「――なあ。私、必要ないなら別件で出てもいい?」
リリィはそう言った。
「ああ、でも一日中離れるのなら日当は払わないよ」
「じゃあいい」
リリィは退屈そうに図書室の椅子に座って不貞腐れる。本を熱心に読んでいくシエンと対象的に、彼女は「ここはつまらない」という表情だ。
アキは、改めて中央図書館に収められている膨大な数の本を見る。
〈ここにある本を全て読めたなら、俺も学者に近づけるのか?〉
アキは一瞬考えたが、二秒で考えることを止めた。ここに収められている本は途方もない数だ。たとえ文字が読めたとしても、もともと本に強いわけでもないアキが読み始めたとして、読み終えるまでに何十年かかるのか分からない。
シエンは鉄のカップで水を飲みながら感心したように呟く。
「この都市にはあらゆる場所に水道が完備されているんだな。意外というか、この都市では飲み水などで苦労するのかなと思っていたよ」
「都市の下には巨大な地下水脈があるんだとか」
「都市の周りは砂漠地帯だけどね」
アキは、水を組み上げる装置は魔法でなく機械系の装置だと聞いている。その装置は過去の天才学者が考案したらしく、至るところで水道が使える。
「シエンが今読んでいる本って何が書かれているんだ?」
アキの疑問にシエンが静かに答える。
「歴史でもなく商業本でもない。ただの日誌や有象無象の断片が収められている本になる、僕が手に持っているのは「市警の日誌」だよ。こういうものは、当時の状況を把握することにおいて重要な価値がある」
シエンが本を扱う動作は「貴重な資料を丁寧に扱う」ものだ。
「それでシエン、何か本読んでて分かったの?」
ぶっきらぼうにリリィが聞く。
「一つ、重要なことが分かったよ。おそらく現在の都市のエラーの原因に少なからず関係していると思われる、あるものの存在だ」
その言葉に興味が湧いたのかリリィは元気になる。
「それって何のこと?」
「マスタークロック、と呼ばれるものになる」
「マスタークロック、って何さ」
アキは「語感的に分かりそうなことだろうとも思うんだが」と思いながら二人の会話の続きを聞いている。シエンは親切に詳しく説明をする。
「それは「この世界に一つ、正しい時計」とされるクロックのことだ。その「マスタークロック」の記述が過去の書物には多く残っているんだ。この世界に多く存在している時計は、本来そのマスタークロックと同期されていなければならない。そうでないと、都市のシステムに障害が生まれてしまうようだ」
アキは自分の考えを確認するようにシエンに聞く。
「つまり、この世界の基盤にシステムを動かす時計があるってことだろ? その時計の上に都市レーベルの「各システム的」がいくつか存在しているけれど、今の世界にある時計とは「正しく同期されていない」からエラーが起きちまうってことか?」
アルカイックな笑みでシエンが俺を見る。
「やはり君は、ただの屋台の店主じゃないな?」
「え、そうなの?」とリリィ。
「いえ、俺は屋台の店主です」
アキは、適当に言ったら当たっただけだ。
この都市レーベルにも、もとの世界、日本と割と似通っているようなものも相当数が世界に存在する。世界が変わっても似通うものが多くある。人が住める世界は「似たような世界」になっていく。人の体も、生物も、人工的なものも、社会も。人が住める環境の世界では、最終的に世界は「どこか煮ているもの」になっていく。
アキは不意に先日の疑問を思い出す。
「なあ、シエン。例えば、あの月はずっと変わっていないのか?」
「どういう意味だ?」
「いや、大昔と比較して夜空が大きく変わっていないのかなと思っただけだよ。何か先日、そんなことを言っていた人が居たんだ」
ルナのことを思い出す。
〈彼女は何者だったのだろうか?〉
シエンは「ふむ」と考える。
「少し気になるな、それも調べる価値はありそうだ」
* * * * *
シエンが都市に来て二週間が過ぎた。
シエンは役所に調査中間報告を出す。
同行していたアキもリリィも「まあ、でも特に何もしていないのに日当7200ゴールドなら良い仕事だな」と思いながら、口には出さなかった。昼時の街の中を歩く。今のところ何も危険がないことに、アキとリリィは油断している。
「メシ食ってくるわ。後で中央図書館に戻るよ」
「いつもの店?」
「そう、じゃあアキはシエンの護衛よろしくー」
リリィは昼メシを食べに街へ消えた。
「それでシエンもメシ食いにいかなくていいのか?」
「ああ。じゃあ君に美味い店を案内してもらおうか」
アキは「美味い飯屋ねー」と言いながら歩いていると見覚えのある人影。
「ルナさん」
ルナは立ち止まってアキを見た。
「彼女は?」とシエンが聞く。
「ルナさん。夜空が昔と違うと言っていた人だ」
「なるほど。彼女と少し話してみたいな」
シエンがそう言った時にルナは二人に「着いてきて」とジェスチャーして路地へ逃げた。アキとシエンは顔を見合わせたが着いていくことにした。路地で息を潜めるように指示されて黙っていると、大通りに「彼ら」が現れる。
〈騎士団だ。あの騎士団は教会の勢力だよな?〉
「バロウズ騎士団」は鎧などで武装はしていないが、伝統のマントを着用しているから誰の目にも分かる。彼らが動く時は、街に危険が及ぶ時と「宗教裁判の対象を捕まえる時」である。その彼らは誰かを探しているようだ。
その誰かがルナであることは想像に容易い。
〈騎士団に追われている?〉
騎士団は一度この場を立ち去る。
「何故、騎士団に追われている?」とシエンが聞く。
「おそらく、私が彼らにとって都合の悪い存在だから」
「都合の悪い?」
「彼らに「都合の悪い真実」を知っているから」
ルナのその言葉に食いついたのはシエンだった。
「都合の悪い真実というものが気になる」
アキが「聞いたらもう無関係じゃなくなるぞ?」と言ったのも束の間。
「彼らは「聖ロザリア」の正しい情報を持つ私が存在していることを知って、教会の口伝と違う事実があることを、闇に葬り去ろうとしている。私は別に正しいことを世間に流布しようなんて微塵も思っていないけれどね」
「聖ロザリア?」
シエンがルナの話に興味を示した。
「まさに、僕は先日からその聖人を中央図書館で調べていたところだ。マスタークロックと同じ時代に存在していた聖人になる」
シエンはすらすらと頭の中の情報を言葉にする。
「もともと聖ロザリアは特別な家柄の人間ではなかった。12才の時に神の導きにより教会に入り、当時の人々を聖なる力で癒やし、世界の真理を伝えることに尽力していた。だが快く思わない一部の人間によりあらぬ疑い、疑心を向けられて「人を信じるという言葉に偽りがないというのならその杯を飲み干せ」と毒薬の入ったワインを渡される。毒薬が入っていることを知りながらもその杯を飲み聖ロザリアは15才で亡くなった。だが、その時に大聖堂の鐘が都市に鳴った」
ルナはシエンの言葉を聞いて皮肉的な口元の笑みだ。
「――全然違うよ、作り話だ」
「なるほど、確かに教会にとって都合の悪い存在には違いなさそうだ。教会が騎士団を動かして君を捕獲しようとするのも頷けるよ」