「待てぇお前ら!」
追ってくる果物屋のオヤジを尻目に、僕たち三人は、人混みをすり抜けながら市場を走る。それぞれの手にはリンゴ。これが今日の戦果だ。
僕たちは市場の端まで来ると、目についた細い脇道に入り込んだ。するとオヤジは、でっぷりした体の肉を揺らしながら、そこを素通りして走り去っていく。
「へへ、ちょろいな」
こちらを振り返り、そう笑ったのはリズン。三人の中ではリーダー的存在だ。リズンの弟カキエルも、「楽勝だったね」と調子を合わせる。
「さ、行こうぜ」
リズンはカエキルとともに、脇道の奥へ進んでいったが、僕は大通りの方へ目を向けた。土の地面に兄弟の足跡は微かだったが、僕のものは目を凝らさなくても分かるほどくっきりと、地面に刻まれている。
そのことに気づいたのはつい最近だ。そして日が経つにつれ、僕の足跡は、よりはっきりと残るようになっている。今回は果物屋のオヤジがたまたま見逃したかもしれないが、次は僕の足跡を見つけてしまうかもしれない。見つかって捕まったら、どうなってしまうのだろう。僕はぶるっとひとつ身を震わせたが、ふたりに遅れまいとあとを追った。
僕たち三人は、市場からほど近い廃ビルの五階をねぐらとしていた。建物の壁や柱のコンクリートは、そこここでひび割れて剥がれ落ち、内部の鉄筋が露出している。周囲の廃ビルに比べ損傷が激しく、誰もここに住もうとしない。だからこそこのビルを選んだのだとリズンは言った。
「他のビルは、俺たちより大きい子どもや大人たちがいるからな。廃病院なんて行ってみろ。すぐギャングどもに殺されちまう」
廃病院には患者用のベッドなどが残されているため暮らしやすく、暴力の手段を持つ連中が占拠しているのだそうだ。
しかし、この廃ビルの寝心地も決して悪くはない。それは、兄弟がある大人から受けた施しのおかげだった。リズンはよく、その話をする。
「そいつはさ、オレたちに何が欲しいって聞いたんだ。だから俺は、毛布が欲しいって言ってやったのさ。寒いときは着られるし、そうでないときは床に敷けば、硬いコンクリの上に寝なくて済むからな。そいつは食べ物を欲しがると思ってたのか、意外そうな顔をしてさ。ちょっと待ってろって言って俺たちを置いて行っちまったんだ」
リズンはリンゴをあらかた食べてしまった後、この日も弁舌を振るった。僕はそれを聞きながら、ようやく手持ちのリンゴを一口かじる。
「あのときは、どうせ戻ってこないって、兄ちゃん言ってたよね」
「でも戻ってきた。たくさんの毛布やタオル、それに食べ物も持ってさ。驚きすぎて言葉が出なかったよ」
「僕はちゃんとエンドーにお礼を言ったよ」
そう言って、カキエルは無邪気に笑った。
エンドーというのは、ふたりに施しをした相手のことだ。きっと東洋の人間だとカキエルが言うその男は、相貌が僕と似ているらしく、ふたりは僕をエンドーと呼んでいる。それは僕がこの兄弟と出会ったとき、自分の名前すら憶えていなかったからだ。
数週間後の今も、僕はいまだ何も思い出せないでいる。自分がどこから来たのか、親はどうしたのか、そのほか諸々、全部。そんな僕を、ふたりはこの場所へ案内してくれた。なぜそうしたのか不思議に思ったが、リズンは「そろそろ仲間を増やす時期だったのさ」としか言わなかった。
「ねえ兄ちゃん。またエンドーみたいな人がさ。あ、エンドーって言っても、僕らが会った大人のエンドーね」
カエキルは僕の方を見ながら、そう断りを入れた。
「そんな人に会えたら、今度は一緒に連れて行ってほしいって言ってみようよ。ひょっとしたら、いい暮らしができるかもしれない」
カキエルは他愛のない話をしたつもりだったのだろうが、リズンは渋面を作った。
「なに言ってんだ。お前は奴隷にでもなりたいのか?」
「ち、違うよ」
急にリズンが凄んだので、カキエルは慌てて否定した。
