父のマモルが帰ってくる。
晩御飯食べて、後片付けの手伝いをする。
命をいただくものとしての礼儀だと、
あまり厳しくない父親から、それだけは言われていた。
いただきますと、ごちそうさまと、後片付け。
ネネの中ではそれは決まっていること、礼儀だと。
好きも嫌いもなく、それは生きていくうえで必要なものになっている。
ネネとしては、片付いているキッチンが好きかも知れない。
散らかっているよりはいい。
ネネは台所を片付けて、
二階のネネの部屋に行く。
色気もそっけもない部屋だ。
ポスターもない。
カレンダーもシンプルで、ベッドも柄物でなく、
キャラクターのキャの字もないような、
壁の白と、木のクリーム色っぽいもので統一された部屋だ。
ネネは学校のかばんを持ってきておろし、
机に向かう。
パソコンがある。
デスクトップのごついやつだ。
「拡張性があるから」と、
マモルがすすめてくれたタイプだ。
ネネは場所ばかり取るこのパソコンが嫌いだ。
インターネットさえ出来ればいいのに。
ネットさえ出来れば調べ物に事欠かないのに。
マモルに言ったことはないが、ネネは不満がある。
ネネは心の中で、
「無駄箱一号」と呼んでいる。
無駄にでかいばかりの箱。
最低限役に立つけど、それまでの箱。
ネネはパソコンをひとにらみすると、
かばんから問題集を取り出した。
ネットより、とにかく学校の勉強についていかないと。
今日、自分がなかなかついていけてないことを感じた。
ネネはふと、思い当たる。
誰かの声があの時したような。
よく通る声。
ネネはその声を思い出そうとする。
思い出そうとすると、いろいろな要素が声を形作り、
ネネの脳裏にはっきりと声が描かれる。
低くよく通る、男の声。
「いずれ後悔をしますよ」
真をつくように、まっすぐで、嘘偽りが感じられない。
ささやくようでありながら、意思の劣化が見られない。
ネネに向けられ、投げかけられた言葉だ。
「いずれ後悔をしますよ」
ネネはつぶやいてみた。
勉強のことだろうか。
そのほかのことだろうか。
今まででは、多分、いずれ後悔をすることが言いたいのだろう。
誰だろう。そんなことを言ってくれた、
多分、男は。
マモルの声ではない。
マモルの声が悪いわけではないが、
あの時聞こえた声は、清流のようによどみがなかった。
その声に打たれることがあったのだろうか。
ネネ自身は少し考える。
あのまま居眠りをしていたら、勉強についていけなくなっていた。
もっと悪いことになっていた。
「まぁ、どうにかしなくちゃね」
ネネはぼそっとつぶやく。
わからないなりに勉強だ。
問題集をいくつかこなす。
わからないことが、こんなにあったのかと思い直し、
少し、あきらめ半分になる。
こんなにわからなかったら、進級できなかったりするかもしれない。
ネネは危機感をはじめて持った。
ため息を一つ。
必死になっている自分が嫌い。
勉強させる環境が嫌い。
世界には勉強ができない人もいると、
ネネを恵まれている人というのも嫌い。
ネネは視線を上げた。
本棚に、アルバムが一つ。
ネネはそのアルバムを手にする。
表紙には、華道と書いてある。
ネネが今まで生けてきた花だ。
一枚一枚アルバムにとってある。
未熟といわれるかもしれないけれど、
ネネは自分の生けた花が好きだ。
イメージどおりにいけられると、
それは、とても、うれしいものだ。
ネネの数少ない、心からの好き。
ぎゅうと、凝縮されて、アルバムにはさまれている。
進級できなかったら、華道もできなくなるかも。
ネネは思う。それは嫌だと。
アルバムを丁寧に閉じて、大事に戻す。
愛しい花のために、勉強をしないといけないなと。
義務とか環境とか意思だとか。
いろいろあるけど花のため。
ネネに隠された、好きなもののため。
ネネはカリカリとシャーペンを走らせる。
それは夜遅くまで続いた。