「やっと空が見られた」
あれからあまり日を置かずにリーヴは約束を守ってくれた。
わたくしが食事をしない事や、お腹に子がいる事を考慮してくれたようだ。
そして部下と話しているのも聞いている。
(兄様が駆けつける事がないように予定を早めたそうね)
事前に知れば兄様も来ることになる、それが嫌だったようだ。
兄様には弱い、という事かしら。
少しがっかりはしたが、今はまず体調を整えないと。
「久しぶりの空気は気持ちいいわ……」
海中から見る空とは全然違う、風が心地良い。
懐かしさから胸いっぱいに息を吸い、柔らかな月光を体全体で浴びる。
いささか光が弱いように感じるけれど、天空界ではなく地上界だからかもしれない。
それでも海よりは気持ちが良いからあまり気にならない。
(出来れば天空界まで戻りたいけれど)
無理なのは承知でもそんな考えが頭を過る。
とにかく今は力を取り戻すのが優先だ。
「ルナリアがそこまで喜んでくれるなんて嬉しいです」
「とても気持ちが良いです。リーヴ様、ありがとうございます」
笑顔で御礼を言えば、リーヴも安心したように微笑む。
「顔に血の気が戻っていますね、これからは定期的に外に出るようにしましょうか」
付き添いで来てくれたササハもわたくしの元気そうな様子に安堵したようだ。
これからはもっと外に出る事を許してくれるかもしれない。
「折角だからお花を見たいですわ」
外に出られた解放感で、そんな事も頼んでみる。
海底界にも花は咲くのだけれど、天空界にあるものとは何か違うのだ。
「わかりました、今宵はあなたの望むままに。ただしあまり僕から離れてはいけませんよ」
「もちろんです」
リーヴの許可を得て皆で川を伝い、花を探す。
小さな花が咲いているのは見えるが、そこまで多くはない。
「暖かな気候だからもっと咲いているかと思ったのですけれど」
ソレイユから話を聞いていたからもっと沢山あると思っていたのに。
「少しだけ奥に行きますか。緑の多い場所にあると言いますので」
リーヴに手を引かれ、海を離れて大地を進んでいく。
やがて花々が沢山咲く場所を見つけた。
「綺麗……」
月光を浴びながら仄かに光る花々に、思わず目を奪われてしまう。
暫し時間を忘れ見惚れていたのだが、不意に気配を感じる。
木々の間に立ってこちらを見ていたのは、緑の髪に緑の目をした美しい女性であった。
纏う雰囲気がから、人ではなさそうだと感じた。
「こんばんは。あなた方はどなたです? ここは私が管理している土地なのですけれど」
リーヴがわたくしを下がらせ前に出る。
リーヴの部下やササハがわたくしの周囲に集まり、警戒態勢となった。
「失礼、あまりにも美しい花々が咲いていたので、皆で鑑賞させてもらっていたのです」
「まぁ、この素晴らしさが分かるのですか」
女性の表情が一気に変わる。
「こちらは私が心を込めて育ててきた花達なのです、そう言って頂けるととても嬉しいですわ」
にこにことした表情で、彼女は花の名前やらどんなところに気をつけて育ているのかを、語り出した。
その話ぶりは止まる事を知らず、リーヴもやや疲れた顔を見せ始める。
「そんなにも花が好きなのですね」
「はい、とっても!」
とても可愛らしい笑顔にわたくしもつい気が緩む。
「あなたは地上界の神様でしょうか?」
リーヴの隣に立ち、そう問いかけるとその女性は驚いた顔をする。
「えぇそうです。私はシェンヌと申します。あなた方も神ですよね、どちらからいらしたのでしょうか?」
花々を統べる女神、シェンヌは優しく微笑む。
「シェンヌ様。僕達は海底界から来たのです、今日は散歩をしに来たのですよ」
「そうなのですね。あの、あなたも海底界の神でしょうか? 一体どのような関係ですか?」
わたくしの事をまじまじと見つめるシェンヌの視線はやや怖い。
変わらず笑顔なんだけど、探るような、そして憎悪が隠れているような。
初めて会うはずなのだけれど……どこかで会ったことがあっただろうか。
「彼女は僕の妻だ」
「妻?」
その言葉に女性は柳眉を吊り上げる。
(もしかして、リーヴの事を好きなのかしら)
それならば譲っても別にいいのだけれど。
けれど、シェンヌの言葉は完全に予想外だった。
「どういうことなのですか。あなた、あんなに素敵な彼がいて」
「え?」
一体何の事だろう。
「あの、落ち着いて下さい。彼って、誰の事ですか?」
(まさか、ソレイユ?)
わたくしに近しい男性なんて、あとは彼しか考えられない。
もしかしてシェンヌはソレイユを知っているのだろうか。
「私はこんな身持ちの悪い女に劣ってるというの? すぐに男を乗り換えるような女に……こんな事なら引き留めれば良かった。なんて彼が可哀想なの」
「待ってください、話を――」
彼女は全く聞き入れてくれず、木々が揺れ始める。
「いつまでもあの人を捉えないで、自由にしてよ!」
「っ!」
突如として地面が隆起し、一斉に植物達が襲ってくる。
地割れまで起き、わたくしとリーヴは分断された。
「どうしてこんな事をするのです!」
リーヴがわたくしを守る為に近づこうとするが、近くの花々さえも敵となり、鋭い花弁のせいで阻まれる。
「だってあの人の匂いがするのだもの」
(匂い?)
一体何の事か見当がつかない、でもお腹の子は守らなければ。
力を使い、何とか攻撃を防ぐ。
「ちっ、小賢しい。このまま森の奥に引き摺って八つ裂きにしてやる」
それを聞いて閃いた。
この状況を利用すれば逃げられると。