「金のある連中はな、俺たちを下に見てるんだ。だから、わざわざ横に並べて、同じようにいい暮らしをさせようなんて考えは持っちゃいないさ。奴隷にされないにしても、ペット扱いが関の山だな。でも死んだらみんな一緒さ。ただの死体だ。この世界の人間は、みんな死ねばいいんだ。そうすれば平等さ」
リズンは先ほどまでとは打って変わって、噛んで含めるように言葉を並べ、最後は自嘲するようでもあった。それを聞いていたカキエルは、叱られた子供のようにしゅんとして、泣き顔を見せた。
「僕は死にたくなよ」
「それはそうだ。だからこうやってものを盗んでる。でも逆に言えば、何も盗まずには生きていけないってことさ」
「もう少し大きくなったら働けるよ」
そう言われると、リズンは俯いてリンゴの芯を見た。しかし、そこに自分の未来を思い描くことができなかったのか、
「それまで生きてられたらな」
と、リンゴの芯を投げ捨てて、やおら立ち上がった。そして毛布を引っかけて壁の方へ行き、それを床に敷いて横になる。しばらくはそんなリズンを見つめていたカキエルだったが、不意に僕の方を向いた。何か言ってほしそうだったが、僕はどう声をかけていいか分からなかった。
「食べていいよ」
代わりに僕はリンゴを差し出した。「いいの?」と聞きながらも、カキエルの視線は僕の持つリンゴに注がれている。
「おいエンドー。お前ちゃんと食べないと倒れちまうぞ」
リズンはわざわざ体を起こして、こちらに注意する。
僕はよくカキエルに自分の食べ物を与えていた。リズンはそれを気にしていたのだろうが、体が食べ物を欲していなかった。今日だって、少しは食べているというところを見せるため、リンゴに手をつけはしたが、丸々カキエルに渡してもよかったのだ。
「いいんだ。僕はあんまり食べなくても大丈夫みたい」
「そいつは得な体だな」
リズンはそう吐き捨てると、再び体を横たえた。カキエルは「ありがとう」と言って僕のリンゴを受け取ると、夢中になってそれにかじりついた。
僕たちはまた、果物屋からリンゴを盗み走っていた。この日は少し前に、露店のパン屋での盗みに失敗していた。パン屋が接客中に、脇から棚に手を出そうとしたところへ、ちょうど客が追加の注文をしたため見つかってしまったのだ。それで「よし、カモのところへ行こう」とリズンが先導し、僕たちは果物屋へ向かったのだった。
僕たちは先日と同じ脇道へ逃げ込み、果物屋のオヤジが通り過ぎるのを見送った。
「あいつ、ほんと間抜けだよな。何度も同じ手に引っかかってよ」
「カモだから仕方ないよ」
そう言って兄弟は笑いあう。あのときのわだかまりは、次の日には跡形もなくなっていた。
それより僕は、自分の足跡のことが心配でならない。
「もう行こうよ。足跡に気づいて見つかるかもしれない」
「足跡?大丈夫だって。そんなのに気づくくらいなら、もうとっくに俺ら捕まってるさ」
リズンはそう言ったが、僕は気が気でなかった。いつにも増して、足跡がはっきりと残っているのだ。追うのをあきらめて戻ってきたオヤジが、僕の足跡を見たら、この脇道にいると疑うのは間違いない。居ても立ってもいられず、僕が大通りをのぞきに行こうとすると、そこに影が差した。果物屋のオヤジだ。
「こんなところにいたのかクソガキども。店のリンゴを返しやがれ」
「やべえ、逃げろ」
リズンがそう声を上げて走り、カキエルが続く。しかしオヤジの近くにいた僕は、逃げ出す前に首へ腕を回され捕まってしまった。
「おい、エンドーを離せ!」
こちらの様子に気づいたリズンは、立ち止まり叫んだ。もちろんそんな声に、オヤジが従うはずもない。
「お前たちもこっちへ来るんだ。しばらくブタ箱ん中で反省しろ」
僕は振りほどこうと身をよじったが、オヤジの腕のロックは外れない。痛みや苦しさはなかったが、オヤジのでっぷりとした肉に押し付けられ、体の自由が奪われたのが不快でならなかった。
「離して……離してよ!」
僕はオヤジをどうにか押しのけようと、ぐっと背中を反るように力を込めた。すると何かがびちゃっと顔に飛んだ。そして急に僕を引き留めるものがなくなり、思わず前に倒れこんだ。
