「こんな所にこんな美しいお嬢さんが来るたぁ、驚きました」
突然の声掛けに驚いて飛び起きてみれば、その顔に更にぎょっとする。
「あ、あなたは誰?」
声から男性とわかるが、その顔は真っ白に塗られ、目の下や口元に化粧が施されている。
見るからに普通ではない。
「怪しいものではありませんよ。あっしはクラウン、ただの道化師でございます」
「道化、師?」
聞きなれない言葉だ。魔物ではないのか?
「人々を楽しませるために旅をしている、しがない者です。しかし金はないし雨も振り出すしで、この廃屋に勝手に泊まらせてもらっていたんですよ。気づけばこんな綺麗なお嬢さんも一緒の屋根の下、いやぁ実に奇妙なご縁があるもんです」
どうやら彼も同じくこの雨で避難してきた者のようだ。
「そうね、わたくしも驚いたわ。まさかここに人がいるなんて……呼びかけたのだけれど聞こえなかったかしら」
声を掛けて誰もいないことを確認したのだけれど、雨の音で届かなかったかもしれない。
「あっしもぐっすり眠ってましたので、気づきませんでした。ところでお腹が空いてやいませんか? 少しならば食べ物もありますよ」
「ありがとう。でもわたくし食事は限られたものしか食べられないから、気を遣わないで大丈夫です」
もしも残すような事をして不快感を与えてしまっては、申し訳ない。既に経験しているので、今度は失敗しないようにと最初に断りを入れておく。
(それにしても見知らぬ者にこんな風に親切にしてくれるなんて、良い人……なのかしら?)
見た目がどうにも怪しくて、まだ信用ならない。
「ならば教えてくださいな。お嬢さんは何が食べられるんです?」
ニコニコと笑みを崩さずに、クラウンはそう聞いてくれる。
「……果実などなら。動物など生き物のお肉は食べられないの」
甘えてしまうのは悪いと思うのだけれど、折角の親切を断るのも申し訳ない。
けれど苦手なものはきちんと言っておかないと。
(特に今は身体が変化しているから、より一層気をつけないといけないわね)
心配してお腹を擦ると、クラウンが慌ててどこかへと行ってしまった。
そうしてすぐに戻ってきたのだが、手には毛布(というには難しい、ぶ厚い布)を持って戻って来る。
「気が利かずすみませんね。これで少しは体を温めてください。身重なんすよね?」
「なんでわかるの?」
今の行動でそこまで察するなんて、人と言うのはこんなにも鋭いものなのかしら。
「あっしは勘が鋭いんですよ。ではちいっとばっかし待っていて下さい。今食べ物を探してきますので」
そう言うとまた風のように去っていった。
「不思議な人ね」
そしてとても忙しない。
今のところずっと動きっぱなしで、その動きもとても大袈裟だ。落ち着きなんて感じられない
そして顔が真っ白なのもあって、素顔も表情も良くわからないから何を考えているのかもさっぱりだ。
「悪い人には思えないけれど、気をつけないと」
渡された毛布も何もない事を調べてから、使わせてもらう。
(何もないよりは助かるわ)
掛けているとだんだん体が温まり、気持ちも落ち着いて来る。
しばらく待っていると、クラウンの手には見たことのない果物が乗っていた。
赤く小さな果実で、宝石のように艶々している。
「この辺りに自生しているものですよ。こうして食べるんです」
皮も剥かずにそのまま口に入れ、そのままモグモグと食べる。
食べた様子から毒はなさそうだ。
わたくしもそれに倣い、一つ貰い口に入れた。
「甘い……」
仄かな甘みではあるけれど、瑞々しさもあって美味しい。
「お口に合って何よりです」
「このようなもの、食べたことがないわ」
わたくしは促されるままにもう一つと口にする。
「どんどん食べてください、あっしは別で食べる物がありやすので」
クラウンは取ってきた果実を全て渡してくれ、何やら鞄の中から取り出す。
「それは何?」
見た事もない食べ物だ。
「パンですよ。少し硬いけれど、食べてみます?」
「パン? それってもう少し白くて柔らかいものじゃないの?」
わたくしの知っているパンとは形も色も違う。
「あっし達みたいに金のない者にはこれが普通なんですよ。恐らくお嬢さんみたいな貴族様は、見た事がないかもしれませんねぇ。」
(貴族って何かしら)
そんな事を言えば人ではないと思われてしまうかもしれないと、口を噤む。
「それっぽちで足りるんです? お腹の子のためにも、もっと食べた方が良さそうですけどねぇ。良ければこれもいかがですか?」
とりあえず知らない食べ物を口にする気はないから、「果実でお腹がいっぱいだから」と断った。
クラウンが持って来てくれた果実でだいぶお腹は満たされた。そうなるとまた眠気が出て来る。
(けれどそんなに親しくない男性のいるところで眠るなんて)
さっきは知らなかったから眠れたけれど、今は違う。
知ってしまった今はどうしようかと悩んだ。出て行って、というのも失礼な気がするし。
「眠くなりましたか? ではあっしも自分の部屋に戻りやすので、ゆっくりしてください。あぁそうだ。鍵を掛けて休むんすよ、さっきみたいに開けっ放しは不用心でやすからね」
「ありがとう……」
何から何まで気にかけて貰えて、そして子どものように教えられる自分が恥ずかしい。
「また明日、朝食を届けがてら様子を見に来やすからね。そう言えばお名前は?」
そう言えばわたくし名乗りもしていなかったわ。クラウンは教えてくれたのに。
「わたくしはルナリアと言います」
「良い名前ですねぇ。ではルナリア様、お休みなさいませ」
そう言ってクラウンは頭を下げてドアを閉め、コツコツと足音高く歩いていく。
わたくしは言われたとおりに鍵を閉めて、横になった。
今度はクラウンから渡された毛布のおかげで、温かく眠れそうだ。
「見た目や言葉遣いはともかく、今のところ良い人そうね」
最初に魔物と思ってしまった事は黙っておく事にしよう。