「これは凄いな」
中央図書館の中を見たシエンが感嘆の言葉。
シエンは感動したように「都市の中央図書館」の中を見ていた。
本に、一般人以上の価値を見出だせるシエンにとっては、ここは理想郷だ。
「図書館に区画があるのか」
本棚は「27文字に27の数字」で区画されている。
シエンはまず「どのような基準で区画が分けられているのか」を受付で聞いた後、少し考えてから迷うことなく一つの区画へ歩く。どうやら「調べる内容」は定まっているようだ。
「この区域から調べていくとする」
本を手にとって調べようとする。
「だけどさ。翻訳家って文字を知っていれば出来る、楽な職業でいいな」
リリィのその言葉にシエンがムッとして反論する。
「そうでもないよ」
本を手に取りながらシエンは言う。
「考えなければならない場合が多くある。直訳でも「ことわざ」みたいなものや「繋げると意味の変わる言葉」が存在する。それに書物が「どのような背景」に存在していたのかも調べないといけない。今の価値観とは違う感覚で書かれているなら、まずそれらを把握しなければね」
シエンは手に取った本を愛おしそうに見つめている。
「だから、ここにある書物を、本当の意味で読み解いていかないといけない。それはまるで恋人の全てを理解していくように、真摯に向き合う誠実さを持ってね。その献身の割には、間違いが許されなくて「翻訳家にだけはなるなよ」と学者仲間からも敬遠されるような職業だ。そんなに甘い仕事ではないんだよ」
「だけど、この世界には「言語統一魔法」があるから本は普及しにくいよな」
アキの言葉にシエンの動きが止まった。
「――君は何者だ? 何故それを知っている?」
リリィも「え、なにそれ?」とアキを見る。
アキはこの世界に来て、まず「言葉が通じるのか?」と冷や汗をかいたものだが、言語は何故か問題なく通じた。初めは「何故だろう?」と疑問に思いつつも、余計なことを言わない、聞かないことにしていた。
その後にアキは「暗黒屋台のおでん屋」を開く。
訪れる客の中に物知りも居た。アキはずっと言語のことが引っかかっていて「実は異世界から来たんですが」と、そのことを話題に上げてみると「言語は魔法で統一される」と常連客の一人から教えられた。
だが、それはこの世界の住人にとって理解が難しい。言葉が通じないという事象はまず起きないからだ。言葉が通じることは当たり前のことすぎて、誰も疑問を持たない。意志の疎通が出来る、ということはありがたいことで、それ以上はアキも深くは考えてこなかった。
〈ここでは黙っておくか〉
アキも説明することを諦めた。
「まあ、色々とありまして」
シエンは「そうか」と追求してこなかった。
どうやら本を読みたい欲の方が強いようだ。
「今日は特にこれ以上はないから先に帰ってもらって構わない、僕はここで調べものをしているから、明日の朝にここに来てくれ」
「よっしゃ、午後は休み!」
午後は休み、二人は自宅に戻って夜まで眠るのだった。
* * * * *
夜の暗黒屋台街のおでん屋。
今日は客足も少なくリリィ一人だけだ。
「あいつさ。一体何者なんだろうな?」
「さあ? 俺は都市の外に出たことないからな」
そんな話をしているとおでん屋に客が訪れる。
「いらっしゃい。お、確か役所の担当のユノさん?」
「君は屋台の店主だったのか? ユノでいいよ」
仕事中じゃないからか、ユノの話し方もかしこまっていなく、フランクなものだ。リリィが早速、話題に上がっていたシエンについて聞いている。
「ねえ。あいつって何者なの?」
「君たちは知らないで接していたのか?」
アキとリリィは「どんな奴なんだ?」と聞いてみる。
「大陸では有名な男だよ。彼「ユ・シエン」は高名な翻訳家であると同時に、古代文字にも精通した世界の識者。彼には、言語学、民俗学、風俗学などいくつもの知があり、最も必要である「分別」がある。そんな彼に都市レーベルの謎を解くという白羽の矢が立ったことは不思議ではないな」
「へえ、結構な大物なんだな」
「シエンが市の調査に当たるということで期待している奴らは多いのさ。都市に住むものとして、都市の謎が知りたいと思うのは当然だから」
* * * * *
夜もいい時刻、酔いつぶれたリリィとイノが意気投合している。
「市長グルナッシュ、爆発しろ! 何が市民の暮らしを良くするじゃあ。あいつ、口だけで、ただ椅子に座っているだけだ。少しは役所の公務員の待遇を良くしろ。こちとら毎日残業で、恋人だって作る時間もないんだぞ。家に夜遅く帰って、金もないから、酒しか楽しみがないんじゃあ」
アキは黙って愚痴に相槌を打っている。
〈この見た目で酒豪なのか。しかし話を聞く限りどこも大変なのね〉
ユノはその後も酒を煽りながら市長グルナッシュへの不満を爆発させている。市長は役所内部から嫌われているようだった。
夜更け、一人一人と会計を済ませて帰っていく。
「アキ、また明日な」
「おう。明日、図書館で」
リリィも帰って一人残ったのはユノだ。
「そろそろ閉店にしようと思うんですが」
「う、う、う」
「うわ、何か泣きだした?」
「本当は、恋人の一人でも作ってそれなり人生を楽しみたいのに。マジでこのまま人生をあの役所に、仕事に搾取されて私は終わってしまうのか?」
泣き酒とはこのことだろう。とアキは思った。
「こりゃあ日頃、相当不満抱えながら仕事しているんだな。最後に模擬ちくわサービスするから食べてよ」
「美味しい……」
「まあ、気が向いたらさ。いつでもおでん食べに来てよ」
ユノは模擬ちくわを食べて、模擬日本酒のカップを持った。
「明日への気力の一杯っ!」
模擬日本酒を飲み干して、据わった目で「帰る」と言って勘定をして帰っていく。アキはその後ろ姿を見ながら「つよい」と言っていた。