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18 まだ、夢を見る

 これは僕の好みの問題だが、『ベビーカステラが食べたいから買いに行こう』と思ったことは人生で一度もない。ずらりと並ぶ出店の中でベビーカステラを選んで買ったことも一度もない。僕が選ぶのは大抵、きちんと食事として腹の膨れるたこ焼きか焼きそばだったし、甘い系にはりんご飴とチョコバナナで懲りていた。どちらも見た目の期待値ほど美味しいものではなかったのだ。

 ソースとマヨネーズでどうにでもなるたこ焼きと焼きそばが一番だ。

「おっちゃん、ありがと」

 ベビーカステラの紙袋を受け取ったユキトは、横に置かれたセルフサービスの味変アイテムの中から迷わずお好みソースのボトルを取って紙袋の中に回しかけた。続いてマヨネーズのボトルを取り、回しかける。そして紙袋の口を折り、ガシャガシャと振る。

 最後に紙袋を上から半分ほどパーティー開けして、中身を割りばしで摘まんで口に放る。

「うっま。やっぱこれだよなぁ」

 少し離れた場所でたこ焼きを咀嚼していた僕は、マヨソースカステラを食べながら歩いてくるユキトを複雑な気持ちで見つめた。ちなみにアイリの定番は焼きとうもろこしだ。犬の客にはとうもろこしの軸を固定する台を貸してもらえるので、アイリはその台に手をかけて、醬油で香ばしく焼かれた黄色い粒にあぐあぐと齧りついていた。

 これが午前十一時ごろの話。そんなこんなで今日僕たちは、その後にも二回、午後一時と三時にサービスエリアから徒歩で一般道に下りて近くの神社に寄り、食事と休憩を兼ねて出店を回った。ユキトは何を買ってもことごとく変な食べ方をしていた。いや、ここは”僕の感覚でいうと変な”と訂正しよう。じゃがバターにいちごソースをかけて食べることも、イカ焼きの中に綿あめを詰めて食べることも、ひょっとすると地下では普通なのかもしれない。

 センダー市内に入り、宿泊予定のビジネスホテルに到着したのは午後五時を過ぎたころだった。日はすっかり落ちて、気温も昼間に比べてぐっと下がっていた。昨夜よりもキンとした寒さを感じるのは、僕たちが北上しているせいだった。

 今日は昨夜の民宿と違い、一人一部屋とってあった。ヒトの宿泊は一人一部屋でとホテルのルールで決まっているからだ。一方、犬の宿泊であれば一部屋に五人まで雑魚寝OKとなっている。その融通が利くところと、犬道(けんどう)の出口からのアクセスが良く、センダー市随一のアーケード街にもほど近い立地の良さが、このビジネスホテルが輸出入部隊の宿泊予定地に選ばれた理由だった。だがシティホテルや観光ホテルではないことから、夕食つきのプランがないというデメリットもあった。ゆえに僕たちには、犬の団体客がゆっくり食事できる飲食店を繁華街で探すというミッションも課せられている。

 僕たちは午後七時に一階のロビーに集まる約束をして、一度それぞれの部屋に入ることにした。僕が303号室、アイリが310号室、ユキトが506号室だ。一月一日から二日にかけてのイベント期の宿泊ということで、並びで三部屋は取れなかったそうだ。

 エレベーターでユキトと別れ、廊下でアイリと別れてオートロックのドアにカードキーをかざす。室内の電気は、入ってすぐ横の壁にある差込口にカードキーを入れると点くようになっていた。節電とカードキーの持ち出し忘れ防止のための、昔からある仕組みだ。

 ドアを閉めると、久しぶりに一人になってホッと肩の荷が下りた心地がした。ベッドとテーブルとユニットバス、あとは少しの家電があるだけのワンルーム。その狭さが逆に、身を包む繭のようで安心する。

 僕はリュックを下ろし、ダウンジャケットと靴を脱いでベッドへダイブした。沈みすぎないスプリングが体を受け止めてくれる。昨夜の畳の上の布団も嫌いじゃなかったが、やはりベッドの包容力には敵わない。疲労ごと僕を抱きしめて、疲労だけを吸い取っていってくれるような感触。

