口いっぱいに広がるスパイスの旨みある辛味。
良く煮込まれた野菜の数々にしっかりと火の通された肉にカレールーが絡まる。
私自身の空腹という最上のスパイスと絡み合い、至上の旨さを引き出す。
うん――旨い。
「ふふ、いっぱい食べて下さいね」
あれから一週間が経った。
この一週間、イリュテムに支配されていた村の建て直しを行っていた。
やるべき事は色々あった。
一つをやってはまた一つ出てきて。錬成術師として色々と手伝っていたら、気づけば一週間が過ぎていた。
しかし、それもようやく終わり。
「相変わらず、旨いな」
「ふふ、ありがとうございます」
エプロン姿のリアーナに私が来た頃と比べて、酒場レストアの中も賑わっている。
店内にはあの金色のオルゴールから流れる涼やかな音色が響き渡っていた。
そんな周囲の様子を見渡しながら、私は水を飲む。
「ようやく、落ち着いてきたな」
「そうですね……。やっと村の人たちも仕事が出来るようになってきましたし、全部、ヘルメスさんのおかげです」
「そんな事はないさ。私はそのサポートをしただけ。頑張ったのはこの村に居る人たちさ」
私がやった事なんて本当にちょっとした手伝いだけ。
本当に頑張ったのはこの村をもう一度立て直そうと奮起して頑張った村の人たち。
その努力が今の楽しげに騒ぐ、この酒場の雰囲気を作り上げている。
「……そろそろ、私も出立する時だな」
これだけの状況であれば、もう私が居る必要も無いだろう。
私は私で目的がある。すると、酒場の入り口が開き、そこからステラが顔を出す。
「あ、ヘルメスさん。やっと見つけましたわ」
「ん? ステラ? どうした? それに村長まで」
ステラだけではなかった。
そこには村長も姿を見せ、私の下へと歩み寄ってくる。
村長は私の隣に腰を落ち着かせ、口を開いた。
「そろそろ、旅をするんじゃないかと思ってな。村も充分に立て直せた。君には本当に感謝している」
「気にしなくてもいいです。それに本当に大変なのはこれからなんですから」
「ああ、そうだな……。それで、ヘルメスさん。一つお願いがあるんだが……」
「良いですよ」
村長が提案するよりも前に私は頷くと、村長はフっとニヒルに笑う。
「まだ何も言っていないだろう?」
「ステラを連れて行って欲しいんだろう? ステラはどうなんだ?」
「私は……行きたいですわ。ずっとずっと旅をしてみたかったんですもの」
そう言うステラは私の隣に座り、リアーナに声を掛ける。
「カレーを一つ、大盛で」
「はいはい」
「それでですね、ヘルメスさん」
「……皆に何度も言うが、ヘルメスはやめてくれ。その名で呼ばれると面倒事が起きる。オルタナで頼む」
「あぁ、ごめんあそばせ。オルタナさん」
ステラは真っ直ぐ私の顔を真剣に見つめる。
「貴方には本当に感謝してもしきれません。私を……それに村まで救って頂いて」
「良いって。もう、何度も聞いたよ」
「それでも感謝の気持ちは尽きませんわ。私なんて特に貴方を……」
「殺した?」
私の言葉に村長とリアーナは目を丸くする。
「えっ!? こ、殺したの!?」
「……どういう事だ、ステラ」
「ん? あ、そうか。二人とも、知らなかったな。私は一度、ステラに……」
「ちょっ!? ちがっ……いや、違いませんけれど!?」
ワタワタと慌てふためくステラに村長が鋭い視線を浴びせる。
「ステラ。お前なんて事を……」
「いや、ど、どう説明すれば!? ていうか、そもそもオルタナさんは生きてるではありませんか!!」
「あ……そういえば、じゃあ、死んでない? え? どういう事?」
ステラの前にカレーライスを置きながら、?マークを浮かべるかのように首を傾げるリアーナ。
旅の目的にも繋がる事であるし、話しておこう。
「私の身体は厳密に言うと、人間のものではない。錬成物だ。オルタナティブ、と呼ばれる」
「オルタナティブ? ステラちゃん、そんな錬成物ってヘルメス全書にあったっけ?」
「いえ、私達が持っているものにはありませんわ。ただ、ヘルメス全書というのはシリーズ本ですので、他の本には書いてあるかも……しれませんわね」
「オルタナティブ……聞いた事があるなァ」
腕を組み、顎を撫でる村長。
「昔、フリージア……私の妻が言っていたんだが、大錬成術師ヘルメスは死後、自分が蘇る為にその意志を閉じ込めておく人形を作った、と。その名が確かオルタナティブ」
「へぇ、よく知ってますね。そのフリージアって人」
「妻は元冒険家でな。色々と世界について聞いた事があったんだ。だが……貴方がそのオルタナティブだったとは……」
「私は最初、旅人だと皆には言ったが、実際には違う。私はこの村の近くにある洞穴で封印されていて、最近、目覚めたんだ。そして、目覚めたと同時に私の頭の中にある言葉が浮かんだ。
それが――『極天』だ」
極天。
私が目指さなければならない場所であり、旅の終着点。
「極天……それって、ヘルメスが消えた場所、だったかしら?」
「ん? そうなのか?」
ステラの耳寄り情報に耳を傾けると、ステラもまた首を傾げる。
「えっと……ヘルメス様ですよね? だから、知っているはずですが……」
「ああ、すまない。私は記憶を操作されているらしくてな……思い出せるのは『ヘルメスの経験』と『錬成術の知識』だけなんだ。しかし、その経験に付随する『思い出』は全て消されているんだ」
「……思い出が消えてる?」
突拍子も無い事にリアーナが首を傾げると、私は分かりやすく説明する。
「経験。そういう事をした、という事は何となく、朧気ながらに覚えてる。しかし、何故、どのように、誰とといった部分が真っ白で何も思い出せないんだ」
「ヘルメスさんって伝説だとその極天って場所に行ってから、行方不明になったとされていて、しかも、その『極天』という場所は何処なのかも全く分からない場所と言われているんです」
「なるほど……」
と、いう事は私のオリジナルは極天に行き、何かを知ったのか?
