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187.閑話・今を生きる者、夢で生きる者、空想に在る者

 東京都内。国立国際医療大学付属病院。

 ここは世界各国の医療技術が集まる病院であり、昨今のVR技術の発展に伴いその分野の研究が盛んに行われている大学でもある。

 かつては海外に渡航しなければ受けられなかった手術も、法改正が進んだ現代ではより確実な術式で治療できるようになった。


 それでも、未知の病気というものは必ずある。

 榊谷グループを取り纏める社長夫妻の一人娘もまた、前例の無い未知の病気によってこの施設に入院していた。


「――先生。娘は、潤憂の容態は……?」


 医療用としての側面が大きかったフルダイブ型VRに目をつけ、かつての空想を現実に昇華させるきっかけとなった榊谷テクノロジーの社長、榊谷和馬は、その順風満帆な経歴からは想像できないほどやつれた様子で問い掛ける。

 相手はこの病院に勤める医師だ。


「……申し上げにくいのですが、やはり延命するのが精一杯で。私共もどう治療すればいいかさっぱり……」


 彼もまた、輝かしい経歴を持つ人間である。

 医術の天才と称されるほどの非凡な才能に、歩く図書館に比喩されるほど膨大な知識量。難病の患者を救ってきた腕前はしかし、未知の病気を患った少女を延命させるので精一杯だった。


 榊谷潤憂という人間が生まれて三年、突如として発症した原因不明の病。原因も過程も何もかもが不明すぎて特定出来ず、辛く厳しい結果だけが現実として存在している。


「可能な限り手を尽くしてはいますが……」


 口を閉ざし、静かに顔を振る。

 榊谷和馬は震える声で「そう、ですか……」とだけ零し、力なく窓にもたれかかった。


 窓の先、無菌を保つために何重もの壁によって隔れた治療室には、彼の娘が枯れ木のような姿で横になっている。

 もう何年も言葉を交わしていない。それどころか触れることすら出来ていない。

 彼女はずっと仮想空間に閉じ籠もって外部を――現実を見ないようにしているのだから。


 せめてもの救いは、脳は正常な状態で活動していることだった。仮想空間の中でなら、潤憂は健常者のように思考し活動できる。仮想空間の中でなら何でも出来る。

 歌を歌うことも、ダンスをすることも、アクロバティックな体操だって可能だ。不自由しないように与えられる全てを与えて……ゲームという逃避先を見つけた。


 彼女はゲームの中でなら現実を忘れられる。ただ一人の人間として、ありきたりな幸せを享受できる。

 その、ほんの小さな、慰めのような希望に縋って、榊谷和馬は多額の資金をこの施設に投じているのだ。


「あなた……」

「せめて……せめて、この手で、抱きしめてあげられたなら……」


 実年齢より一回りも二回りも老けて見える夫妻は、枯れてもなお流れる涙を、堪えることが出来なかった。


 ♢


『……我が冥府に何用だ。外なる神よ』

「さすが混沌の最高神。化身を構築した瞬間察知されるとは」


 フェイス・ゴッド・オンライン内部の、冥府と呼ばれる場所にて。ある存在が冥府の神に謁見していた。


「でも、外なる神は私たちを表す言葉として適切じゃあない。ぜひ、と呼んでいただきたいものだね」


 その人物は自らを管理者と呼ぶよう言った。

 どこにでも売っているようなスーツの上から渋紙色のコートを羽織り、道化然とした立ち居振る舞いで彼女は回る。


「それにしても寂しい場所だねぇ。暗くって、寒くって、何もありゃしない。あ、死後の世界だから当然か! あっはっは!」

『……何用だ、と訊いた。我が冥府に無断で立ち入った挙げ句、問いにすら答えぬのならば――』

「暗き死を与えよう! とでも言うつもりかな?」 


 ぴたり、と不自然な姿勢で止まり、彼女は煽るような視線を向けた。


「君たちの仕様について、私たちはよぉく知っているからね。次に何を言うのかぐらい、簡単に当てられるとも」


 その発言に〝暗き死にして冥府の神〟は眉を顰めた。

 言おうとした言葉に間違いはない。しかし、言い当てられたという事実は、これまでの全てを観測されていたという証明になる。


「さてさてさてさて……つまらない話で場を繋ぐのも面倒だ。先に自己紹介でも――」


 ぴょんっと飛びはね姿勢を正し、シータは嘲るような態度を崩さずに両腕を高らかに広げた。

 しかし、そこから先の行動を許すほど、神は寛大ではない。


『……神とはいえ、比較すらできぬほど脆弱であったか』


 暗き死を与えられたのだ。ただ力強く見つめるだけで、生かすか殺すかを定める権能。その一端を。


 ……しかし、彼女は死なない。殺せない。殺しようがない。

 死体のそばに女の姿があった。死体と全く同じ、寸分違わぬ容姿の女性だ。

 彼女は高らかに腕を広げ、うっとりするような声色で静かに云う。


「私は人を愛玩する神だ。その愛を、命を、人生を弄び、踏みにじり、悦に浸る邪悪な神だ」

『……何が言いたい』

「人の一生は短い。けれど、その須臾のような瞬く間に過ぎ去る人生には、とろりと濃密なエピソードがつまっている。私はそれら全てを眺めたい、見つめたい、観測したい、愛撫したい、弄びたい、踏みにじりたい、抱きしめたい、しゃぶりたい、貪りたい、潰したい、包みたい、嘲笑いたい、殺したい、生かしたい、蔑みたい、憐れみたい、救いたい、心の底から存っっっっ分に愛したい! でも、それじゃあ私が足りないから、私自身を分割して同時に愉しむことにしたんだ」


 一歩踏み出す。踏み出したシータと、踏み出さなかったシータに別れる。

 二歩踏み出す。また踏み出したシータと、今度は踏み出さなかったシータが増える。

 三歩踏み出す。またまた踏み出したシータと、三歩目は躊躇したシータが現れる。


「「「「私は人間という生き物を愛している。愚かしくも賢しい、この儚い生命体を」」」」


 異口同音で、全く同じ姿の人物が喋った。


「――だから、人間が存続できない未来に興味は無いんだ。私は人間を愛玩したいから、勝手に滅亡されると困る。この集まりに加わったのもそれが理由だ」


 再び一人に戻り、彼女は大袈裟で慇懃無礼な態度で自己紹介をする。


αアルファから始まりωオメガで終わる二四人の管理者。その一席を占有するのが、化身の権能を有するこの私……〝愛玩神〟のθシータだ。さて、そんな私から一つ、話があるのだけれど――」


 他人を見下すような笑みでシータは云う。




 ――ああ、お見せするのはここまでだ。第三者読者諸君にここから先の会話は教えないよ。舞台裏の一幕よりも、主役の物語人生シータと一緒に眺めようじゃないか。そのほうが、君たちも愉しいだろう?

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