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第13話 天使と悪魔

「……さっきとは別人だわ」


 掛け値なしの本音が私の唇からこぼれてきた。


「君の背中に羽が見えるよ。やっぱり君は地上に舞い降りた天使だね」


 マナトさんはそう言ってにっこり笑う。

 気障なセリフ。でも彼が言うと板についていて……あっけなく心臓がドキドキする。


「対する俺は天使を陥落させる悪魔かな」


 マナトさんは少し私から距離をとると、顎を引き気味にしてポーズを取った。


「神様が作った完全体。それが俺だ。今日も鏡を見て思ったよ。お父さんお母さん、素晴らしいDNAをありがとうって」


 大げさに両手を広げると、挑戦的な眼差しで私を見る。

 自信たっぷりなその声と端正な顔……そして表情から、私は目が離せない。


「ええ。その通りです!」


 私はぶんぶんと首を縦に振った。


「ありがとう。でもさ、もう、それだけじゃ満足できない。俺はその武器を使って全力で欲しいものをとりにいく。ねえ、少しはドキドキしてる?」


 ひたむきで綺麗な目が、まっすぐに私を見つめていて、私の背中にゾクゾクと電流が走る。


「はい。そりゃもう……」


 正直に私は頷いた。

 全身から放たれる特別なオーラから、私は目が離せない。

 なんて、美しい人なんだろう。

 表面だけじゃない。魂の熱さが、体全体からにじみ出ている。

 文字通りの完全体だ。


「……まだまだだな。まあ、時間はたっぷりある。俺はこの先の人生をかけて、君の心を揺らすことに全力を尽くすよ」


 真摯に見える目が私を真っすぐに見つめていて……。

 勘違いしそうになってしまう。

 彼が欲しがっているのは、もしかして、私かも、なんて。


 うぬぼれを振り切るために話題を変えた。


「あ、そうだ。マナトさん、あれから私、オズの魔法使いを読みました。そしたら、大変な事がわかったんです。ブリキの木こりって、最初から優しかったんです。ただそれを知らなかっただけ。だから、お母さまは見抜いてたんですよ。マナトさんが、誰よりも優しい人だって事」


 私はそう言って胸を張る。


「へえ。マジか」


 マナトさんは驚いたようだった。


「つまり、マナトさんは文字通りの完全体なんです。外付けパーツなんて必要ないの」

「はははっ。そうか。だよな。確かに」


 マナトさんは嬉しそうに空を見上げた。


「ありがとう。誤解が解けてよかったよ。ずっと、喉に刺さった小骨みたいに、気になってたんだ。親に言われた事って、呪いになるよね」

「ええ。わかります。でも、お母さんがくれたのは、呪いじゃなくて、希望だったんです」

「うん。そりゃそうだ。だって、五十嵐マナトは完璧だから」

「ふふっ」


 得意満面な私を見て、マナトさんはにやりと笑う。


「それにしても、わざわざ読んでくれたんだ。愛を感じるなあ」


 愛!