その上で私を創る必要があり、創った。
そして、私に極天に向かわせるようにプログラムをした、と考えるのが普通か?
「……やり直しをしろ、とそういう事か?」
「やり直し?」
「ああ。オリジナルヘルメスは多くの人を救う為に旅をしていた。その旅をもう一度し、私はヘルメスの至った極天に行く。それが……オリジナルヘルメスの狙いなんじゃないか、と思ってな。
どちらにせよ、旅の行き先は変わらなさそうだ。ステラ」
「……はい?」
「旅は厳しいものになるかもしれないが、それでも覚悟はあるか?」
「……んっ!! 勿論!! ありますわ!! むしろ。そんな極天に行けるのなら、たとえ火の中、水の中!! 何処までもお供致しますわ!!」
ふふん、と自慢げに胸を張るステラ。
頼もしい限りだ。
「では、明日、出立するとしよう。長い旅になる」
「はい!!」
元気いっぱいに答えるステラとそんなステラを笑顔で見守る村長とリアーナ。
旅立ちの時は近い。
☆
「あの、お父様。この洋服、本当に宜しいのですか?」
「何を言っているんだ? せっかくの愛娘の旅立ち。それに、それはフリージアがお前の為にと創っていたものなんだ。ちゃんと着てやってくれ」
翌日。
私とステラは既に村の入り口前に居た。
旅立ちの時。お世話になった村人たちや村長とリアーナが出迎えに来てくれている中、ステラはみすぼらしいワンピースとは全然違う出で立ちになっていた。
一言で表すのなら、豪奢なドレスだ。
オフショルダーの黒ドレスを基調とし、腰にはパニエを着用して、全体的なシルエットを膨らませている。
胸元はスケスケのタイツのような仕様でその豊満な胸によって見える谷間を露に。それだけではなく、ドレスの前部分も意図して丈が短く、その肉感的な太ももが見えていて、その分、側面と廃部を全て長いドレスが包み込んでいる。
そして、ドレスの裾に向かうほど、夜空のように青黒くなっていく特徴的な色合い。
ステラは足を動かし、目を丸くする。
「これ、ドレスなのに物凄く動きやすいですわね」
「ああ。フリージアが自慢げに語っていたが、丈夫、防汚、速乾、環境適応。動きやすさ。その全てにおいて最高水準だそうだ」
「確かに……見事な錬成物だ。相当、そのフリージアというのは腕が立つらしい」
私から見てもそのドレスは間違いなく、ステラの身を守ってくれる鎧になる事だろう。
ステラは軽く全身を確認してから、小さく頷く。
「……不思議な感覚。これを着ていると、すごく落ち着きますわ」
「ふふ、ステラちゃん。すっごく似合ってるよ」
「ええ、そうでしょう?」
ふふん、と胸を張った瞬間、ふよんとゆれた胸にリアーナの表情が歪む。
「……いや、やっぱりなし。何、その胸。変態じゃん。スケスケだし」
「なっ!? そういうデザイン!! リアーナもいい加減、胸にこだわらなければいいのに。別に私は好きですわよ? リアーナの小さい身体も、胸も」
「余計なお世話!! ていうか、ちっちゃいっていうなー!!」
「おほほほ……ご、ごめんあそばせ……」
うがーっ!! と可愛らしい怒りを露にするリアーナにステラはほほほ、と上品に笑いながら反撃を避けている。
何ていうか、リアーナは過敏すぎる気がする。
そんな楽しげな二人を見つめ、村長は言う。
「ステラの事、宜しくお願いします」
「……ええ、勿論です。そっちは大丈夫ですか?」
私の問いに村長はニヤリと笑う。
「問題ない。レーヴァテインの基礎も貴方に創ってもらえた。それだけでも充分だ。それに我らにも意地はある」
「ふふ、そうですか」
「次、ここを訪れた時、貴方を驚かせてみせますよ。だから、また気軽に戻って来てください。いつでも貴方を歓迎します」
「ありがとうございます」
私は一つ頭を下げる。
帰る場所がある、というのも有り難いものだ。
私がステラを見ると、察したのか、リアーナを見つめる。
「リアーナ。私、そろそろ行きますわ」
「え……あ、うん。そうだね。あ、そうだ。オルゴール、持って行く?」
ゴソゴソ、と懐の中から金色のオルゴールを取り出すリアーナ。
それをステラに見せると、彼女は首を横に振る。
「いえ。それは貴女が持っていて下さい。せっかく、酒場で流していたんですから。それにそれは私が貴女にプレゼントしたものですから」
