そんな私でしたが、そんな地獄の中で自分を救えるのは自分だけだと火が付きました。
それからの私は、愛されるようにふるまうようになりました。家事を率先してやり、大嫌いな母親にまるで愛されている子供のように大好きなふりをしました。
腕に詰めの跡がいくつも残っています。反吐が出るほどの演技でした。口の中を血まみれにしては耐えて、家族と仲良くする努力をし、できなかった勉強を死ぬ気でやりました。
のちに私は健常者の半分以下しか、記憶力がないことが診断されるのですが、記憶力がないわけではないので、寝ないで物事をこなすくせがつきました。
半分は意地でした。憎くて仕方ない家族でも、媚びへつらい愛するふりをすることで、真っ当な生活を手にしてやろうという打算がありました。
そんな生活が二年過ぎて中学の話になりました。
母や姉がした仕打ちは、彼女らのなかでなかったことになっていて、ぞっとしました。
都合の悪い記憶は消すものだと、聞いたことがあってもここまで何もなかったことにされるのかと思ったら、本当に憎しみが抑えきれなくなり、泣いてしまうことが多くなりました。
もちろん隠れてずっと声を殺して泣いていました。
おそらく、母は気づいていたと思います。でも何も言われませんでした。
ひよばあが迎えに来てくれるという妄信だけが私の救いでした。
高校三年生、好成績だった私は母に短大に行くように言われました。
私はいい短大に行ったら、ひよばあの連絡先を教えてほしいとお願いしました。
医者に言わせれば、鼻で笑ってしまうようなところに私は受験しました。ただ、睡眠時間は3時間でそれ以外は勉強に宛てました。
大体それぐらいの努力をすれば、合格は手に入ると思っていました。
私は自分を削れば結果が出ることに味を占めていました。ただ努力すればいい。人のよりも何倍も努力すればほしいものは手に入るのだと、馬鹿にしていたのです。
睡眠時間はどんどん短くなり、私は受験に合格しました。
これだけ頑張ったのだから、きっと神様はひよばあに会わせてくれる。会って、抱きしめてもらえる。子供の時のように。
だってこんなに頑張ったのだから、こんなに人を大事にするようになったのだから。だから、きっと。
私は愚か者でした。
もらった電話番号をかけて知ったのは、ひよばあの死でした。
「今年の夏に亡くなった」
と聞いてから、私の中で何かが崩れていきました。
なんのために私は頑張っていたのかわからなくなり、生きる屍状態で、何をしても涙が止まらなくなりました。
そのうち、幻聴が聞こえるようになり、心療内科に受診したいと母はに言えば、またひどい暴力を受けるようになりました。
もう、限界でした。
私は家にあった錠剤をすべて日本酒で飲み、死のうとしました。
ふわふわと眠くなり、寝ているとひよばあの悲しい表情が見えました。会いたかったひよばあに会えて悲しくて涙がぼろぼろ出ました。
もう一度だけでいい。ずっと会いたかった。抱きしめてほしかった。泣きながらひよばあを見つめた瞬間、吐きました。
嘔吐が止まらず、蛇口をひねったみたいに吐きました。
体は痙攣し、まともに立っていることもままならない状態で、私は何とか洗面所までたどり着くと、その後30分ほど吐きました。
洗面台にしがみついていましたが、痙攣が止まらず、お風呂場で吐いた頃には、吐しゃ物が真っ赤になっていました。
それでも私は嬉しかったのです。これで、ようやくひよばあのところに行けると、これでようやく寂しくないと。
血のカスしか出なくなったころに母に現場を見つかり、瀕死の状態の体を殴られました。
そのころには何も思わなくなっていました。
11月末の寒い風呂場に閉じ込められ、夜を越しました。その間もひよばあの幻覚がずっと見えていました。泣きそうな顔で私を見ていました。