次第に母は、私に障碍者は恥ずかしいから山奥で死んでこいうようになりました。
農薬を渡すので、それで山奥で自殺して来いと言われ、私はもうだめだと悟りました。
当時私は、電子書籍作家として貯めていた30万円ほどの貯金がありました。その時初めて家を出る決意をしました。
保佐人の先生にももちろん、相談しましたが、母に直接電話されて「そんなこと言いましたか?」と確認を取られました。
それで「はいそうです。いいました」という人がいますか?少なくとも虐待を隠したがっている人はいいませんよね。
そしてそれを言われたことにより被害を向けるのは私です。
浅はかな人という見方が変わらなくなっていました。
それでも無理やり引っ越しをしました。
母は私に刃物を向けた経歴のある人です。殺されかねないと思ったからです。
一人の家を手に入れたとき、三日間泣きました。
安堵できる家、今までそれが私にはありませんでした。私は家族の都合のいい存在を演じ、気に入らないことがあれば殴られ、初めてそうじゃない家を手に入れることができたのです。
涙が止まりませんでした。
誰も傷つけない、誰も私を殴らない、ひどいことを言われることもない。
それは私の天国でした。
急遽決まったボロアパートだったので、虫の被害には困りましたが。
それからでした。保佐人さんの未払いで電気スマホネットがとめられるようになったのは。