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11 モンベッツへ行こう

 集会が終わったのは夜が明けるころだった。

 いつ日を跨いだのかは覚えていない。十二月二十七日。家出生活二日目の朝。人工の朝日が遠くのビルの上から顔を出し、夜の街はネオンの明かりを消して眠り始める。

 アイリたちの待つ部屋へ帰り、ユキトが木の玄関扉を開けると、前回と同じように鈴の音とともにキャンディが駆けてきて、しゃがんで待つユキトの顔に飛びついた。

 数秒遅れてアイリが歩き出てくる。

「アイリ」

 彼女はこの数時間をどう過ごしていたのだろう。そんなことを考えながら名を呼ぶと、彼女は僕の顔を見上げて言った。

「ワンッ」

「……え?」

 隣でキャンディが、ユキトの顔を舐めながらキャンキャン鳴いている。その声が嫌でも耳に入ってくる。

 手足がさあっと冷たくなる。

「……なーんてね」

 と彼女は笑った。彼女を真似て僕も笑みを作ったが、引きつっていたかもしれない。

「なにアイリ、やめてよ、びっくりするだろ」

「どうして?」

「だって急に」

「犬語、喋れるようになったの、少し。あの子に教えてもらってね」

「……へぇ」

「さっきの、なんて言ったかわかる?」

「なんだろう……『おかえり』?」

「ブッブー。『遅いぞあんぽんたん』でしたぁー」

 しっぽを振って愉快そうにするアイリを見ても、僕は心からは笑えなかった。

 一瞬、恐怖を感じた。アイリがヒトの言葉を失ったのかと思った。

 戯れるユキトとキャンディが目に入る。心にジクジクと罪悪感のような痛みを感じながら思う。

 ユキトはどうして、キャンディと話せなくても平気なのだろう。


 歌舞伎町の住人たちは、基本的に夕方から明け方にかけて行動する。つまり、日の出ている時間は眠っているのだ。そういう生活スタイルらしい。

 ヒトはさておき犬にとってはどうなのかとユキトに聞いてみたところ、ユキトいわく、犬はもともと夜行性だそうだ。考えてみれば、犬の先祖であるオオカミは夜行性だ。

「泊ってくだろっ?」

 と目を輝かせるユキトのご厚意に甘えて―――もとい圧に負けて、僕とアイリはユキトの部屋で寝かせてもらうことにした。男女で分けようということで、僕は当然のようにユキトのシングルベッドへ引き込まれ、アイリはキャンディのサークルの中に大きめのクッションを敷いて横になった。

 狭いので、僕はユキトに背を向けて横向きに寝たのだが、ユキトはどういうつもりか、僕の背にぴったりとくっついてきた。嫌な気はしなかった。十二月なこともあり、素直に温かいと思った。

 ヒトの体温を感じながら眠るのは久しぶりだった。

 アイリも同じことを思ったかもしれない。丸まった彼女の腹の部分に、キャンディがすぽり収まっていた。

 もともと昼行性の僕とアイリは、六時間ほど眠り、お昼過ぎには目を覚ました。寝る前に、ユキトが家の中のものは好きに食べていいと言ったので、アイリと二人でキッチンを漁り、ベーコンエッグとトーストで朝食を済ませた。ユキトの分も作っておいた。キャンディは、ヒトの食事はとらないだろう。

 眠っているユキトとキャンディを起こさないよう、僕たちはそっと部屋を出た。絨毯敷きの階段を上り、『案内所』の質素な店内へ出る。僕たちが出ると、白壁が自動ドアのように閉じて階段を隠した。ユキトの部屋に戻るには、最初にユキトがしていたように電話番号と合言葉が必要だ。これも昨晩ユキトが教えてくれていた。

『案内所』を出て歌舞伎町一番街の通りに立つ。

「どこへ行こうか」

「アキラはどこ行きたい?」

 アイリは何故かふふっと笑う。

「なに?」

「ううん、昨日の朝と同じだなって。どこ行くか決まってないのって、楽しいわね」

「そうかなぁ」

「今日はアキラの行きたいとこ行こう。あたしたち、どこへだって行けるわ。ね?」

 一番高い位置にある太陽を浴びて眩しく輝くクリーム色の毛並み。たとえ犬がもともと夜行性だろうと、僕は日の光を浴びた彼女が好きだ。

 そんなお日さまの子みたいな彼女を散歩に誘い、僕は歩きながら、集会場であったことを洗いざらい打ち明けた。

「モンベッツぅ? あんたそれ、どこよ?」

「ホッカイドーの超北側」

「えっ、ホッカイドー!? 遠すぎるわ。どうして引き受けちゃったのよ」

「断れない雰囲気だったんだ。それにアイリさっき、どこへだって行けるって言ったじゃないか」

「言ったけど、そんな遠くに行くなんて」

「しかもバイクで七日かけてね」

「あたしバイク乗れない!」

「大丈夫。サイドカーつけてもらうから」

 むぅ、とアイリは拗ねた顔をする。当然だ。僕はアイリと共に人生最後の一か月半を過ごすと約束したのに、アイリに黙って向かう先を決めてしまった。僕が行くなら、彼女はついてくるしかない。

「……くわよ」

「え?」

「買いに行くわよって言ってんの」

 彼女のしっぽが鞭のようにしなり、僕の太ももの裏を殴る。

「いてっ」

「あんたの奢りだからね。あたしに合うヘルメット、防寒着、長靴も、ぜんぶぜーんぶ買ってもらうんだから」

 ふんと鼻を鳴らして足早になる彼女の、後を追う。

「いいよ、なんでも好きなもの買って」

 やめなさいだとか、行かないだとか、一切言わない彼女に僕は救われたような気持ちになる。きっと気づいていないだけで、これまでだってたくさん救われてきたのだろう。

 陰気な僕とは正反対の、まごうことなき太陽のアイリ。同じ年に生まれたキョウダイ。僕の大切な家族。

 僕とアイリは歌舞伎町中を歩き回り、北国への遠征に向けて装備を整えた。あれでもないこれでもないと言いながら、日が暮れるころにはひとしきり欲しいものが揃ったが、ただひとつ、アイリの頭に合う―――というより犬の頭に合うフルフェイスヘルメットだけは見つからなかった。それはそうだ。地下(ここ)では基本的に犬をバイクに乗せたりしない。仮に乗せるにしても、ペット用のキャリーケースに入れる。

 ならば一度地上(うえ)へ戻って買ってこようかと考えたのだが、いかんせん僕たちはエレベーターを起動するためのコインを持っていない。ユキトに頼もうかどうしようかと話していたら、最後に駄目もとで訪ねた工具屋の店主が思わぬ情報をくれた。

「犬用のヘルメットは無いけど、ヒト用のヘルメットを犬用に作り直してくれそうな店はあるよ」

「本当ですか」

「ああ。少し外れの方にある、小さな個人店だけどね」

「なんてお店です?」

「『リメイク・ラビ―』」

 アイリの垂れ耳がぴくりと動いた。

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