スマラナ村山頂。
ポツポツ、と雨が降り注ぐ中、私は顔を上げる。
山頂にポツン、と置かれた玉座。そこに腰掛け、偉そうにふんぞり返っている男。
黒いローブに身を包み、黒髪黒目の青年。年は私と同じくらい、かな。
何度も見てきて、何度も憎んだ男。イリュテム。
イリュテムは私を見下ろし、口を開く。
「まさか、生贄自ら来るとはな」
「最初から私だったんでしょ? もう、この村を捨てるつもりなんだろうし」
「ほぅ。随分と目敏いな」
「……当たり前でしょ。そうじゃなかったら、村から離れるなんて事ないじゃない」
「…………なるほど」
私の言葉にイリュテムは顎に手を当てる。
思案しているようなそんな顔。しかし、彼はとっくにこの村を見限っていると思う。
だって、あの病が蔓延していたし、何より、監視を全てステラちゃんに丸投げしている。
殆ど村に顔を出す事が無ければ、支配するだけ、搾取するだけで何もしない。
「それは随分とお前等の価値を高く見積もりすぎているな」
「……何?」
「逆だよ。お前たちにはその程度の価値しかないんだ」
イリュテムは玉座に座ったまま、尊大に足を組む。
「お前たちは弱者であり、敗者だ。それは強者に搾取され、使われる事こそが定め。その必要価値がなくなったのなら、切り捨てるのは当然の事だろう?」
「最低……」
「最低か……」
私の言葉にイリュテムはニヤリと不敵に笑う。
「自己の弱さを他者のせいにしないで欲しい。お前たちは驕り、私に勝てると考えた。その結果が今だ。それ以外に何の意味も無い。お前たちは絶対的な力を前に敗北したんだ。
それを誰よりも良く分かっていたステラだけはまぁ……利口だったな」
「……利口?」
「ああ、そうだろう。誰よりも最初に反発する事をやめ、強者に媚びへつらう事を決めた。それが村を守る等という下らない妄言の為に。本当に愚かな女……だが、世界の真理を良く知っている」
褒めているのか、貶しているのか。
良く分からない。
絶対的な力があるのなら、何をしても良いというのか。
そんなはずは無い。
イリュテムはぎゅっと力強く拳を握り締める。
「そう。力さ。この世界は全てが力によって支配されている。力が無ければ、何も出来ず、ただただ搾取して奪われるのみ!! それがこの世界だ!!
奪われるのなら、奪い返せばいい。
虐げられるのなら、虐げ返せばいい。
支配されるのなら、逆に支配してやればいい。
これらすべてを可能にするのが力。それ以外に意味等無い!!」
「……悲しい人ね、貴方は」
「何?」
私はそうは思わない。私は真っ直ぐイリュテムを精一杯睨みつける。
「そうやって一人で何でも出来るって勘違いして、誰かと一緒に何かをするなんて経験がないんでしょう?」
「ふん、まさしく弱者の思考だ。人なんて利用するだけ利用すればいい。力のある人間はそうあるべきだ。そして、利用価値が無くなれば、捨てればいい。何かを一緒にする必要などないさ。少なくとも、私という存在がそれを証明している」
イリュテムは立ち上がり、膝を付く私の顎を掴む。
それから鋭く殺意のこもった紅い眼差しで私を睨みつける。
「そんなくだらない弱者の思考を持ち得ているから貴様等は全てを失った。そして、奪われる事になる。お前の命も、ステラの命も、村の全ても……。
そして、それがステラの行動を御す事の役にも立つ……」
ニタリ、といやらしい笑みを浮かべるイリュテムは言葉を続ける。
「くだらない利用価値も無い他人を大切に思う気持ちなど、無意味にほかならない。ただの足枷だ。貴様等が居なければ、きっとステラはとうにこの村なんて捨てて、逃げ出していたさ。
いや、違う。この村の連中は皆、そうだ。誰かの為にという綺麗事だけを並べ、自らが生きる術すらも投げ捨てた。皆……自分から命を落とした愚か者共だ」
「私の妹分と……村の人たちを侮辱しないで!! 貴方には分からないでしょう!? 人を見下し、バカにしたような目でしか人を見れないような奴には!! 人の気持ちなんて!!」
「分かるはずもない。理解する必要もない。人は絶対的な力を前に屈するのみ」
私の顎を投げ捨てるように離し、イリュテムは両手を広げる。
「そう!! 力だ。私はこれから更なる力を手に入れる。この……腐りきった肉体から脱却し、新たなる人体を錬成する!! お前はその為の生贄だ!!」
「人体錬成……。それって、禁忌でしょう!?」
「言っただろう? 弱者は搾取されるだけだと。さあ、始めるとしよう」
まずい!!
