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生きてほしいと願うなら

 自殺未遂を何度も繰り返すたび、ひよばあは現れました。いつも悲しそうな顔をして私を見ていました。

 ああ、生きてほしいんだ。これはひよばあの願いなんだ。幸せに生きてほしいんだと思えるようになり、勉強もバイトも頑張って短大を卒業しました。

 お医者さんに言わせれば、あなたに行けるわけがないと言われるような偏差値の短大を卒業することができましたが、どうしても障碍者枠以外で働くことができず、障碍者枠で仕事をするようになりました。

 母はそれが気に食わず、こんなものを飲んでいるから病気なんだと薬を捨て、縁を切りたい。死んでほしいなどを繰り返すようになり、刃物を出してきたこともあり、裸足のまま警察に逃げ込んだこともあります。

 それでもひよばあが幸せを望むならと私はあきらめず、生きていました。涙が止まらない日もありました、辛くてこのまま眠って目が覚めなければいいのにと願った日も数え切れません。

 そのうちてんかん発作を起こすようになりました。三日に一度しかまともに起き上がることができず、もちろん、発作のことは医者に言うことを禁じられて、寝たきりになっていきました。

 ああ、このまま死んでしまうんだと思ったとき、何かを作りたいと思いました。

 私は小さい頃から、ラジオが好きでずっとラジオの音楽番組を聞いて心の支えにしてたので、音楽を作りたい。と思うようになりました。

 しかし、音楽を作り余裕などあるわけもなく、当時流行っていたボーカロイドに作詞という形で手を出すことにしました。

 それがボーカロイドサークルAsteRhythmの始まりでした。

 このサークルの人たちがいなければ、私は人生を絶望したまま死んでいたかもしれません。

 家族という狭い世界がすべてだと思い込んでいたかもしれません。だから心から、感謝しています。

 複数人で制作を通して、一人の絵師様に出会います。

 その絵師様は芯のある縁の下の力持ちであり、とてもやさしい人でした。家族の話をして自分がもっと上手く立ち振るまうことができれば、愛されることもできたかもしれないと、うつむく私に「そんな家族に愛される必要はない。本当に大切だと思える人を大事にすべきだ。選んでいいんだ」ということを言われ、目の前が開けていくようでした。

 私はそれからも母にひどい暴言を浴びせられることも多くありましたが、そのたび母が眼底出血を起こすようになりました。

 ひよばあは眼底出血で片目が失明していて、私はずっとひよばあの眼として支えていたので、ひよばあが守ってくれている気がしていました。

 いいえ、きっと守ってくれてるんだと思うと、涙が止まらず頑張ろう。頑張ろうと何度も言い聞かせて頑張りました。

 しかし、頑張りすぎたのでしょう。

 高熱が何週間も続き、過呼吸発作が止まらなくなりました。

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