──脳先生。
私のような人間は『脳先生』と呼ばれているらしかった。
「こんにちは。楽しそうですね。何のお話ですか?」
「!」
──この声は小柳くんである。
ご婦人たちのおしゃべりがピタリと止んだ。
空気が揺れて、クスクス。ふふふ。というまるで乙女のような囁きが交わされるのが伝わってきた。
「こんにちは。え、ええ。最近、東雲先生の新しい作品が読めなくて淋しいという話をしていたんですの」
「そうなんです。私たち、先生の作品が大好きで……」
「やあ、それは嬉しいなぁ。私は東雲先生の担当編集者なんです。今、先生に弊社で長編をお願いしているのです。構想や調べ物にとても時間がかかるので、しばらく細々したお仕事は控えていただいているのですよ」
「まぁ、それは素敵ですわねぇ」
「先生のお著作はどれも空想的というか、幻想的というか……」
「そうですわねぇ。非現実的な事を見てきたかのようにすらすらと書かれていて凄いですわよねぇ」
──御婦人方に品が生まれた上に、言葉づかいまで変わっている。なるほど、これが美男子の威力というやつか。
そう、小柳くんは、骨格こそ華奢であるものの、日本人にしては彫りの深い顔立ちをしていて姿勢も良く、いつも重量がかかっていないかのような軽やかな足取りで、キリリとした口元はさながらキネマ俳優のようである。
一方で栗色に柔らかに波うつ癖毛や、キメの細やかな肌、長いまつ毛は少女雑誌から抜け出して来たような容貌で、非常に中性的な魅力のある人物だ。
頃合いを見て、玄関を出る。
「小柳君、遅いから迷子にでもなったのかと思って心配したよ」
「ああ、先生。こちらのご婦人方、先生の愛読者らしいです」
「それはどうも有り難うございます」
僕はいつものトークショウの御礼も兼ねて、慇懃に頭を下げる。
「い、いえ……そんな。滅相な。それでは私たちはこれで」
「私も。御夕飯の支度がございますの」
「それではごきげんよう」
──ごきげんよう。ときたもんだ!
僕は笑いを噛み殺すのに必死である。
そこへ丁度タエさんも帰ってきた。
「あれ? 先生、珍しい。お客様ですか? それでお茶菓子がご入り用だったんですね。今日は駅前の和菓子屋さんで浪子饅頭を買って参りました」
「ああ、タエさんは初めてだったね。こちら飛翔社の編集者の小柳君だよ。小柳君、ウチの家政婦のタエさん」
「初めまして。小柳と申します」
小柳君の顔を見て、タエさんが頬を染める。
おや。
「い、いますぐお茶とお茶菓子をお持ちしますので、どうぞお上がり下さい……!」
「ちょっと大事な話をするんだ。後で客間にお通しするから、その時お願いするよ」
「は、はい……!」
いつもさほど表情の変わらぬタエさんまでもが、乙女のようにはにかむ。
小柳君大人気である。