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「タエさん、タエさん、東雲先生は最近どんな作品を書いていらっしゃるの?」
「そう云えば毎日まいにち文机に向かっていらっしゃいますが、ずいぶん長い間、編集の方がお見えになっていらっしゃいませんね。私の買い出しと入れ違いでいらしているのかもしれませんが……」
「ああ、それっぽい人、お宅の玄関先で何度か見かけたことあるわ」
「えっ。本当ですか……! 私ったらお茶もお出ししていない。お客様がおみえなら、先生も仰って下さればいいのに」
「そんなの大丈夫よ。仕事ならそのうちまた来るでしょ」
「それで、何を書いているの?」
「さぁ、何を書いていらっしゃるのかしら……?」
「えっ。家政婦なのに知らないの?」
「も、申し訳ありません……」
「じゃあ、何か変わった事とかあった?」
「そうですねぇ。そう云えば。最近は金魚鉢がお気に入りなようですが、よくわかりません」
「金魚じゃなくて金魚鉢?」
「はい。水は張っているのですが
「えっ? 空の金魚鉢に話しかけているの?」
「はい。書斎には立ち入ってはいけないと云われているので、遠目からしか見ておりませんが……よくご冗談で『人魚がいる』と仰っています。でも、とても大事になさっているので、もしかしたらメダカやオタマジャクシとか小さくて目立たないものを飼われているのかもしれませんが──ああ、すみません。今日は急いでお茶菓子を買いに行かなくてはならないので、これで失礼致します」
「聞いた?」
「聞いたわ」
「気味が悪いわね」
「ふぅん。『人魚屋敷』って呼ばれているとは聞いたことがあるけれど」
「そういう意味だったのね」
「金魚屋敷じゃなくて
「ウチの旦那がさ、賢ぶって雑誌なんかを買ってくるんだけれどもね」
「──あはは。カストリ雑誌じゃなくて?」
「違うよ。アレでも高等学校出てんだから、うちのは」
「それで何さ」
「東雲先生のはもう一年近く載ってないって云っていたさね」
「はぁ。それで生活していけるんだから物書きの先生は凄いねぇ」
「いやいや。東雲先生はさ、ご両親を亡くされててさ遺産をたんまりと相続されてるって話だよ」
「そう云えば先生はさ、奥さんも早くに亡くされたけれど、お母さんにあたる人もね、お若いウチに亡くなって。それがさ、やっぱり普通の死に方じゃなかったらしくてさ」
「ああ、ずいぶん前だけれど、医者である父親がさ、自分の母親を殺したって噂になったね」
「そうなの?」
「そうだよ、だって坊っちゃん──東雲先生の様子がおかしくなったのもその頃からじゃない?」
「ええ? それは奥さんを亡くしてからじゃなかったかしら?」
「そうだっけ?」
「そうよ」
「ややこしいねぇ。まったく」
「ほんと、とんだ脳先生だ」