 ドキン、と心臓が跳ね上がる。


「思ったより、みかりんの胸に、俺って刺さってんのかもしれないなあ」

「え、ええ。マナトさんは大好きですよ」

「そういう、色気のない『好き』はいらないの。なんで読もうと思ったの? 俺の事が知りたくて?」

「そ、それは、そうだけど……別に、特別な意味ではなくて」

「特別、って、どんな特別?」

「だから、そういうのじゃありません」

「わかってるよ。俺を励ましたかったんでしょ。優しいね。みかりん」


 柔和な笑顔に、勝てないなあ、と地道に思う。

 私をからかって、色々質問を繰り出すけれど、結局最初から私の意図なんて読み取っているのだ。


「はい……」


 頬を染めながら私は頷く。


「もし、万が一、偶然どこかで会ったら……絶対に言おうと決めていました。 優しい人が間違った解釈で苦しむ世界なんて間違っていると思うから」

「あーーーーーっ。みかりんは最高だなあ」


 突然マナトさんはそんな事を言った。


「一緒にいると、何でもできる気がする。空すら飛べるんじゃないかなって。無敵になった気がするんだ」


 そして私にこう告げる。


「ずっと俺の隣にいてほしい。目が覚めた時から、眠る直前までずっと……もう、君を手放せない」

「えっ?!」


 私の笑顔が硬直する。

 朝から晩まで一緒に、って……それはまさか。


 イガさんの提案が、また復活したのだとしたら。


 バーでは全く感じなかった喜びと期待が胸を熱くさせ、私は思わず両目を見開いた。

 マナトさんは、ふっと笑い、耳朶に唇を寄せてきた。


「ってことで、君を五十嵐商事社長秘書に任命する」

「え……?」


 私の目は多分点になっていたと思う。


「ひしょ……って」

「避暑地の避暑じゃないよ。なんか発音があやしいけど」

「ち、違うんですね」


 マナトさんは姿勢を正してこう言った。


「俺さ、会社を継ぐことにした」

「え?」

「自分なりのトップを目指すよ。初仕事が君のスカウトだ。これ以上に重要任務はないからな」


 私はごくりと唾をのむ。


「決意したんですね。でも、どうして」

「君に会って気が付いたんだ。大切なのは何をして生きるかじゃなくて、誰と生きるかが大切ってことを」


 真摯な目が私を真っすぐに見つめている。


「君と一緒にいられたら、絶対にいい社長になれる。やっぱり君は優秀な外付けパーツだ。手放せない。だから、力を貸してくれる?」


 殺傷能力の高い上目遣いで見つめられ、心臓があり得ないほど大きく跳ねる。

 私が石ならこの人はダイヤモンドで。

 私が夜道ならこの人は太陽で。

 そんな眩しい人を特等席で見られるの?

 こんな夢のような事が起きるなんて。

 たとえ相応しい能力がなかったとしても、断る選択肢はないと思った。


「私でいいんですか……」


 とぎれとぎれにそう言うと、


「君がいいんだ」


 右腕がぐっと引き寄せられ、次の瞬間、私は彼に抱きしめられていた。


「マナトさんっ!」


 恥ずかしさに両手を突っ張って押しのけようとするが、彼の鼓動が、尋常じゃないほど高鳴っていることに気が付く。


「……あ」


「すごいだろ。心臓の音」

「……マナトさんでも……怖いの……?」

「……バカだな。君が近くにいるから、だよ」


 きゅん、と胸がせつなく震える。

 私はおずおずと彼の背中に両手を回した。


◇ ◇ ◇


 それから私はマナトさんの車に乗った。


「あの、ところで今からどこへ?」

「うーんとね。ホテルで記者会見」

「なるほどホテルで……記者会見?!?!?!?!」


 驚きのあまり声が裏返る。


「社長が変わるからさ。お披露目しなきゃなんないでしょ」

「ええっ。どうしましょう。なんだかドキドキしてきました……」


 さっきは流れで請け負ってしまったけれど、間違いだったかも。

 不安が頭をもたげてきた。


「私に秘書なんて勤まるんでしょうか……」

「俺がバシバシしごくから大丈夫」


 運転席でマナトさんは微笑む。


「それにさ、俺が見てないと、君、絶対誰かに搾取されるしね。コンビニでも色々押し付けられてただろ」

「そんな……って言うか、何で知ってるんですか!?」

「五十嵐グループに調べられないことは何もないんだよ」


 マジですか。怖い。


「ちなみにもうコンビニは行かなくていいよ。さっき退職届け出しといたから」

「えっ……!? そんな勝手に……! あっ! もしかして、職安に手を回したりしてません? 私がバイト以外できないように」

「ふふっ」


 悪魔みたいな笑みが、答えだった。

 私の体から一気に力が抜けていく。


「本当に私に勤まるんでしょうか」


 別な意味で不安になってきた。


「君が何と言おうと、手放さない。拒否権はなしだ」


 マナトさんはそう言って、くくっと笑った。

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