「ステラちゃん……」
金色のオルゴールをぎゅっと握り締め、リアーナはステラに飛びつくように抱きついた。それからぎゅーっと強く抱き締める。
「ステラちゃん、元気でね。危ない事、したら絶対にダメだよ? それとご飯だってちゃんと食べなくちゃダメだし、オルタナさんの言う事も聞かなくちゃダメだからね!! 後……」
「分かってますから。相変わらず、心配性ですわね」
「心配だよ。大事な妹分なんだから」
「……私も同じ。リアーナ。貴女が、皆が教えてくれた生き方を胸に頑張ってきますわ。だから、また帰ってきたら、カレーを食べさせて下さい」
「勿論だよ!! じゃあ、約束!!」
ステラとリアーナは互いに小指を絡ませ、指切りをする。
それからゆっくりと互いに、名残惜しそうに指を離す。
「ステラ。そろそろ、行こうか」
「ええ。行きましょうか」
私が村長へと一つ頭を下げると、ステラもまた皆に言う。
「それじゃあ、皆さん。行ってまいります!!」
それと同時に村人たちの声が鼓膜を震わせる。
「おう!! ステラちゃん、頑張れよー!!」
「ちゃんと、ご飯とかしっかりね~。あと、都会は怖いって言うし、ちゃんとやるんだよー!!」
「おねえちゃーん!! また帰ってきたら遊んでねー!!」
「夢、叶えて来いよ!! ステラッ!!」
思い思いの言葉。その全てがステラの旅立ちを祝福しているような言葉ばかり。
私はそんな声を背に歩き出すと、後ろからステラの元気いっぱいの声が聞こえてきた。
「もっちろん!! 皆、行ってくるー!! ちゃんと元気でやるんだよー!!」
大きく両手を振り、そして、満面の笑顔で歩き出すステラ。
そんなスマラナ村の人たちの応援は村から遠く離れた所でも、ずっと聞こえたような気がした。
「オルタナさん」
「何だ?」
「信頼してくれるって、嬉しいですわね」
「ああ……そうだな」
そうして、私達――錬成術師のやり直しが幕を上げた――。
☆
スマラナ山中腹。山の一角を刳り貫いた場所にある墓石たち。
それは村で無くなった人たちを弔う墓所。
その最奥には他の墓よりも少し大きめな墓がある。
『偉大なる冒険家 フリージア=スマラナ ここに眠る』
そう書かれた墓の前に村長は腰を落ち着かせる。
手には二つのグラスがあり、その一つを墓前に、もう一つを自身の前に置く。
それからワインを注ぎながら口を開いた。
「フリージア。ステラが旅立ったよ」
「あ、村長。やっぱりここに居たんですね」
「リアーナか」
背後から現れたリアーナもまた村長の横に座り、フリージアの墓を見つめる。
「……フリージアさん、喜んでくれるかな?」
「……フッ、当たり前さ」
村長は注いだワインを飲み干し、言葉を続ける。
「誰よりもフリージアが旅立つ事を望んでいたんだ。きっと……フリージアにはこうなる未来が分かっていたんだろう……なぁ、そうだろ?」
村長の語りかけに優しい風が二人の体を撫でる。
「……ああ、そうだな。全てはステラが決めた意志、か」
「そうですね。……でも、そっか」
「ん?」
「フリージアさんの言っていた意味が何となく分かった気がして」
リアーナは当時の事を回顧しながら言う。
「私の娘が旅立つ時、世界は大きく動き出す。小さい頃ながらに何言ってるんだろうって思ったんですけど、まさか……ヘルメスさんと出会うなんて……」
「本当にな。偶然……いや、きっと必然だったんだろうな。フリージアならば、それくらい見通していたはずさ」
「うん……じゃあ、村長。もしかしてこれから?」
リアーナの問いかけに村長はワインを飲み干し、口を開いた。
「ああ。これからきっと世界は大きく動き出す。そうなった時、フリージアからやるべき事は聞いている。いよいよ、実行の移す時だ」
「はい。分かりました。じゃあ、村の皆にも伝えますね」
「そうしてくれ」
すると、リアーナはゆっくりと立ち上がり、村へと戻っていく。
村長は立ち上がり、フリージアの墓に触れる。
「……ステラの事、見守ってやってくれ」
それに応えるように一つの風が吹く。
それは先ほど旅立ったステラの進んだ方角へ。
まるで、風が旅を後押しするかのように。
村長はそんな風の行き先を見つめ、静かに墓を去った――。