僕が立ち上がると、地面には手と膝の跡がついていた。そして果物屋のオヤジがどうなったのかと振り向くと、そこにはつぶれた肉塊が、どす黒い液体の中に浮かんでいた。変わり果てた姿だが、これが果物屋のオヤジだろうか?僕は自分の顔についたものを指でぬぐい取ると、それも血の付いた肉片だった。
僕がリズンたちの方へ向き直ると、ふたりは目を見開いたまま固まっていた。
「ねえ、何が起こったの?」
僕が近づこうとすると、ふたりは正気づいてあとずさり、どちらともなく走り出して行ってしまった。
その場に取り残された僕は、どうしていいか分からなかった。もう一度、肉塊の方を眺めてみる。見事につぶれていた。突然プレス機にかけられたみたいに。でももしそうだとしたら、僕も同じようにつぶれていたはずだし、そもそも周囲にプレス機なんてない。
「君がやったんだよ」
突然うしろから声が聞こえ、僕は反射的に振り返る。そこには、ひとりの少年がいた。肌は白く白髪で、服も真っ白だった。そのため青い瞳だけが、異様に目立って見えた。
「そんなわけないよ。僕にこんなことできるはずない」
そう否定すると、少年はうんざりしたような表情を見せた。
「やれやれ、君はいつもそうだね。記憶をなくすと、常識的な人間であろうとする」
「どうして僕の記憶のこと……」
「知っているさ。今回だけじゃないからね」
僕は混乱した。少年の言葉からすると、僕はこんなことを何度も経験しているみたいだ。しかもそのたびに記憶をなくしている?それに、人間であろうとするとはどういうことなのだろう。初めて会ったはずのこの少年が、僕より僕についてよく知っているようで不気味だった。
「君が形を成すほどになっているということは、この星の終わりが近いのさ。今はエンド、終わりと呼ばれているんだっけ?君にピッタリだね」
「エンドじゃなくてエンドーだよ」
僕は訂正したが、少年はそれには応えなかった。
「まあでも、終わるというか、君に戻ると言った方が正しいかな。さっきの生命体が潰れたのも、その現象の一部さ。
僕がやってきたのは、君に言われたからだよ。こうして約束を守ってあげているんだから、感謝してほしいね。といっても、今の君には分からないか。とにかく、記憶のあったころの君からの伝言だよ。この星はまもなく君に飲み込まれる。だから、周囲の人間がゆっくりと飲み込まれるのを避けたかったら、誰もいない場所へ行くようにってね」
僕がこの星を飲み込む?そんなことが起こるとは考えがたい。しかし、記憶のあったころの僕がそう言ったというのだから、無視していいものか、判断に迷うところだ。
ふと僕は、自分の足跡のことに思い至った。僕が常識的な人間でない部分があるとすれば、そのくらいだ。
「君が来たのって、僕の足跡と関係あるのかな?」
「足跡?」
聞かれて少年は、面倒そうに眉をひそめた。
「見てよ、ほら」と言って、僕は今いた場所から一歩下がった。そこにはしっかりと足跡が残っていた。
「こうやって、おかしいくらいはっきり足跡が残るんだ」
「ああ、それは君が重くなっているからさ」
少年は、そんなことかと言わんばかりに鼻で笑った。
「君はこの星に散らばっていたんだけどね。それが長い時間をかけて、一か所に集まってきているんだ。それで重くなって足跡がつくようになったってわけ。これからもっと重くなるよ。加速度的にね」
何を言っているのか、よくわからない。僕は首を傾げた。
「あまり信じてもらえてないのかな。でもすぐにわかるさ。だいたい、君は少し前まで自分を形作れていなかったんだよ。まあ本当なら、君をずっとバラバラのままにできればいいんだけど、僕だって万能じゃないんだ。おっと、話が過ぎたかな。そろそろ失礼するよ。次に会うのは記憶が戻ってからかな」
最後は言いたいことだけ言って、少年は消えた。さっきまで目の前にいたはずなのに、もうなんの痕跡も見出せなかった。
