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185.デルタスケール・ソフトウェア

「――驚嘆。これもクリアしましたか」


 管理者のみが入室できる秘密の空間。要観察対象であるレギオンと、その主であるセナの様子を見て、デルタは素直に驚いた。

 あれは一人でクリアできるような内容ではなかったからだ。


「ふふ、愉快。幾つかのフラグを無視した甲斐がありました。一部想定外の挙動はありましたが、アレは条件の一つが使徒であることなので大丈夫でしょう。レギオンも順調に育っているようでなにより……」


 喜びを体現するように、ぐにゃり、ぐにゃりと触手が蠢く。

 セナがクリアしたクエストは本来、今の時点では発生するはずの無いものだった。前提となるフラグが立っていないこれを管理者権限で発生させたのは、実益を兼ねたデルタの趣味である。


 どっちに転んでも利益があると判断したからこそ、デルタはセナに無茶苦茶な試練を与えたのだ。

 乗り越えられるのならば良し。乗り越えられずとも、他のプレイヤーへの試練となるのでそれも良し。


「――あっちの私から伝令。χカイが代替わりしたってさ」

「思案。前回より七年ほど早いですね」

「優秀らしいよ? まぁ、私らには関係ない事柄だけどさぁ!」


 いつものようにふらっとこの空間に立ち寄ったシータは、何が面白いのかデルタの座る椅子の背もたれを叩いて笑った。


「人間のくせによくやるねぇ、ほんと」

「当然。χを継承できたことが、人の身に余る才を有していた証拠でしょう。只人がこちら側に来ることはありえません」


 それは、人外だからこそ出る感想。人間は優れた人物に対して超人的なと比喩することはあれど、人の身に余る才と呼称することは滅多にない。


「ところでぇ、それ、私知らないんだけどぉ? デルタちゃぁん、もしかして趣味に走ったぁ?」


 ニタニタと嫌らしい笑みを浮かべデルタを煽るシータ。

 視線の先にはデルタが管理者権限で発生させたクエストとその顛末が映し出されている。


「反論。趣味に走ったのは貴女でしょう。悪辣な設定を付加するのは構いませんが、やりすぎれば計画が台無しになると注意したはずです」

「……うん?」


 モニターの最前面に討滅された眷属の設定を呼び出し、デルタは白と黒が逆転した瞳でシータを見つめる。静かな怒りがそこに宿っていた。


 制限皆無であらゆる物質から即座に生きた彫像を作成、使役する存在なんて、弱体化させなければ厄介に過ぎる。しかも、鑿は魂にも干渉できるから生者に当てればその魂を削り取り、冥府からは死者の魂すら引きずり出せてしまう。むしろ、僅かにでも魂が残っていれば本人と寸分違わぬ性能の彫像を何体でも製作できるのだから、これを討伐した当時のNPCを褒めたいぐらいだ。

 超々々広域制圧。それを構成する彫像の一つ一つが英雄級なんて、地獄が生ぬるく感じるレベルだろう。


「ああ、これか。〝魔王アポカリプス〟と比べたらマシなほうじゃない? 【確乎不動のベヘモット】がいるんだしさぁ。……ま、アレはバグって引きこもっちゃったけど」

「唾棄。全て貴女の手掛けた邪神陣営が原因でしょう。〝天竜王〟があのいざこざで逝去し、〝海竜王〟を封じる羽目になったのを忘れたのですか? 貴重な疑似神格を一柱無駄に消費したことは忘れていませんよ」

「消費ではなく淘汰と言って欲しいなぁ、私は。それにまだ〝地竜王〟が残ってる。引きこもってるとはいえ、信仰を得れば神の座を引き継げるはずさ。まあ、現時点で可能性は皆無だけど! あっはっは!」

「…………はぁ」


 怒りを向けられてもどこ吹く風で、シータは面白おかしく笑い転げている。

 なんの罰にもならないが、デルタは本体の触手で彼女を捕らえ、雑巾を絞るようにぎゅっと捻り殺した。隙間から潰れた臓腑と肉と血が飛び散るが、仮想空間上のアバターなので壊しても再構築すればいいだけだし、たとえ現実でも彼女を殺害するのは不可能だと分かっているので、触手を巻き付けることに躊躇いがあるはずも無い。


