頭頂部の黒が目立つ金髪。毛先は顔の横でツンツンと外側に跳ねていて、ひどく傷んでいる。ひょろりとした体躯で、目の位置は僕より少し高い。
「君は?」
「別に。強いて言うなら、界隈(かいわい)のヒト?」
「界隈……」
「まあ知らねーか。箱入りっぽい顔してっし」
「それ馬鹿にしてる?」
「いんや。てかヤベ、サツだ」
僕の後方に目を遣った少年は、顔色を変えて僕の腕を掴み、引いた。その時だった。
「アキラに触るな!」
唸り声を上げてアイリが少年に飛び掛かった。少年は驚いた様子で手を離し、身を捻ってアイリの牙と爪をよける。
「なっ、なんだよこの女ぁ。暴力反対」
「あんたがアキラに手ぇ出したんじゃない」
「なんもしてねーし。てかてか、ひとまずさ、お前らついて来いって。ほら見える? あっこにサツいんの。捕まったらメンドイよ?」
少年は顎で僕たちの後方を指す。見てみると確かに、人ごみの中に目立つ警察帽があった。
「ほら、こっち来いって」
歩き出した少年が振り返り、ちょいちょいと手招きをする。アイリに視線を送ると、アイリもちょうど僕を見ていて、思案している様子だった。アイリは僕だけに聞こえるように言った。
「嫌なにおいはしないかも……?」
アイリの鼻は信用できる。
「よし、行こう」
決めたのは僕だ。アイリが頷き、僕らは揃って少年のあとを追いかけた。
少年は繁華街のメイン通りから逸れた薄暗い小道を選んで進んでいった。僕たちは十五分ほど歩いたと思う。道中、少年は自分の素性を簡単に説明してくれた。
彼の名前はユキト。本名ではなく、界隈の仲間につけてもらった通り名だという。界隈というのはネオ・シンジュク界隈の略だそうで、つまりこのネオ・シンジュクに集まり、寝泊まりする少年少女たちを指す言葉らしい。彼らは平たくいうと子ども版ホームレスだが、大人版と異なるのは、帰る家が一応あるということだ。彼らは家や学校に居場所をなくして家出した子どもたちなのだという。
同じだな、と僕は思った。彼らの事情は知らないから、勝手なシンパシーだ。
「アキラとアイリは今夜どうすんの? 野宿?」
コーヒーと紅茶どっちがいい? くらいの気軽さでユキトが聞いてくる。
「野宿は、したことないかな。あの大通りの向こうのカプセルホテルに泊まる予定だったんだけど」
「え、マジ? あのへんはやめとけよ。サツと連携してっから、家出くさい未成年はすぐ通報されっぞ」
「そうなんだ?」
「そうそう。オレがとめてよかったっしょ?」
「まあ。でもどうして僕らが家出中だってわかったの?」
「オレさ、鼻が利くんだよね」
「あたしの方が利くわよ」
アイリがぴしゃりと言い放つ。「あたしたちを騙そうとしたら、すぐわかるんだからね」
「しねぇって」
やれやれとユキトは肩を竦め、僕に共感を求めて笑いかける。だが僕だって、この時点ではアイリに同感だ。初対面の人間を100まで信じることはできない。
「ま、いいけどさ」
ユキトは気にする様子もなく歩き続ける。
やがて彼の足が止まったのは、雑居ビルの間にひっそりと佇む鄙(ひな)びたゲームセンターの前だった。手入れが行き届いていないのか、夜だというのに看板の明かりが点いておらず、入り口のガラス戸は薄汚れている。しかし店内は明るいので、かろうじて営業はしているようだ。
「こっから入るの」
ユキトがガラス戸に手をかけて引き開ける。元は自動ドアだったようだが、今は機能していないらしい。
ユキトに続いて店内へ入ると、すえた臭いがした。アイリが心底嫌そうに頭を振る。
ゲーム機はどれも古いものばかりで、景品の補充もろくにされていない。UFOキャッチャーの中にポツンと取り残されていたぬいぐるみは、見たこともないウサギのキャラクターだった。
ジジジと音がして、頭上で蛍光灯が明滅する。落ちてくるのではないかと心配になり上を見上げる僕を、ユキトはくすくすと笑った。
「こんなとこ来ねーよな。オレもそうだった。キレーでうるさい最新式のゲーセンしか知らねぇのが普通だよ」
「どうして僕たちをここに? 屋根があるだけマシだけど」
「焦んなって。別にここで寝ろっつーんじゃねーよ。用があるのはこの下」
リノリウムの床を指さし、ユキトはにやりとする。
「地下があるんだ?」
「無いことになってるけどな。ほら、こっち」
塗装の剥げかけたプリクラ機の入り口のシートを捲り手招きをする。アイリに目を遣ると、彼女は店内の臭いが相当嫌らしく、顔中に皺を寄せてしかめ面をしていた。
「アイリ、大丈夫?」
「最悪の気分。焼肉吐きそう」
「おいお前ら、ぐずぐずすんなよ」
僕が引くか進むか迷っていると、アイリの方が先にユキトの方へ歩きだした。
「待って、戻ろう」
「なによ。あたしを誰だと思ってるの」
「アイリでしょ」
「アイリと書いて最強って読むの!」
言い出したら聞かない。僕はアイリの意思を尊重するつもりで彼女のあとに続いた。
アイリと僕がプリクラ機の中に入ると、ユキトはコインの投入口に硬貨ではない何かを入れた。現代は電子マネーが主流なので、硬貨や紙幣自体、僕は学校の授業でしか見たことがなかったが、ユキトが入れたのは明らかに硬貨とは違う何かだった。
硬貨を飲み込んだプリクラ機の下で、ガチャンと鈍い音がした。
「はいはい、真ん中に固まってー」
ユキトは僕とアイリをいっぺんに抱き締めるみたいに引き寄せて、
「下へまいりまぁーす」
ふわり、と体が一瞬宙に浮いた。それをユキトの腕に繋ぎ止められる感覚。
落ちている。
下りている、というより落ちていると感じるほど速かった。通常のエレベーターと違い、密閉されていないからかもしれない。僕たちはプリクラ機ごと落下していた。
「なんなのよ! これ、なんなのよ!」
アイリが騒ぎながらユキトの足にしがみついている。僕も知らず知らずのうちにユキトのマウンテンパーカーを掴んでいた。
体感としては長かったが、おそらく十秒にも満たない出来事だっただろう。最後にまた、着地の際の酔いそうな感覚がして、プリクラ機は停止した。
「最低。漏らすかと思った」
「僕も」
床に座り込みぐったりする僕らを残して、ユキトは入り口のシートを捲り、プリクラ機の外へ出ていく。僕とアイリは心臓の鼓動を整えるとようやく立ち上がり、ユキトのあとに続く。
眼前に現れた光景に、眩暈がした。
そこにあったのは、今から二百五十年前に廃(すた)れたといわれる夜の街。きらびやかなネオン。赤く輝く『歌舞伎町一番街』のアーチ。
時代がかった服装の人々が行き交う。
酒と、金と、色恋の混ざり合う幻想的な大人の世界。
「ようこそ、オレたちの歌舞伎町へ」
両手を広げてユキトが笑った。