僕は重くなっている。それがもっと重くなる。そしてこの星を飲み込む。僕は少年が残した言葉のことを考えながら、廃ビルへと歩いた。ふたりが何というかは分からないが、他に行くところもない。出ていけと言われたら、またそのとき考えればいい。
しかし、僕はふたりに会いに行くことができなかった。廃ビルの階段を上ろうとして乗せた足を踏みしめると、そのまま踏み面にめり込み、周りがぼろぼろと崩れた。それでようやく僕は悟った。もう人が暮らしているところにいてはダメなんだ。それほど、僕は重くなっている。そしてもっと重くなるのであれば、はやくここから離れた方がいい。僕は廃ビルを出て、ずっと北にある山へ向かうことにした。
できるだけ、人通りのある場所は避けることにした。市場を抜けるのが一番の近道だったが、それでは足跡があちこちに残って騒ぎになるかもしれない。まずは山に対して横に進み、建物のない荒れ地まで出て、そこから山を目指すことにした。
荒れ地はあちらこちらで、枯れたような草が頭を低くしていた。僕はそれらを踏みつけないように歩く。時折、野犬を遠くに見かけたが、こちらを気にする風ではなかった。
今では少年の、僕がこの星を飲み込んでしまうという話を、なんとなく理解していた。少年がそう言ったからではなく、僕自身の感覚が、この星を飲み込む準備をしていることを伝えている。さっきまでなら無理にでも否定しただろうことを、当たり前のように受け入れていた。人間としての感性が、加速度的に失われているみたいだ。
山へと向かう間も、僕は重くなり続けていた。今では一歩踏み出すごとに、足の甲あたりまで沈むようになっている。だからといって、歩きにくくはない。むしろ僕の足取りは、重さを失ったかのように軽やかだった。
「おーいエンドー、待てよぉ」
あえぐような呼び声に、僕は振り返った。リズンだ。陽の光を押しつぶすように紫がかった荒れ地を、彼は走ってきていた。そのうしろから、カキエルも左右にふらつきながらついてくる。もう日が暮れかかっているのだと、このとき初めて気づいた。ふたりは立ち止まった僕のそばまで来ると、膝に手をついて、荒くなった息を抑えてようとした。
僕はふたりの背中をさすってやろうと出した手を止めた。今の僕では何をしてしまうか分からない。それに、僕のせいでふたりが目の前で死んだとして、そのとき何も感じないかもしれないことが怖かった。
「ごめんな。なんていうかさ、ちょっと驚いただけなんだ。オヤジが急につぶれたからさ」
僕は戸惑った。なんで謝るんだろう?身の危険を感じる場面に出会ったのだから、逃げて当然なのに。
「一緒に帰ろうよ」
カキエルは僕の腕を握った。
ふたりともまだ、僕を常識的な人間として扱っていた。でも、それは間違っている。うまく説明できないけれど、そのことをふたりに分かってもらわなければならない。
「もう帰ることはできない。ふたりとも僕の足跡を追ってきたんだろ?それを見たなら分かるはずさ。僕はもう街にいちゃいけない」
「そんなことないよ。帰ろうよ」
握った僕の腕を、カキエルは懸命に引っ張ろうとする。僕はされるがままにしていたが、それでも一歩も動かされることはなかった。
「僕はこれから、この星を飲み込んでしまうんだ。だから、みんなから離れていなくちゃ」
「飲み込むってなんだよ。そんなこと、あるわけないだろ」
リズンは声を荒らげる。
僕もついさっきまではそう思っていた。でも、そうなるんだ。実際に何が起こるかは不確かだったが、たぶんこれから起こるであろうことを、僕はふたりに話すことにした。
「たぶん、あのオヤジみたいなことが、この星全体に起きるんだと思う。途中からはあっという間だけど、でも最初はゆっくりなんだ。だから僕のそばにいると、死ぬ苦しみを味わうことになる」
ふたりの顔に恐怖の色が浮かんだ。果物屋のオヤジがゆっくりつぶれていくところを想像したのだろうか。あるいは自分たちがそうなるところを思い描いたのかもしれない。
