電脳はパンダの夢を見るか。
数百年前。
電脳が外部のコンピューターというものだった頃。
当然夢は、生身の脳の現象でしかなかった。
誰も裁けないし、
見てすぐ忘れてしまう。
そういう代物だった。
電脳が組み込まれるようになり、
生身の脳と同じように夢を見て、
それを制御できる。
そんな時代になった。
意識も無意識も、電脳で処理ができる。
無意識のネットワークというものもできるようになった。
制御できる以上、無意識も意識なのかもしれないが、
意識のネットワーク以上に、
無意識のネットワークは混沌としていて、
まだ、この時代においても、
制御が完全でなかった。
電脳の夢は、また、裁けない。
夢は電脳を介して、他人の夢と交じり合い、
複雑な色彩を描く。
過去も記憶も整頓しようとして交じり合っていく。
白も黒もはっきりしない感覚。
その中で鮮明に描かれるものがある。
パンダだ。
この時代において、
パンダにかかわらないものはいない。
迷惑があったとか、
守らなくちゃいけないとか、
誰かを殺されたとか、
とにかく様々の要因で、
誰かしら、パンダとかかわっている。
だから無意識のネットワークに接続していると、
パンダだけは誰の夢の中にもいる。
無意識のうちにみんなパンダがいる。
パンダはいまや、夢の中心にいる。
表情のないシンボルとしたパンダが、
無意識のネットワークの中、北極星のように、ある。
パンダを見ることにより、
自分の立ち位置を知り、
パンダを見ることにより、
自分の無意識と意識の境目を知る。
皆がパンダを知っている。
海や太陽や風と同じくらいの共通言語だ。
無意識の中で、皆がパンダの周りを回っている。
無意識の中心、
そして、世界の中心。
渦を巻くように、パンダが中心にある。
無意識の電脳は、パンダの夢を見る。
覚醒していても、
世界はパンダを中心に回っている。
人間で動かせる時代は、もう、終わったのかもしれない。
この時代において、つい最近。
政府は無意識を取り締まる法律を作ろうとした。
大多数の反対にあり、
結局は成立しなかった。
夢は裁けない。
この時代においても裁けない。
夢は混沌。
まだ、誰も夢の地図を描けない。
ただ、パンダは中心にある。
愛と憎しみと、様々の感情が渦巻く中、
パンダは中心にいる。
熊猫中心。
近づけば飲み込まれる、混沌の中心において、
パンダはいつものようにシンボルとしてそこにいる。