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16 好奇心は、

「3、2、1……ハッピーニューイヤー!」

 三人でグラスを―――アイリは犬用の器を―――ぶつけ合い、大人の気分でシャンメリーをあおる。甘味料たっぷりの弱い炭酸に喉をさわさわ撫でられて、

「やっぱ、もの足んねーなぁ」

 とユキト。僕が炭酸の弱さには同意という意味で笑い、逆にアイリがキッと眉を吊り上げる。

「未成年がお酒なんか飲んでいいわけないでしょ」

「わーかったって。だから飲んでねーだろ?」

 民宿に着いたのは夕方だった。チェックインの際に女将さんから、大みそかのサービスでニューイヤードリンクを用意できると説明があって、間髪入れずに「じゃあオレ、シャンパン」と答えたユキトの腕にアイリが噛みつき、結果ノンアルコールの子ども用炭酸飲料シャンメリーに落ち着いたのだ。

 一月一日、午前零時一分。どこか遠くで太鼓の音が鳴っている。畳敷きの和室。中央には布団が三組。端に寄せられた長方形の座卓を浴衣姿の三人で囲み、民宿一階の売店で買ってきた菓子をつまむ。胃の中にはまだ十九時ごろに食べた夕飯のぼたん鍋―――つまりイノシシ鍋が詰まっているのに、ポテトチップスの袋はパーティ開けされているし、チョコやらグミやらマシュマロやらは少しずつ食べて放置されている。きっと僕らはこれを食べきれない。なんとなくつけたままのテレビの中で、着物を着た女性アナウンサーがどこかの寺の様子をレポートしている。

 ユキトが土産用の十二個入り温泉まんじゅうの包装紙を破く。まんじゅうをアイリの口に入れ、続いて僕の唇にも強引に押しつけてくる。仕方なく口を開けて受け入れると、存外ふかふかな皮となめらかな餡に驚きそして、舌いっぱいに広がる甘さに眩暈のような快感を覚えた。

「そういえばアイリたちはさ、なんで家出したの」

 自分用のまんじゅうの、表皮だけをちまちま摘まんで食べながら世間話のようにユキトが聞いた。アイリは一瞬黙ってそれから、

「よくある話よ。親と喧嘩したの。冬休みで学校も無いし、ちょうどいいから二人で冒険するわよってアキラ引っ張ってきたの。ね、アキラ」

「うん」

 と僕は話を合わせる。表皮をぜんぶ食べ終えたユキトはふかふか部分を指でこねてトゲにして、トゲまんじゅうを作り始めた。

「親と喧嘩ねぇ。何が原因?」

「あたしの彼氏のこと」

 僕はシャンメリーを鼻から吹き出した。正面に座るユキトが「きったねぇなぁ」と言いつつティッシュケースを寄越してくれる。

「で、彼氏がなんだって?」

「父さんも母さんも、あたしが今の彼氏とつき合うのに反対なの」

「なんでだよ」

「あたしの彼氏がヒトだから」

「ふーん、種族を超えた恋ってやつか。でもそれ、地上(うえ)じゃ普通だろ?」

「そうそう。犬とヒトのカップルなんてわんさかいるのに……あたしたちの両親って考えが古いのよね」

「だな。お前らのことだって最初見たとき、カップルかと思ったぜ?」

「え、ほんと?」

「お前ら揃いのダウンジャケット着てたし、深夜の繁華街にいる男女なんざ大抵カップルだかんな」

「お似合いだった?」

「ダウンジャケットが?」

 ユキトはトゲまんじゅうを半分に割り、シャンメリーに浸して口に入れた。アイリはハハ、と小さく笑い、

「その食べ方、不味そう」

「正解。マジでやんないほうがいい」

「なんでやったの」

「好奇心かな。……好奇心は猫をも殺す」

「あたしは犬だから」

「オレも犬だったなら、家出しなかったかも」

「意味わかんないけど、ここに家出した犬がいるわよ」

「……そうだったな。コレいる?」

 と、トゲまんじゅうの残り半分を差し出す。

「いらない」

 即答。

「じゃあアキラにやるよ」

 と押しつけられるそれを仕方なく受け取りながら、

「ユキトはどうして家出したの」

「オレのだってよくある話さ。家も学校も、なんかしっくりこなくて。オレの居場所じゃないっつーか。で、界隈の半グレ連中とつるんでたところをナカジマの兄貴に拾われたんだ」

