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第19話 天狗

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 ──よくやった。そら、餞別だ

 そう言うと育ての父である老天狗から綺羅綺羅光るそれ──バケツ(と言うらしい)を託された。

 気が付いたら天狗になっていた。

 正確には懸命に修行をして天狗になれたのだけれども、そもそも何故自分が天狗になろうとしたのかが思い出せない。

 連れてこられたのは確かだが、攫われたわけではなく自ら望んだ事だということは憶えている。

 今日、私はついに修行を終え一人前の天狗として巣別れをする。

 その為のバケツというワケだ。

 このバケツはなんでも「天狗が天狗である証」であるらしい。

 卒業証明書かわりのモノ。

 議員バッチや弁護士のバッチに近いモノかもしれない。

 やや嵩張るが、普段は寝床に置いて置けば良いだろう。

 もし、いつか私が弟子をとる事になれば、その時に引き継げばいい。

 天狗の隠れ蓑よりも羽扇よりも大切なモノなのだそうだ。

 覗き込んでみると遠眼鏡の如く千里先も景色も見渡せる。

 活動写真のように目の前に全く違う世界が広がるのは愉快だし、ゴマ粒ほどの蟻や虫けらの顔が鬼のようになって間近に迫る様は自分がたとえ天狗であろうと怖ろしく感じる。

 そうしてつい色々なモノを見てみたくなる。 

 ──が、二つだけ覗いて見てはいけないと言われたものがある。


 お天道様とお月様だ。


 お天道様を見てはいけないのは炎が何倍にもなって返ってきてまなこも辺り一面の野も原も焼き払うからだ。

 私は両の目から炎と黒煙があがる姿を思い描き、ゾッとする。

 そう云い伝えられて来たと云う事はすなわち実際にその様な目に遭った天狗ないし人が居るということだ。

 眼が焼かれるのは恐ろしいが、あたり一面焼き尽くすというあたり、先の戦争を思い出し、やはり身の毛がよだつ。


 もう一方、お月様──特に満月を見てはいけないのは同じ月を見ている誰かの頭の中、心の中までのぞき込めてしまうからだそうだ。


 はて。「誰か」というのはどこの誰なのだろう。


 私は孤独に修行に耐えた身である。

 同じ年頃の天狗も人間も知らない。

 いや、老天狗たち以外の知り合いは居ない。

 これから人里に降りる前に、人の心や頭を覗いて見れる事、知っておく事は大層魅力的に感じた。

 近しく感じれる頭──「脳」の持ち主が居たら、逢いに行くのも手かもしれない。


 今宵は満月である。


 逢いたいな。


 見えてしまったとして、まなこが焼け落ちるわけではないのなら──……。


 キィ……。とバケツの金具がうら寂し気に鳴る。


 私はバケツを掲げると丸く切り取られた夜空からお月様を見上げた。


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