もう少し、時間を稼がないといけないのに!?
私の役目は出来るだけ、こいつの気をこちらに向ける事。
その間に、村の皆が山道を全速力で駆け抜けてくる手筈。
まだ、何か手がある。何とかして時間を稼がないと……。
何やら準備をしているイリュテムに私は尋ねる。
「ねぇ、そういえば、ステラちゃんは?」
「ステラ? ああ、どうせ、もう会えなくなるんだ。教えてやろう。アイツにはこの村に居る男を殺させた。お前と生贄と引き換えだったが……何も聞いていないのか?
いや、言える訳がないか」
ニヤ、っと笑うイリュテム。
そんな話、聞いた事がなかった。
私が生贄だという話はステラちゃんが監視している人が何とか聞いてくれた情報。
それ以上は病気の咳がひどくてバレてしまうから聞けなかったけれど……。
それに村に居る男?
「ステラは今まで従順に従ってきた……今回もこなしたと、きっちり連絡も来ているさ」
「その男って……誰なの?」
「さあな。知らん。死んだ人間に興味も無いからな。ただ、一人が死ぬくらい」
「…………」
ステラちゃんが人を殺した?
そんな事、ありえない。ありえるはずがない。
ステラちゃんがそんな事をするはずがない。
「殺しって……ステラちゃんにそんな事をさせたの!? 貴方……」
「当たり前だろう? 奴は私の奴隷だ。私の言いなりになるのは当然だ。であれば、殺しもして当然だ」
「貴方ね……」
「それよりも、他者が何だと言っておいて、そんな話も聞かされていないなんてな。所詮、その程度なんだよ。繋がりなんていうくだらないものは」
「……言える訳、ないでしょっ。ステラちゃんが……」
言える訳が無い。
私とあの男の人、恐らくオルタナさんの命を秤にかけるなんて。
この人、悪魔か何かか? 本当に、人の心を弄ぶ……。
怒りが込み上げてくるが、熱される頭を心の片隅で落ち着かせようと試みる。
怒りに身を任せたらダメだ。
それにあの男の人が本当にオルタナさんだとするのなら、殺されるなんて事はないはず。
すると、イリュテムが何か準備を終えたのか、口を開く。
「さて……時間が惜しい。始めるとしよう。もうこの村にも用はないしな」
「なっ……貴方……」
「何だ? この際、力で分からせてやってもいい。どうする? さっさと選べ。犠牲になるか、私と戦うか」
絶対的な自信。それが彼の態度からも良く分かる。
負ける事なんて微塵も考えていない。けれど、その油断、慢心がお前の命取り。
背後から熱を感じる。熱波、と言えばいいのか。この雨の中では感じる事の無い空気。
それはイリュテムも同じだったのか、眉を潜める。
「何だ? この熱。気温の……上昇?」
イリュテムが呟いた瞬間だった。
私の背後から声が聞こえる。
「燃えろ!! レーヴァテイン!!」
それはネロ村長の勇ましい声音。それと同時に村人たちの雄たけびも聞こえてきた。
私はすぐさま地を蹴り、イリュテムから距離を取る。
この距離じゃ、巻き込まれる!?
「なっ!? 村人が何故!? それにこの数!?」
山道を抜け、飛び込んできた村長をはじめとする多くの村人たちは全員が煌く刃をイリュテムへと向け、飛ぶ。
宙を舞い、爆炎を纏う刃を持つ村長が声を張り上げる。
「イリュテム!! ここで貴様を殺す!!」
「チィッ!? 死に損ない共がああああああッ!!」
その瞬間、村人の一人が剣をイリュテムの足目掛けて投げつける。
それは奇襲の一撃だったのか、イリュテムの足に深く突き刺さる。
「ぐっ!?」
体勢が崩れた。
村長は宙を飛び、強くレーヴァテインを握り締める。
「全てを燃やし尽くせ!! レーヴァテインッ!!」
そんな絶叫と同時にレーヴァテインがイリュテムの左胸に突き刺さり、それに続くように村人たちの刃もまたイリュテムの腹部に突き刺さる。
針のむしろ、とはまさにこの事。まさしく、村の恨みを込めた一撃。
村長や村人たちはイリュテムから大きく距離を取ると、巨大な炎の柱がイリュテムを焼き尽くすように天を貫く。
「……良し」
「おぉ!! これならッ!!」
気を緩める事のない村長と炎に包み込まれるイリュテムを見て歓喜の声を上げる村人たち。
すぐに村長は私を見た。
「リアーナ、大丈夫か?」
「うん、大丈夫……それより、イリュテムは?」
炎に包まれ、どうなっているのか分からない。
声を上げる事もなく、ただただ包まれているようにも見える。
「これだけのすげー炎なんだ!! 燃えて無くなるに決まって――っ!?」
そう村人の男性が言った瞬間、ガクン、と身体が前につんのめり、すぐさま地面に手を突き踏ん張る。それだけじゃない。
炎の柱が何かに吸い込まれ、消失していく。
「……なるほどな。全ては時間稼ぎ、か。弱者にしては良く考えた……だが、全然足りない……この俺を殺すにはああ、全然だ。全然、足りない!!」
その瞬間だった。
ネロの腹部を何かが貫いた。それはサソリの尻尾?