「はぁ」

 思わずため息がこぼれた。目を閉じたらそのまま朝まで眠ってしまいそうな気がした。それでも今目を閉じたらどんなに心地よいだろう。そんな誘惑に負けて、僕はライフナビのアラームを午後六時五十分にセットして瞼を下ろした。


 大事な話があるの、とアイリは言った。僕は自宅のダイニングに腰かけて彼女を待っていた。父さんと母さんはいなかった。

 やがて廊下に続くドアが開き、アイリと一人の男が入ってきた。男はアイリや僕と同い年くらいで、僕と同じ高校の制服を着ていた。すぐそこにいるのに、僕の目はなんだかおかしくて、男の顔だけが風呂場の鏡のように曇って見えなかった。

 男が僕の正面に座り、アイリは男の隣に座った。

「大事な話って何」

 僕は半分気づいていながら、知らないふりをしてアイリに尋ねる。

「あのね、あたし……」

 おそらくこの男とつき合っているのだろう。

「結婚するの」

「えっ?」

 僕の口から素っ頓狂な声が漏れる。「結婚?」

「そう。ずっと前から決めてたことなの」

「前って」

「十七年前から」

「は?」

 僕は男の顔を見る。十七年前といえばアイリはゼロ歳だが、こいつは何歳だ? 同い年くらいというのは見間違いで、実はずいぶん年上で、未熟なアイリを誑かしている?

「あんた、結婚って本気なのか」

「さあ」

 と男は答える。その不誠実な物言いに僕はカッと頭が熱くなる。

「さあってことはないだろ。アイリのことどう思ってんだ」

「それはお前が一番知ってるはずだろ」

 男の顔の上の曇りが次第に薄くなっていく。僕の心臓は激しく脈打った。

 その男は、僕だった。

「なあアキラ、お前はアイリの何なんだ」

 男が問う。

「僕はアイリの……家族だ」

「それだけ?」

「双子のキョウダイ」

「本当にそれだけ?」

「他に何があるっていうんだ」

「お前は何になりたいんだ?」

 僕は答えられなかった。わからなかった。何になれるというんだ。僕の脳をアイリに差し出して、アイリが百年生きられるようになるのなら、僕はこの腐りかけの脳を喜んで今すぐにでも差し出すだろう。それでは駄目か? そんな風に考えるのは間違いか?

 男は嘲笑うような憐れむような目で僕を見た。そして隣に座るアイリに向き合い、ゆっくりと顔を近づけていく。

「やめ―――」


 ろ、と声にならない声を漏らしながら僕は覚醒した。黄みがかった白い天井。脳内で直に鳴るライフナビのアラーム音。早鐘を打つ心臓。冬の真っただ中だというのに脇の下と背中にびっしょりと汗をかいている。

 僕はアラームを止めて逃げるようにベッドを滑り出た。服を脱ぎ捨ててユニットバスのシャワーを浴びる。集合時刻まで残り七分だったが、汗を流さず出る選択肢はない。急いで体を拭き、着替えて、残り五分。ダウンジャケットに腕を通し、ウォレットカードをズボンのポケットに突っ込んでスリッパから靴に履き替え、部屋を飛び出す。

 オートロックのドアが閉まると同時、「あっ」と気づく。部屋のカードキーを忘れた。残り三分。まあいい、戻ってきたときにフロントでスペアキーを借りよう。

 エレベーターのボタンを押して待っていると、内部の箱の現在地を表す数字が5で一度止まり、僕の待つ3で止まった。ドアが開き、ユキトと対面する。

「よっ、一人?」

 残り三十秒。「アイリってどのくらいの遅刻まで許すタイプ?」

「五分前集合までしか許さないタイプ」

「……それ先言っとけよ」

「言うまでもなくでしょ」

「ま、そうだな」

 二人して叱られる覚悟をし、僕たちはエレベーターのドアが開くや否や、ロビーに向けて駆け出した。

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