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第3話 青木タエ

 僕の家の玄関は東向きにある。

 そのため西側の商店街へと向かう道に出るには左、左へと折れて北側を通るか、右、右へと折れて南側を通るしかないのだが、南側には僕の書斎があり、そして噂好きのご近所のご婦人たちも往々にしてそちら側でタエさんを待ちかまえている。

 タエさんというのは僕の家の家政婦で、十九になる遠縁の娘だ。

 紹介してくれた親戚によると、少しぼっとしていてそそっかしい所があるという話だった。 

 そのせいか勤め先を次々とクビになり、僕の家に流れ着いた。

 しかしながら、僕の見立てによると決してそんな事はなく、寧ろ彼女はとても仕事の出来るしっかり者だった。

 おそらく「ぼっとしている」と云うのは僕と理由は違えど、現実とは異なる世界に片足を踏み入れているからであろう。

 彼女、青木タエさんはこの家に初めて挨拶に来たときに

「こちらのお宅は椿の木に守られておりますね。今回は安心してお勤め出来そうです」

などと云った。

 なるほど我が家の周りはぐるりと椿の木の生け垣で囲まれている。

 タエさんが云うように確かに椿の木には様々な伝承がある。「神の依代よりしろ」とも、「邪気払いに使われる」とも、古く日本書紀では椿の木で槌を作り、土蜘蛛を退治したとも記されているが、十九の娘が初対面で挨拶もそこそこにそんな事を云うのが妙におかしく、世間では変わり者扱いをされている僕とは気が合いそうで、思わず口元がほころんだ。


 なんでもタエさんはこの世ならざるものが時折視えてしまうという事だ。


 それにより、以前の勤め先では幽霊に驚いて、思わず皿を取り落として割ってしまったり、天井から垂れ下がる生首などに気をとられ、仕事中にぼんやりしていると云われたり、明け方に金縛りに遭って起き上がれないでいるのを「いつまでも寝ている怠け者」とそしられたり──と、あらぬ疑いをかけられクビになってしまったそうだ。

『安心してお勤め』と云う事は、我が家に狐狸妖怪こりようかいの類いは出ないから今までの様な失敗もしないと云うことか。大した自信である。

 それに陰がなく、溌剌としている所が頼もしい。

 なるほど、こうした裏表のない娘なら、よい距離感でやっていけそうだと思ったものだ。

 しかしながら、変わり者という点においてはタエさんより僕の方がはるかに勝っていたようで、今やタエさんは僕よりもずっとにご近所とうまくやっているようだ。

 それが証拠に此処ここに来たばかりの時よりも随分と表情が明るくなった。

 ご近所の御婦人方と比べると年若いので、未だ特定の友人と呼べる人は居ないようだけれども、それでも僕のように話し相手がうち内の人魚だけというよりマシであろう。

 人魚が僕と現実を繋ぐ蜘蛛の糸だとすれば、さしずめタエさんは世間と僕とを繋ぐ蜘蛛の糸である。

 僕なりに彼女に恩義を感じているのだ。

 最近は世間様を繋ぐ糸に小柳くんも加わり、より強固なモノとなった気がする。最もそれは僕が彼の依頼に応える事が出来なければ、ぷつん。と切れてしまう類のモノだけれども、仏様の慈悲が二本となると、何かと心丈夫こころじょうぶである。


 気持ち的には亡者カンダタは当方だと云うのに揃って僕のことを「先生」「先生」と慕って持ち上げてくれるのだから、益々申し訳なく、有り難い。

 期待に応えられる様、精進せねばならぬ。

 ……と、心持ちだけは一人前だ。

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