「酷いことするねぇ、海月女」

「侮蔑。煽るから痛めつけただけです」


 事実、彼女は嗤いながら次の体を生み出した。

 脳を掻き混ぜようと、心臓を潰そうと、核を壊そうと、シータは死なない。〝愛玩神〟の座も彼女の性格に合致しただけで本質ではない。

 有にして無。という矛盾の塊。生命かどうかすら怪しい女がシータという存在なのだ。


「あ、そうそう、σシグマは死んだらしいよ。権能は現地人に譲ったって。いやぁ、死が存在しない世界で死ぬなんて素晴らしい経験だねぇ! ノーベル賞あげてもいいんじゃない? それともダーウィン賞かな?」

「……」

「ところで、君に死という概念はあるのかな? δデルタ?」

「逆問。〝試練神〟の権能を失ってもいいのなら証明しますが、そこまでして知りたいですか?」


 ぴたり、と静謐が訪れる。


「…………やめだ。さすがにそれを放棄させるほど、私も無責任じゃあない。進化の権能が失われたら、我々の計画が全てぱーだからね」


 つまらなさそうな顔でシータが言う。


「――だ・か・ら、こんなつまらないことより、愉しい話をしよう!」

小声こえ。最初に話し始めたのはそちらでしょうに……」


 さも自分は悪くないと言わんばかりの身振りで、シータは画面を切り替えた。それはサーバーの稼働状況を示すものであり、現在稼働中の日本サーバー以外の全てが暗転している。


「海外サーバーの準備が整った。負荷軽減のシステムも新しく組んだし、新規プレイヤーを三〇〇〇万は迎えられる。電脳ウイルスもクラッキングも全て対処済みで、軍関係者を招待する手筈も整えてあるよ」

「確認。しつこい企業が幾つかあったはずですが」

「それなら逆クラッキングで機密データを流出させたから、こっちに構ってられないと思うよ? いやー、違法なプラグラムでクラッキングを、それも設立当初から常習してたなんて世間に知られたら破産なんてレベルじゃないよねぇ! 株も大暴落! 投資者みーんな大損で大草原!」


 暗転しているサーバーはアジア、ヨーロッパ、北米、南米、オーストラリアの五箇所だけだが、それらに繋がる予備サーバーが世界各国に一つずつ用意されている。

 日本サーバーへの接続もすでに完了しているらしく、あとは大々的な告知をして開通させるだけだ。


「……戒飭かいちょく。念を押しますが、現地協力者は絶対に巻き込まないように。会社が潰れたら神格を顕現させるどころじゃないので」

「それは当然。堕落しそうなぐらいあまーい蜜をたっぷり吸わせてるとも。……そういや彼らから働き過ぎだって苦情来てたけど、どうする? もう少し仕事を割り振ってあげるかい?」

「愚問。現状維持で十分です。今でも働かせすぎなぐらいですよ」


 根幹となる箱庭は自分たちデルタとシータが作ったとはいえ、プログラマー現地協力者たちがいなければここまで早く完成させられなかったし、商業展開もスムーズではなかったはずだ。

 一般に公開できるような業務は彼らに一任しているし、掲示板の監視はシフト制で回しているため少し大変だが、それも法律が定める労働時間を超過しないようにしている。


 デルタたちの目的は疑似神格を活性化させ、現実世界に顕現させること。それを為すためには、箱庭に本物の魂を有した人間を招き入れ、形而上的エネルギーである信仰を集める必要がある。

 そしてこれは、箱庭を運営する会社があって初めて成り立つ計画だ。倒産したら元も子もない。


「確認。データの引っ越しはどの程度進んでいますか?」

「ほぼ一〇〇パー。技術スタッフが採算度外視で組んだ新型機のお陰でシャットダウンする必要すら無いよ。私らの本体を移動させる手間も省けるってわけだ」

「了承。であればそのまま告知も打ってください。時間もちょうどいいでしょう」


 そう告げると、シータは仮想空間から浮上して現実空間に移動した。デルタもあとから現実空間に向かうが、定時を過ぎればこちらに戻ってくるつもりでいる。

 神格の様子を確認する必要があるからだ。これはデルタにしか出来ない仕事であり、邪神陣営の活動を調整するシータには任せられない。


 ――時刻は日本標準時で夜の六時。公式アカウントからは『国内での接続に設けていた人数制限を撤廃しての全国展開及び、海外からの接続を一部開放することによる新規プレイヤー受け入れ開始』という情報が発表された。

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