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15 いざ出発

 十二月三十一日。家出生活六日目の朝。

 午前八時には出発すると決めていた僕たちは皆、七時のアラームで一斉に起床して、目玉焼きを乗せたトーストを齧り、身支度を整えた。

 バイクを取ってくると言ってユキトが一番に家を出ていき、その十五分後に僕とアイリが出た。キャンディは前夜からカイの家に行っている。誰もいなくなったユキトの部屋の玄関扉にカチリとオートロックがかかる音を聞き、僕とアイリは階段を上って『案内所』の外へ出た。

 ブウンとエンジンを吹かす音に振り返ると、サイドカーをつけたバイクにユキトが跨っている。

「乗れよ」

「すごいね。リニアみたいだ」

 というのはサイドカーの感想だ。まさしくリニアの頭をぶつ切りにしたような流線形をしている。

「わぁ、かっこいー」

 前後二人乗りになっているサイドカーの、前側にアイリは飛び乗った。

「忘れ物はねーよな?」

「もっちろん」

 アイリは背負っていた犬用のリュックを下ろして足元の空間に突っ込んだ。頭にはすでに、昨日レンダさんから受け取ったフルフェイスヘルメットを着けている。お日さまカラーに反射した朝日がきらりと眩しい。

「ほら、アキラも」

「わかってるよ」

 ユキトに急かされて、サイドカーの後ろ側へ乗る。ユキトに手渡されたヒト用のヘルメットを被ると、頭がずっしり重くなり、首が少し傷んだ。前回横浜中華街へ行くために被った際には感じる暇がなかった居心地の悪さだ。あのときはアドレナリンが出ていたのかもしれない。

 アイリには不快そうな様子がないので、レンダさんは相当腕の良い職人だなと僕は思った。もしくはアイリが鈍感か。

「さあ行くぜ、掴まってろよ」

 掴まるってどこに? と聞く前にブオンブオンとエンジンを吹かして僕たちは走り出した。アイリの黄色い歓声の後ろで僕はサイドカーの内側を慌ただしく手で探る。そしてようやく取っ手のような掴みどころを見つけて落ち着いた。

「楽しいねぇ」

 アイリがこちらを振り向くので、僕は彼女が落ちないかひやひやしてしまう。

「あんまりはしゃぐと危ないよ」

「えー、いいじゃない」

「そーだぞアキラ。旅は楽しんだもん勝ちだろ」

 とユキトがアイリに加勢する。

 早朝の歌舞伎町。夜中輝き続け、今眠り始めたばかりの静かな繁華街を僕たちは駆け抜けていく。街を抜けたら間もなく、地上(うえ)へ上がるための貨物用エレベーターが見えてくるとユキトは言った。

 果たして、ひと気のない辺鄙な場所にぽつんとコンビニエンスストアが立っていた。現代ではほとんど見ない、大昔の田舎によくあったという長方形の平屋だ。僕たちのバイクが近づくと、その正面にある自動ドアが開き、僕たちを受け入れた。エンジンを切ってバイクを下り、ユキトは例のごとく黒いコインを、コンビニ内に設置された複合機の硬貨投入口へ入れる。

「上へまいりまぁーす」

 いつもユキトが言う台詞を先んじてアイリが口にする。コンビニの平屋はガコンと音を立てたかと思うと、真上に上昇していった。アイリが大窓のそばに寄り、下方に遠ざかる歌舞伎町を見下ろす。

「綺麗だねぇ」

「本当に」

 と僕は返す。

「歌舞伎町が気に入ったか?」

 ユキトが隣に並んだ。「なら、ずっといろよお前ら。家だって用意できるぜ。まだあちこち空いてんだから」

「考えとく」

「って言ったらほんとに考えとけよ?」

「ああ」

 トンネルに入り、景色が見えなくなって間もなく、コンビニは巨大倉庫の中に到着した。さすがに更地にタケノコみたく顔を出すような造りにはしていないらしい。

 僕たちは再びバイクとサイドカーに乗った。ユキトがエンジンを吹かすと、倉庫の入り口がゆっくりと開き外の光が差し込む。地上は晴天だ。幸先がいい。

「潮の香りがする」

 アイリが言った。バイクが出発する。数日ぶりに浴びる本物の太陽の眩しさに目を細めながら、僕は周囲を見渡した。どこかの埠頭(ふとう)だった。所狭しと倉庫が並び、コンテナが積みあがっている。木を隠すには森の中というわけだ。

「こっからは犬道(けんどう)を行くぞ」

 ユキトが言う。犬道(けんどう)というのは、犬の長距離移動のための専用道路だ。犬権保護法ができて以降に整備され始め、今では全国に網目のように張り巡らされている。ヒトが長距離移動で使う高速道路とはレイヤー―――つまり層が異なり、基本的には高速道路の上を通っているのだが、高速道路に併設されたサービスエリアやパーキングエリアへは犬道(けんどう)からもアクセスできるようになっている。

「犬道(けんどう)を車両が走ったら違法だろ」

「合法になるように手配してんの、カイがね。つーか犬道(けんどう)を通るための条件のひとつが『四輪車でないこと』だったせいで、この長旅なのにバイクにサイドカーっていうね」

 ユキトはぼやきつつ、いつものマウンテンパーカーの内ポケットから通行許可証を出して見せた。

「おい、片手運転!」

「うるせーなぁ。ほぼ自動運転だからいーんだよ」

 犬道(けんどう)の入り口は高速道路のインターチェンジと同じ経緯度にある。らせん状の道路を上がり、入り口の機械にユキトが通行許可証をかざすと、ゲートは「正解です」と言わんばかりの効果音を鳴らして開いた。そして目に飛び込んでくる注意看板『制限速度 時速30キロ』。車両の速度基準で考えると遅いが、犬の走る速度基準で考えれば、なかなかだ。

「アイリって時速何キロで走れるの」

「あたしは瞬発なら35キロが最高。アキラは?」

「聞かないでよ、意地悪」

 モンベッツ到着までに七日もかかる一因はここにあった。ヒト用の高速道路であれば時速200キロまで許されるが、犬道(けんどう)ではそうはいかない。

 だが、じれったくはあるが、その分経由地が増えて観光できるというご褒美もあった。犬は生身で走る。だから当然二十四時間自動運転で走る車両とは違い、疲れれば足を止める。三食食べるためやトイレのための休憩と、夜間に眠るための宿泊だ。その宿泊地の下見も兼ねて、僕たちはこの先、トチギのウツノミンヤ、ミヤギのセンダー、アオモリのツガルル、ホッカイドーのハッコダテ、サッポロリ、アサヒノカワの計六都市を経由することになっていた。さしあたり今夜の宿は、ウツノミンヤのジビエが美味しい民泊だ。

 すっかり忘れていたが今日は十二月三十一日、大みそか。嫌々始まった旅のはずなのに、僕は人生最後の年越しが無性に楽しみになっていた。

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