カキエルはさっと僕の腕から手を離し、こちらを警戒しながら兄のそばへ近寄った。
「兄ちゃん、オレ……」
「ああ、そうだな。行こう」
ふたりは僕に背を向けて歩いていった。それでいい。彼らは苦痛を感じずに死ぬことができるし、僕は彼らの死を見なくて済む。僕はすぐに山の方へと歩みを進めた。
山の入り口に着いた。木々に覆われた斜面を、僕は登っていく。デコボコと足場の悪い山道を、散歩コースのように軽快に歩いた。疲労もまったく感じない。ある程度の高さから振り返って街を見ると、その場所で多くの人が生きていることを懸命に知らせるように、明かりがきらめいていた。僕はリズンの言葉を思い出す。「この世界の人間は、みんな死ねばいいんだ。そうすれば平等さ」。もうすぐそうなるんだ。おそらくほとんどの人が、そのことに気づかないうちに。
頂上近くは低木が生い茂るだけで、空は開けていた。僕は適当なところに寝転がり、夜空を眺める。体は大きく沈み、地面が多少の視界を遮ったが、それでも星々がよく見えた。
夜が明けるころ、僕の体は急激に沈み始めた。夜空をかき消した陽の光は、どんどん遠く、狭くなっていく。体を起こそうかと思ったが、もう何も掴むことはできなかった。僕は仰向けのまま、ただ星の中へ落ちていった。
しかししばらくすると、急にまた視界が開けだした。最初はなぜだか分からなかったが、それを理解するのに時間はかからなかった。僕がこの星を飲み込みはじめているのだ。そして、自分がどんな存在なのかがぼんやりと分かってきた。バラバラになっていた僕のかけらが、再び集まってひとつになろうとしていた。
僕は自分が星を飲み込んでいることに、何も感じていなかった。ただ視界に入るこの星の構成物が、自分の中へ流れ込んでくるのを見るだけだ。その間にも、僕はどんどん重くなっているようだった。より深く星の中に沈み込み、より多くを飲み込んでいく。
そうして気がつくと、さっきまで僕がいた星はなくなっていた。リズンもカキエルも、市場も廃ビルも、果物屋のオヤジの肉塊も、知らない間に飲み込んでしまったのだ。ひとつの星がなくなった宇宙で、すべてのかけらが集まり、僕はまた僕になった。
「やあエンドー。また会ったね」
白髪碧眼の少年、シェドリフは、いたずらっぽい笑顔を浮かべて現れた。
「その呼び方はやめてよ」
すっかり記憶を取り戻した僕は、渋面を返した。
今ではすっかり思い出していた。僕はすべてを飲み込んでしまう存在。近くに見えている星々も、本来ならあっという間に僕の中だ。今はシェドリフが抑えてくれているが、それだって長くは続かない。だからそんな僕を、このシェドリフはたくさんのかけらに分けて、星にしたのだ。そうすれば、それなりの時間、宇宙の平和は保たれる。
それは僕が望んだことだった。宇宙のすべてを飲み込んでしまうのは僕の本意ではない。「そうしたって僕は困らないよ」とシェドリフは言ったが、考えてみれば僕だって困りはしない。ただそうしたいだけだ。
「またバラバラにするかい?」
「うん。仕方ないよ」
僕は肩をすくめてみせた。バラバラにされるのは、誰だって好きではない。
「そうかい。じゃあそうしよう。次に会うのは五十億年後くらいかな。そのときの君はまた記憶をなくしているだろうけど」
「そうだね。でも次は、知的生命体とかかわりを持たないよう、もっと早く見つけてよ」
僕がそう頼むと、シェドリフは顎に手を当てて考えるポーズを取ったあと、こう言った。
「善処しよう」
リクエストには応えてもらえなさそうだ。
シェドリフは僕に両手を向けた。その手の先から光が広がり出すと同時に、僕の意識は不明瞭になり始める。そうだ、バラバラにされるときのこの感覚。無理やり眠りに落とされるような、何とも言えない倦怠感。
「死ぬのが不幸なのか、死ねないのが不幸なのか、一体どっちだろうね」
そんなシェドリフの声がにじむように聞こえたあと、僕の意識は穏やかに途切れた。