私は目を疑うと同時にすぐさまイリュテムを見た。
「嘘……」
その異形の姿に私は目を疑った。
右手には竜の貌。悪魔のような翼が生え、その翼膜には両手を挙げ、彼を賛辞するかのように、あるいは救いを求めているかのように手を伸ばしている。
両脇腹からも二本の腕が生え揃え、その手には剣が握られている。
それだけに留まらず、両肩には狼の貌、うねうねと動くサソリの尾はネロに巻きつき、自身に寄せる。
ありとあらゆる生命を適当な形でくっつけたバケモノがそこには居た。
「あ……な、なんだよ、あの姿……」
「あ、あんな姿してたか? 前は違っただろ!?」
「力も弁えぬ愚民が……。だが……面白いものも手に入った。それにあの病を治した……そうかそうか」
愉しそうにイリュテムは笑い、首を掴んだ村長の顔を見る。
村長の顔は怒りと憎しみに満ち、イリュテムを睨みつける。
「……良い目だ。憎悪が強く感じられる。だが、全然、ダメだ。俺には届かない」
「…………バケモノめが。貴様は人間か?」
「ああ、人間だ。ただ……ただの人間とは違う。俺は選ばれた人間だ。さて……貴様の知識を頂くとしよう」
まずい、まずい。
私は焦燥感に駆られる。焦ってしまった。
あの男にこんな力があるなんて思わなかった。否、思わなかった訳じゃない。
何処か軽視していた。違う、今はそんな事を考えるんじゃない。
私は考える。
今、この状況であの男に勝てる人は居ない。
いや、一人だけ居る。一人だけ。
もう、私達に出来ることは全部やった。このままじゃ村長が殺されてしまう。
私は思い出す。別れる前に言われた事。
『もし、戦いの最中、心が折れそうになった時、この名を呼べ』
私はぐっと歯噛みし、大きく息を吸う。
「助けて……」
「何?」
「リ、リアーナ……」
「助けて下さいッ!! ヘルメス様ッ!!」
万感の思いを込めた叫んだ言葉。
それにイリュテムは嘲笑する。
「おいおい。何を言ってるんだ? そんな昔の人間の名を呼んで何になる? ああ、そうか。現実逃避か? そうだろうな。ここで、全員殺され――」
刹那――。
何かが通り抜け、イリュテムの尾が切り裂かれる。
それによって村長の拘束が抜け落ちた瞬間、村長を抱きかかえたステラちゃんが地を蹴る。
え!? ステラちゃん!?
私が目を丸くしたと同時にオルタナさんがイリュテムの腹部に蹴りを打ち込む。
それはイリュテムの腹部を抉り、玉座へと蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされた勢いそのままにイリュテムは玉座に強制的に座らされ、忌々しくオルタナさんを睨みつける。
「リアーナ。無事か?」
「オルタナさん!! 本当に……」
「言っただろ? 約束は守る男だと。それにステラも居る」
「ステラ……何故、ここに……。それに、その男は殺したはずじゃなかったのか……」
「それはこっちの台詞だ。イリュテム、だったか」
オルタナさんは村長や村人たちを庇うように立ち、口を開く。
「今の一撃は腹をぶち抜くくらいの一撃。何で生きてる……ああ、なるほど。吸収か」
「貴様……いや、ヘルメス……。ああ、そうか。面白い。これは天啓。俺が世界を支配できる力を手に……クク、ああ、良いだろう。計画変更だ。今すぐにでも、貴様を吸収してやろう!!」