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第11話 思いがけない人

 その日、私は食後のコーヒーを飲みながら明子と談笑していた。

 と、突然スマホが震える。

 画面を見ると……


「えっ! 嘘。お兄ちゃん?!」


 ゆうに二年ぶりの連絡である。

 震える指で接続マークをタップ。

 借金取りに捕まって大変なことになってたら……嫌な予感が頭をよぎる。


「もしもしっ!?」


 声まで細かく震えていた。そりゃそうだ。心配だもの。

 それなのに。


「やっほー、みかり」


 なんだ、このノリは。

 流石の私にも殺意が芽生えた。


「……今までどこで何をしてたの!?」


 イラつきを覚えながら問いかければ予想外の返答が返ってきた。


「ハワイでウクレレの店やってた」

「え????」

「借金、正直知らなかったんだよ。失踪するつもりなんてなくて、単純にミス。とりあえず全額返すことにした。お前には随分迷惑かけたみたいでごめんな。まあ、そのうち何とかするから」

「えええええ?!」


 想像を裏切る展開に私の膝から力が抜ける。


「って言うか……全額なんて返せるの? 四百万に利息も結構ついてるよね」

「実はお金を貸してくれた人がいるんだ」

「はあああああ?」


 私のこめかみには多分怒りマークが浮かんでいたと思う。


「借りる先を次々に変えていくだけの自転車操業じゃないでしょうね!!!! だとしたらアホなのと言わせてもらうわよ!」

「違う違う。ちゃんとした人。それに言ったろ。ミスだって。せいぜい二百万くらい、かな」

「大金じゃない!! 身内以外の誰が貸してくれるのよ! 言って!」

「うーん。口止めされてるんだけどさ。無理だわ。俺、口が軽いもん。ペラペラだもん。こんな秘密、もともと抱えておけないわ」


 一瞬の沈黙の後、兄は言った。


「金を貸してくれたのは五十嵐マナトって人だよ」


 え……?

 思いもよらない名前に、私の心臓は大きく動く。

 通話口の声が一気にウキウキしたものへと変化した。


「お前ってさー、凄い人と付き合ってんのな。五十嵐商事の御曹司だって? やばいよな」

「マナトさんが? どうやってお兄ちゃんの番号を? 私教えてないんだけど!」

「なんか、五十嵐家の力をもってすれば、どんな事でもつきとめられるって言ってたよ。すげーよな」


 なんだ、この軽さ。

 これだからチャラ男は!


「最初は新手の詐欺かなーとか思ってたんだけどさ。ダメ元で口座番号教えたら入金されててさあ」

「ちょっと待って、話になかなかついていけない」

「悪いなあ。兄がダメダメで。けど妹が持ってる奴で良かったわ」


 そんな感じでわけがわからないまま通話が終わり、呆然としている私を見て、明子が言う。


「……マナトさんってあのマナトさん?」

「う、うん。そうみたい」

「やっぱり、彼、動いたのね。そんな気はしてた」

「どういうこと?」


 うろたえている私の前で明子は妙に納得している。


「マナトさん、あんたを気に入ってるのよ。もしかしたら、私が思っているよりももっと深く」

「ち、ち、違うわ。だってそんな、理由がないもの」

「理由ならいくらだってあるじゃない。あんた、付き合いの長い私から見ても十分いい女よ」


 明子は意味深な目をしている。


「付き合いが長いから贔屓目に」

「んもう、せっかく褒めてるのに。あんたって、ポジティブなのかネガティブなのかわからないわね」

「ううっ」


 星を返すな、と、マナトさんにもそう言われた。

 多分、私の悪い癖。

 どうしても、治らない。


「みかりってメンタルは強いのよ。それは間違いない。でも、自信が足りないんだろうな。その理由もわかってる。今まで男に愛された事がないからよ。あるべきものが、ぽっかり空いた状態なんだと思う。だからまずは愛されなきゃ」

「そ、それはっ」


 否定したいけれど、材料がない。

 端的に言えば図星だと思う。


「マナトさんが、その穴を埋めてくれればいいけどね」

「だから違うって……そういうのじゃなくて」

「じゃあ、一連の出来事は何なのよ」

「お人よしが搾取される世界を止めたいのよ。彼、正義の味方なの」


 明子は笑った。


「どっちが正しいかは、乞うご期待って感じかな」


 その時、またスマホが震えた。

 知らない番号。


「マナトさんだわ。きっと」


 明子が占い師の口ぶりで言い、心臓がとくん、と音を立てる。


「なんでそう思うの?」

「ただの勘。当たったら何かおごってね」

「……わかった……絶対当たらないと思うけど」


 恐る恐る通話マークをタップすると流れてきたのは、透き通るようなイケボだった。


「お疲れ様」


 ああ、この声はまさか。


「誰かわかる?」

「……マナトさん」

「そう。よくできました」


 微笑んでいる様子が手にとるようにわかる、明るい口調。


「あのっ。あの、今兄から連絡があって」

「ああ、なんだ。その感じだと喋っちゃったんだねえ」

「はい。ありがとうございます」

「俺が勝手にやったことだから」

「でも、何かお礼を……」

「ふふっ」


 何故だかマナトさんは笑っている。私の心臓はずっとドキドキしていた。


「今日の十三時に迎えに行く。こないだ渡したスーツ来て降りてきて。君にお願いがあるんだ」


 お願いって何……?。

 頭の中が疑問と戸惑いでごちゃごちゃになる。

 心当たりはないものの、


「行きます」


 蚊の鳴くような声でそう告げる。


「嬉しい」


 噛みしめるような、感情のこもった……勘違いしてしまいそうな声が聞こえてきて、私の心臓はまた大きく音を立てた。


◇ ◇ ◇


 そして数時間後……。


「どうしよう。恐ろしく似合わない……」


 鏡に映るスーツ姿の自分を見つめ、私は思わず呟いてしまう。


「何が悪いんだろう。スーツはすごく素敵なのに……メイク? 髪型? それとも……私?!」

「明らかに靴でしょ」


 明子が冷静に指摘してくる。


「ハイブランドに合う靴なんて持ってないんだもん、仕方ないよ。何履いても浮いちゃう……別の服にした方がいい?」


 私は一瞬迷うが、すぐに首を振った。

 せっかくいただいたスーツである。たとえ似合わなくてもここは着ていくべきだろう。

 とりあえず白いハイヒールを選び、明子に背中を押されて出かける準備を整える。


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