 ユキトは新しいまんじゅうをひとつ取り、和紙風の包装を剥いていく。

「まあ正確には、ヘマやってボコられてたところをナカジマの兄貴に助けてもらったんだよな。好奇心は猫をも殺す。なんか変わるかもって半グレの誘いに乗って、なんか変えたくてヘンナモン吸って、無免許でバイク乗り回して、大した理由もねーのに別のチームと喧嘩して、殴り殴られ、今この瞬間が180度変わってくれることばっか探して、180度、180度、くるくるくるくるその場で回り続けんの。ハムスターかよって」

 まんじゅうの表皮がなくなり、続いてトゲができていく。

「猫だかハムスターだかわかんねーオレは、どこだかわかんねーチームにハメられて、ボコられて、でも界隈の仲間は誰も助けに来なかった。ナカジマの兄貴がオレのこと見つけて―――ほら、子犬を見つけたアレと同じだよ。街中の防犯カメラをサンゾーがハックして……ってことはオレを最初に見つけたのはナカジマの兄貴じゃなくてサンゾーか。まあいいや。オレをリンチするやつらを蹴散らしてくれたのはナカジマの兄貴だった。そんでオレに歌舞伎町って居場所をくれた。働きに応じた金をくれて、バイクの免許も取らせてくれた。オレにキャンディって家族もくれた。いや、キャンディだけじゃない」

 トゲまんじゅうが完成する。

「遡上(そじょう)派のやつらはオレの―――」

『あけましておめでとうございます。さあ始まりました、新春恒例のこの番組。紅白初笑い合戦2325スペシャル! 毎年スペシャルと言っていますけど、今年はどこがスペシャルなんでしょう? いや今年はね、放送時間が昨年より五分長いんですよ。へーなるほど。今、全然スペシャルじゃないって思いました? いえいえそんなことは。もうね、毎年スペシャルのネタ切れなんですね。ってことで許してもらいましょ。あれ、オープニングこんなんでいいんでしたっけ。……OKのようです。ちなみにテレビの前の皆さま、こちら生放送でお送りしております。選りすぐりの芸人たちが年越し前から最高のネタを温めておりますからね。年越しの瞬間をネタ合わせ中に迎えたコンビもいるようです。楽しみにしていてください。ではまず、紅白両チームのリーダーから意気込みのコメントをいただきましょう』

「やるよ」

 隣同士で座る僕とアイリの中間あたりにトゲまんじゅうが置かれる。

「いらない」

 とアイリ。僕も首を横に振る。

「自分で食べなさいよ。ていうか食べ物で遊ぶのやめなさい。バチが当たるわよ」

「だよな」

 ユキトはどういうわけか、叱られているのに嬉しそうな顔をした。

「アイリってさぁ、オレのばあちゃんに似てる」

「なにそれ。あたしまだ十六よ」

「怒んなって。ヒトじゃなくて犬のばあちゃんがいたの、昔。そんで似たようなこと言われた、バチが当たるって。母さんも父さんも何も言わないけど、つーか仕事してて家にほとんどいなかったけど、ばあちゃんはいつもいて、口うるさかったな。でもオレばあちゃんが好きで、ばあちゃん子だったから、小さいころは犬になりたいって思ってた」

「なれるわけないわ」

「アイリは人間になりたいって思ったことある?」

 少し間を開けて、アイリは首を横に振った。「なれるわけないわ」

 それがユキトの質問に対する否定なのか、”犬が人間になる”という事象に対する否定なのか、僕には判断がつかなかった。

 判断がついたところで、世界は何も変わらないのだ。

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