度眠りにつくなんてできない。あたしは何でもいいから『ああ、これのせいか』と納得できる何かを見つけ出したかった。そこでふと、カーテンの閉まった腰高窓が目に入った。いや、ずっと目の端には入っていたが、ここでようやく、背景だったものがポワンと浮かび上がって見えたという感じ。

 あたしはベッドを下り、カーテンの下から潜り込むようにして腰高窓の木枠に両手をかけた。寒冷地特有の二重窓越しに、枯れ木の連なりが見えた。モーテルの後ろ側は林だった。

 その時、カリカリという爪音が窓の真下から聞こえた気がした。あたしはとっさにそれが子猫だと思った。寒さに震えた子猫が暖を求めて建物に寄ってきているのだと。嫌な感じとは、このことだったのだ。あたしが子猫に気づかなければ、子猫は凍死するかもしれない。そのことがあたしの無意識下で予想されたために、嫌な感じとして表れて、あたしの体を突き動かした。そういうことだったのだ。

 あたしは窓の真下を覗こうとしたが、二重窓が閉まったままでは真下は死角となってしまい無理だった。あたしは冷たい外気が流れ込みすぎないよう、自分の頭を出せるだけの薄い幅だけ二重窓を開けた。

 その時だった。昼間嗅いだケモノのにおいが鼻腔から脳天に突き刺さり、全身の毛が逆立った。と同時に窓の真下から黒っぽい何かが伸びてきて、窓を大きく引き開けた。

 シェパードだった。今、あたしの乗る貨物用ソリと並走しているヤツだ。

「黙ってついてこい。さもなくば、あとの二人を噛み殺す」

 窓のサッシに手をかけ、低く唸るように言い放ったヤツの口元はすでに赤黒く濡れていた。

「ミィ」

 消え入りそうな鳴き声がして、あたしはヤツを押しのけるように窓の真下を覗き込んだ。そこには本当に子猫がいた。ただし、あちこち赤黒く濡れて、虫の息で横たわっていた。

 なんてことを、と避難しようとした口は、ヤツの眼光に射抜かれて動かなくなった。本気だぞ、ヒトくらい簡単に殺せるぞ、と言われているようだった。

 ヤツはあたしの首の後ろを噛んで、あたしを外へ引きずり出した。半ば落とされるみたいに雪上に転がったあたしは、待ち構えていた三人のシェパードに引っ立てられるようにして、監視役の少女シェパードの乗る貨物用ソリに乗せられた。

 手荷物は何も持ち出せなかった。当然、ライフナビも。それはヒトの世界からの隔絶を意味していた。ライフナビがなければアキラたちに助けを求められないし、逆探知もしてもらえない。このシェパードたちは十中八九、反人派国の者なので、彼らの国に入って以降はニーポン警察の救助も望めない。反人派国はれっきとした独立国であり、ニーポン警察が簡単に介入することはできないのだ。

 とはいえ時速数十キロで走るソリの上、伏せろと言われて監視までついたなか、脱出など到底不可能だった。

「国境だ」

 ソリの隣を並走する青年シェパードが言い、あたしは頭を持ち上げて前を見た。ソリを引く三人のシェパード越しに、昇り始めの朝日が雪原を照らすのが見えた。思わず目を細めてしまう眩しさだった。

「こらぁ、落ちるわよ」

 少女シェパードが、あたしの上に半身被さるようにして姿勢を低くした。

 ソリは緩やかな坂を上り始める。にも関わらず速度は上がっていく。

 雪原の手前に細い小川が横断していた。それを飛び越えようというのだ。無茶だ。遊園地のアトラクションみたいにレールがあるわけじゃない。動力も犬の脚。飛べるもんか。

 頬の毛並みを揺らす風が加速していく。心臓が、殴られたみたいな勢いで鼓動する。自分で走っているわけじゃないのに息が切れる。

 朝日をきらきらと反射する川面が近づいてくる。川幅は約二メートル。

 そう目測した直後、あたしはぎゅっと目を閉じた。

 浮遊感。ソリの脚が雪を切る音がやみ、風さえもやみ、体が感覚を失う。刹那の無。

 アキラ。

 ただその名が無意識に頭に浮かぶ。すべては一瞬の出来事。

 有(ゆう)が戻ってくる。ソリの脚の音が、風が、冷たさを感じる触覚が。

 あたしの上に半身被さっていた少女シェパードが体をどける。あたしは目を開け、体を起こして周囲を見渡した。

 広い雪原。その先にも後にも右にも左にも、見えるのは森、森、森。

「ようこそ」

 ヤツがあたしに微笑みかける。心底、意地の悪い笑みだと思った。

「我が国、シュテファニッツへ」

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