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12 リメイク・ラビー

 その山小屋風の工房は、歌舞伎町の端から緑豊かな遊歩道を一キロほど歩いた場所にあった。三角屋根の二階建て、木材剝き出しの造りが、僕からすると歌舞伎町よりもさらに古風で物珍しい。

「昔の漫画に出てくるお家(うち)みたいね」

 とアイリが工房を見上げて言った。アイリは漫画という昔の表現媒体のデータベースをライフナビで巡るのが好きなのだ。時々、一人でニヤニヤしていることがあるが、そういうときは大体、頭の中で漫画を読んでいる。

 三角屋根の頂点の真下には、同じく三角屋根のついた玄関ポーチがあり、そこへ上がる短い階段の横に『リメイク・ラビ―』と彫られた木の看板が立っていた。僕とアイリは階段を上がり、観音開きの木戸をノックする。

「すみません、どなたかいらっしゃいますか」

 たっぷり五秒待ってみたが、応答はなかった。アイリが鼻をひくつかせて、「ヒトがいるわ」と小さく言う。

 僕はもう一度、先ほどよりも強く戸を叩き、声を張った。

「すみませーん!」

 ウォン、と二階の部分で犬の吠える声がした。すると、一階の部分でも物音がして、まもなく玄関が開いた。

「ああ、ごめんなさい。お客さんでしたか」

 出てきたのは三十前後の女性だった。明るい茶髪をポニーテールに結い上げて、動きやすいロンTとジーンズにエプロンをしている。

「どうぞどうぞ、入って入って」

 女性は体を斜めによけると、僕たちを工房内へ招いた。

 一歩足を踏み入れると、内部はぷうんと木の香りがした。

 工房はスペース的には広かったが、物の多さで手狭に見えた。作業台が三つあり、それぞれの上には作りかけの何かが置かれている。玄関のある面以外の三方の壁面には棚が造りつけられていて、大量の工具が収納されていた。その他、どう使うのかわからない四つ脚の大きな機械や、天井から垂れたチューブに接続された工具などもあり、多種多様な物で溢れている。

 適当に座って待つよう言われたので、僕は目についた木のスツールを引っ張ってきて腰かけ、隣の床にアイリのためのハンカチを敷いた。細長いスツールは、アイリが四つ脚で座るのには適さない。それをアイリ自身もわかっているようで、彼女は素直に「ありがと」と言って僕の隣に腰を下ろす。

 やがて戻ってきた女性は僕に温かい紅茶を、アイリには温かいミルクを出してくれた。「あなたは、喋れる子?」

 女性はしゃがみ、アイリと視線を合わせて尋ねた。僕たちのことを庇護すべき子どもとでも認識したのか、女性の口調はいつの間にか年下へ向けるそれになっていた。

「はい、喋れます」

「そっかそっか。じゃあ彼と同じ、紅茶のがよかったかなぁ」

「あたし、ミルクも大好きです」

「ふふ、ならよかった」

 女性は僕たちの前にスツールを引っ張ってきて「よっこいしょ」と言いながら座った。

「さてさて、今日はどんなご用で?」

 僕は前のめりになって口を開く。

「犬用のフルフェイスヘルメットを作ってほしいんです。ここにいるアイリが被れるものを」

「ふんふん、フルフェイスね。何用の?」

「バイクに乗る用です」

「……アイリちゃんだっけ、乗れるんだ?」

 と女性は答えをアイリに求める。

「あたしは運転できないですけど、サイドカーに乗るんです。アキラと一緒に」

「なるほどなるほど。アキラ君はきみか。で、二人してサイドカーに乗る、と。運転手は別にいるわけね」

「ヒトの友だちが運転します」

 僕は尋ねられる前につけ加えた。女性はうんうんと納得した様子で頷くと、立ち上がった。

「オッケーオッケー。このレンダ姉さんに任せなさい。じゃあアイリちゃん、早速採寸しよう」

 女性―――レンダさんは、採寸用のメジャーを持ってくると、にこにこしながらアイリの頭周りや鼻回りの長さを測っていった。そして最後にメジャーを置き、両手でアイリの頭を包むようにやわやわ撫でると、満足げな顔をした。

「あなたラブちゃんだよね。やっぱいいなぁ、ラブちゃんは。可愛いし頭もいいし」

 ラブというのは犬種のラブラドール・レトリバーを指す略語だ。数世紀前から変わっていない。

 アイリは撫でられたうえに褒められて嬉しいのか、耳を後ろにぺたんとさせて答える。

「はい、そうです。あたし血統書つきのラブです」

「そっかそっか。ご両親もさぞかし良いラブちゃんなんだろうね」

「両親……そうですね。あたしは会ったことないんですが」

 レンダさんがハッとして首を横に振る。深入りせずにすぐ踵を返した切り替えの早さが大人だなと僕は思った。

「ごめんごめん。出過ぎたこと聞いた。ほんとごめんね」

「いいえ、気にしないでください。本当の両親のことは知らないですけど、あたし、今の父さんと母さんが大好きなんです、アキラのことも。父さんと母さんとアキラが、あたしの大切な家族なんです。……わわっ」

 レンダさんがアイリの首に抱きついた。地上(うえ)ではあまり見ない光景のため、僕もアイリ同様に驚いてしまう。考えてみてほしい。地上(うえ)ではアイリ=ヒトだ。初めて訪れた店で店員が抱きついてきたなら、相手が男だろうと女だろうとセクハラ案件だ。だというのにレンダさんの中にその認識がないのは、地下(ここ)が遡上(そじょう)派の領域だからだろう。彼女たちの常識ではやはり、ヒトはヒト、犬は犬なのだ。

 などと考えていたら、レンダさんは今度は僕に抱きついてきた。

 避ける間がなかった。胸に柔らかいものが当たり、僕は凍りついたように思考停止して固まった。

「アキラ君、アイリちゃんを大事にするんだよ」

 感極まった声で言って、離れていく。

 隣でアイリがぽかんと僕を見上げていた。

 ずるると鼻をすするレンダさんを僕もぽかんと見ながら前言撤回。遡上(そじょう)派は関係ない。彼女が抱きつき魔なだけだ。

 その後、僕たちは代金の半分を前払いして帰路に就いた。もう半分の代金は、完成したヘルメットの受け取り時に支払うことになっている。

 完成は三日後の十二月三十日。出発の一日前だ。

 レンダさんは、二日後に一度、ヘルメットのサイズ合わせのために工房へ来るようアイリに言った。もちろん僕もついていく。アイリだけで行ったら帰してくれないのではと少し心配だった。レンダさんはアイリをずいぶん気に入ったようだ。

 いや、レンダさんはラブラドール・レトリバーが好きなのだ。工房の隅に置かれたデスクの上、その奥側にひっそりと、アイリと同じクリーム色の二人のラブラドール・レトリバーが寄り添う写真が置かれていた。


 十二月二十八日。家出生活三日目の朝。

 目覚めた僕は、自分がどこにいるのかわからず戸惑った。けれど隣に眠る少年を見て、トイプードルと共にサークルの中で眠るアイリを見て、ようやく自分が地下都市歌舞伎町のユキトとキャンディの家にいるのだと思い出した。

 僕は皆を起こさないように静かにベッドを抜け出して、キッチンでコップに水を汲んだ。

 三種類の内服薬を飲み、二種類の注射薬を腹に刺した。

 記憶を辿ってみると、中学三年生のときのことがまったく思い出せなかった。

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